妹とメイド達①

「彼方様、お疲れでしょうからお部屋までお荷物お持ちします」


 非現実的な光景を目の当たりにして意識を飛ばし、すぐさま意識を取り戻した僕はまず、集まってくれていたメイドさん達に深くお礼をすると共に、「坊ちゃま呼びは死ぬほど恥ずかしいのでどうかご遠慮いただきたい」と強く要望を伝えた。

 初めは僕の態度に戸惑っていた様子だったが、母から少しだけ経緯を説明されると誰もが納得してくれた。

 やっぱりうちのエクセレントママはすごいや。僕は現状を全然理解できていないけれどね。


「あ、ああ。ありがとうございます……」


 そして玄関で内履きに履き替え、そう言えば自分の部屋がどこにあるかもわからないじゃないかと困っていたところを、メイドさんの内の一人に声をかけられたというわけだ。

 非常に助かるのは間違いないんだが、全員が全員直視するのが憚られる程の美人ぞろいで、そんな彼女等に傅かれている状態であることに気後れしてしまう。

 この世界の女性は皆美人でないと気が済まないのか?

 もしこの世界を設計、デザインした神がいるならば、その足元に平伏して気の済むまで感謝を述べたいところだ。


「あ、お兄ちゃん!おかえり~」


 美人メイドに先導されながら広すぎる家を歩いていると、廊下の奥からひょっこり顔を出した妹に声をかけられた。


「ただいま、あかね。ようやく帰ってこれたよ」


 ニコニコしながらこちらへとやってくる妹のあかねを見ていると、嬉しそうに揺れる尻尾を幻視してしまう。

 母と同じように超絶美少女へと変身した妹であるが、その性格は前世の妹とほとんど変わらず安心したものだ。


「お見舞いあんまり行けなくてごめんね?春休みの間部活の練習スケジュールどうするかとか色々決めなくちゃいけなかったから……」


 どうやらあかねは自分が忙しかったせいで見舞いにあまり来れなかったのを申し訳なく思っているようだ。

 来月から中学二年になるあかねは、同世代では全国的に有名な陸上選手だったりするのだが、その実力と他者を引っ張っていく真っ直ぐな性格を買われて、陸上部の新部長に選ばれたと母から自慢気に聞かされたのを覚えている。


「そんなこと気にしなくていいよ。あかねが部活に一生懸命なのはわかっているし、僕だってそれを応援したいんだから。むしろ部活を放って見舞いになんか来てたら説教してたかもね?」


「お、お兄ちゃん……」


 あ。やべ。またやってしまった。

 僕に気を遣ってくれたあかねの気持ちが嬉しくて、思わずいつもの調子で慰めたら泣くほど感激されてしまった。

 慌てて頭を撫でて泣き止むよう言うが、どうやらあまり効果はないらしい。更に顔を真っ赤にして涙を流している。


「彼方様……ご立派になられて……」


 え?なんでメイドさんまで泣いてるの?

 あかねと話している間、すぐ後ろに控えていたはずのメイドさんまでもがハンカチで流れる涙を抑えていた。

 いい加減あかねや母さん辺りには慣れてもらいたいものだが、以前の僕とのあまりのギャップに、優しくされるとどうしても感動してしまうのだとか。

 ただでさえ家庭内で会話どころか姿を現すことすらしなかった僕が、急に“人が変わったように”優しくなったのだから仕方がないらしい。

 そう言われた時には生きた心地がしなかったが、どうやら都合よく“何か思うところがあって性格が穏やかになった”くらいに解釈してくれていたので、全力でそれに乗っかったのだが、未だにこうして何か言う度に感動されるというのを繰り返している。


「ほら。いい加減泣き止んで、あかねも僕の荷物を整理するのを手伝ってくれない?思ったより量があるから、一人で片付けるのは大変だと思ってたんだ」


「う、うん……ありがとう、お兄ちゃん」


 ようやく泣き止んでくれたあかねを伴って、再び僕の自室へと向かう。

 しばらく廊下を歩いているはずだが、いつになったら部屋に着くのだろうか。

 既に階段を二度上っているので階数的には三階なのだが、一向に前を歩くメイドさんが止まる気配が無い。


「わかってはいたけれど、この家やっぱり広いな……」


 一体何部屋あるのかすら把握できない程に広い。

 今は自室まで案内してもらっているからいいが、少なくともリビングやダイニング、風呂にトイレにキッチン等共用のスペースなんかもどこにあるのか教えてもらわなければならないと思うと、自然と溜息が出てしまう。


「お兄ちゃん、自分の部屋に篭ってばっかりだったもんね~」


 すっかりいつもの調子に戻ったあかねに揶揄われてしまった。

 普通であれば多少はイラっとくるものなのかもしれないが、相手は兄想いの超絶美少女妹である。

 別に全然嬉しくなどないが、また僕が何かを言って泣かれてしまっては困るので、甘んじてその諫言を受け入れようではないか。別に妹に弄られて喜んでいるというわけではないのだ。ないったらない。


「――彼方様、お荷物はこちらでよろしいでしょうか?」


 とかなんとか、兄妹でじゃれ合っている間に部屋まで辿り着いたようだ。

 メイドさんは扉の脇に荷物を下ろして控えてくれているが、別にそのまま部屋に入ってもらっても構わないのに。


「ああ、うん。ありがとう。重かったでしょ?ここまで運ばせちゃってごめんね」


「ありがとう、早苗さん!お兄ちゃんもこれくらい自分で持てるようにならないと、いつか困ることになるのは自分なんだからね?」


「ふふ。いえ、とんでもございません。また何かございましたらお呼びください」


 最後に優雅な礼をして去っていくメイドさん。

 彼女は早苗さんというのか。長い黒髪が綺麗な女性だった。年齢はわからないが、おそらく二十代でも前半くらいだろうか。

 この家に何人のメイドさんがいるのかにもよるが、なるべく早く彼女達の名前も覚えないと。


「それじゃお兄ちゃん、荷物片づけちゃおうか!私は何したらいい?」


 どうにも僕に構ってもらえるのが嬉しくて仕方ないといった態度を隠そうとしない可愛い妹。

 ふんすと鼻息も荒く、今か今かと僕の指示を待っている。


「そうだね。じゃあ取りあえずあかねには本とゲームを片付けてもらおうかな」


「りょうかーい!」


 右手を真っ直ぐに伸ばし、元気に返事をするあかねに僕の頬も綻ぶ。

 全国でも有名な陸上選手であり、非の打ちどころのない美少女であっても、中学二年生の女の子だ。

 こういう子供らしいところを見れるのはきっと兄の特権なのだろう。


 何はともあれ片付けを済ませて少し休ませてもらおう。

 家でくらいは心を休ませることができると思っていたのに、あんなにたくさんの美人メイドがいたり、実家が想像を絶するほど豪華な邸宅になっていたりと、予想外の方向から不意打ちをもらった気分だ。


「お兄ちゃんの部屋に入れてもらえるのも久しぶりだな~」


 ああ、そうか。

 以前の僕は中二病と女性恐怖症とコミュ障を同時に罹患して拗らせまくっていたんだっけ。

 僕も自室に入るのは初めてだが、何かしら以前の彼方君のことがわかればいいんだけれど。


 そんな風に軽く考えて妹を自室へと迎え入れてしまったことを深く後悔したのは、そのすぐ後のことだ。

 自分がそうであったように、思春期の男子が家族に明かせない秘密をたくさん抱えていることなど、考えなくてもわかりそうなものなのだが。



「……その、お兄ちゃん?あかねはお兄ちゃんがどんな趣味を持っていても嫌いになったりしないからね……?」


 ――妹の気遣いが心に突き刺さる。

 憐憫とか悲哀とか、凡そ少女には似つかわしくない色を瞳に浮かべ、僕にその気持ちを悟らせないよう振舞う気丈な妹の姿に、思わず滂沱の涙を流しそうになるが寸前で堪える。


 以前の僕は一体どういう人間だったんだ……。

 自室のドアを開いて部屋の中を見渡せば、まず目に入るのは壁一面に張られたポスターたちであろう。

 頬を染めて恥ずかし気に素肌を晒した“美少年”達が、上目遣いに流し目に、様々な角度からこちらへ視線を向けている。

 それだけではなく、その美少年たちの年齢が、恐らくではあるが一桁しかないように見えることも僕に大きなショックを与える要因になっている。

 これが写真ではなく、イラストであることが唯一の救いであるが、正直そんなことなどどうでも良い。

 窓を避けるように三つ並べられた本棚の一つには、大量のフィギュアが飾られており、遠目にはそのフィギュア達の性別は判別できない。

 まあ、見ずとも察することは出来るが、一縷の望みくらいは残しておいても罰は当たるまい。


「――あ」


 そうだ。そうだった。

 この世界の男は殆どが女性が苦手で同性を愛するものだと学んだじゃないか……!

 今の僕がそうでないからといって、以前の彼方君まで同じだなんて酷い勘違いだ。


「……うん。全部処分しよう」


「えぇ!?」


 とは言え、これからこの部屋を使うのは僕なので、このままにしておくという選択肢はない。

 以前の彼方君には悪いが、これも運命だと思って諦めてもらうほかないだろう。

 あかねは驚いているようだが、僕は決してショタに萌えるような性癖は持ち合わせていないので、妹に勘違いされたままなのは到底看過できない。ここは心を鬼にして全て処分せねば。


「よし!そうと決まればゴミ袋が必要だな!メイドさんに持ってきてもらうか!」


「お兄ちゃん、そんな泣くほど嫌なら無理しなくていいんだよ!?」


 ははは。僕が泣いているって?

 それは……きっとこの体に残った以前の彼方君の残留思念かなにかのせいだろう。

 僕は全然、全く、これっぽっちも、惜しいだなんて思っていない。

 いくらこの部屋にある全ての創作物たちの完成度が高かろうとも、多少性癖を擽られるような感覚を覚えていたとしても、これらを手放すことに一欠けらの躊躇すらないのだ。


「さーて、メイドさんはどこかな~!」


「お、お兄ちゃん、待ってってば~」


 颯爽と部屋を飛び出す僕の背中に向けてあかねの声が飛んでくる。

 両の目から流れる液体を必死で拭いながら廊下に出た僕は、後ろ髪を全力で引いてくるショタ達への想いを振り切り、平穏な生活を手に入れる為に必要な“尊み封じ込め袋ゴミ袋”を探し始めた。

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