男に課せられた義務
――入院生活六日目。
とうとうこの日が来てしまった。
最近段々と慣れ始めた日差しを浴びて目覚めた時、僕の頭に浮かんだのはこんな言葉だった。
意識を取り戻してから今日で六日。
これまで一項目を残して色々と検査をしてもらい、退院しても大丈夫と太鼓判を頂いたのが一昨日のこと。
そして今日。
この世界の男性が負ったある義務を無事に全うできれば、明日には晴れて退院となる。
先日、無事に家族へと進学の意志があることを報告し終えた僕に、母や相談にのってくれた病院の職員さん達が授けてくれたのは、“義務を誰よりも全うすることで得られる対価を利用するべし”という大変有難いアドバイスであった。
「……これが嘘でも冗談でもないって言うんだから、本気で笑えないよな……」
その全うすべき義務とは、“採精”と“精液の提供”だ。
男性の少ないこの世界では、健康な精液というのはそれだけで価値がある。
それを提供できる男性も同じように優遇される社会なわけだが、当然その待遇を受けるにはそれ相応の代償を支払わねばならない。
ただ課された通りに年三回の提供を続けるだけでは、いくら優秀な精液を提供できたとしても、特別な待遇を受けられるようにはならない。精々生活保障費の支給額が増えるくらいで、特権を認められることなどないわけだ。
それではどうすれば良いのか。
答えは簡単。たくさん健康な精液を提供すればいいのだ。
僕が乗り移る前にこの体で受けた精液検査で、僕の精液はかなり優秀であることがわかっている。
それこそ人工授精に利用されれば、受精率は7割を超える程のものだとか色々褒められたのだが、それを面と向かって言われた僕は、ただただ顔を赤くして俯くくらいしかできなかったのは想像に難くないと思う。死ぬほど恥ずかしかったよ。
そして、そんな優秀な精液を年に三回と言わず、週に一回くらいの頻度で提供できれば、ここ数年どころか戦後から数えても類を見ない程、優秀な提供者となれるらしい。
喜べばいいのか恥ずかしがればいいのかわからないような話だが、医療に携わる医師たちから挙って勧められたことを考えれば、これが僕を揶揄う為の嘘でも冗談でもないことはすぐにわかった。
当然、そんなことを言われて「はい、そうですか」と素直に頷けたわけではない。
そもそも最低限の義務にさえ納得できていないのだ。そこに「素晴らしい精液をお持ちなのだから、提供頻度をあげてみては?」なんて言われても、戸惑うばかりで理解も及ばなかった。
とは言え、ようやく自分がどうしたいのかについて答えを出し、それを叶える為にやれることはやろうなどと格好をつけて覚悟を決めた直後に、「やっぱり恥ずかしいのでやめます」とは口が裂けても言えないのだ。
それが例え“自分の精液をたくさん提供する”などという、羞恥心だけで命を落としてしまいそうな事柄であっても、逃げ出すことは許されないのだ……!
「……はぁ」
刻一刻と近づいてくる採精の時刻に思わず溜息が漏れる。
どんな風に言い繕おうと、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。憂鬱に沈んでいくこの気持ちに抗うことは難しい。
正直萎えまくっている。
童貞を長年拗らせ続けて熟成させてきた紳士を舐めないで頂きたいと声を大にして主張したいところだが、それをしたところで現状を変えることはできないし、この体では高々16年しか生きていないことになっているので説得力もない。
その上、この世界の女性は童貞が大好物らしいので、そんな告白をすればこの上なく喜ばれてしまうだろうことが、簡単に想像できる。
なんでそんなことを知っているかって?2chを覗いたからだよ。言わせんな恥ずかしい。
「はぁーーー……」
最早何度目かもわからない溜息を吐きながら、採精する為の服へと着替える。
入院用の服でも問題なく採精は行えるのにも係わらず、どういうわけか専用のものへと着替えることを強く勧められたので着替ることにしたのだが、着てみればなるほど、あれ程強くお勧めされた理由がよくわかる。
これめっちゃエロイわ。
一番上に裾が膝上程までの長さのワンピースを着てはいるものの、中には自身の機能を果たすためには到底布が足りていない下着を一枚着ているのみ。
このワンピースも生地が薄いのか微妙に肌が透けているし、胸元がざっくりと開きすぎてほぼ胸が丸出しだ。そして腰辺りについているファスナーを下げれば、腰より下は全て白日の下に晒されてしまうという徹底ぶり。
いや、確かにこれなら下手をしても汚す心配はなさそうだが、それだけだ。
素直に着てしまった僕が言うのもなんだが、こんなデザインにする意味は女性の下心以外にあったのだろうか?ないんだろうな……。
「……」
とうとう溜息すら出なくなってしまったが、そろそろ約束の時間になる。
せめてもの抵抗として、上に更に一枚上着を羽織って病室を出る。
僕がそんなに簡単に肌を晒すような軽い男なんて思わないでよねっ!そういうのは大事な人の前でしかしないんだから!
自身のテンションがあらぬ方向へと舵を切っていることをしっかりと自覚しながらも、なけなしの覚悟で以て採精室へと進む足を止める事は無かった。
「――それでは、こちらの容器に可能な限り零さないよう精液を採って頂いて、最後にこちらの蓋でしっかりと栓をするようお願いいたします。蓋がしっかりと閉じられていなかったり、必要量を満たさない場合は提供していただいても無駄になってしまいますので、お気を付けください」
普段に比べて数倍にも感じられた好色な視線を潜り抜けて、ようやく目的地に辿り着いた僕は、改めて採精する際の注意事項を説明されていた。
既に採精室へと入っている為、そこで実際に使うことになる容器などの説明を聞きつつも、上着を脱いだことで晒された胸に集まる目前の女性からの視線に、この世界に来て初めて自身の貞操の危機を実感していた。
「は、はい。わかりました……」
頬を引き攣らせつつ、胸を隠そうにも裾を持ち上げてしまえば更に危険な場所を晒すことになりかねない為、縮こまってただ頷くことしかできない。
これが前世の世界で女性が感じていたという視線か……。
実際に自分が体感してみると、確かにこれは若干不快感を覚えるな。
「――これでご利用いただける器具についての説明は以上になりますが、進藤様。当院での採精は初めてとのことで、こちらにご用意させていただいた器具以外にも、ご要望があればご利用いただけるオプションなどもございますが、説明させていただいても宜しいでしょうか?」
こちらへの情欲を隠そうともしないあからさまな視線に辟易としていると、初めて耳にするシステムがあることを知らされた。
「オプション……ですか?」
「はい!当院のみご利用いただける特別なオプションとなっておりますので、“初めての方”には特にお勧めさせていただいております!」
へー。
まあ、以前の彼方君が経験済みとは言え、今の僕は採精初心者どころか正真正銘初体験だし、オススメなら利用した方がいいのかな?
「じゃあ、どういうものか教えてもらってもいいですか?」
正直さっさと済ませてしまって病室に戻りたいところだが、採精に関してはこれからも色々とこの病院にお世話になるつもりなので、できる限り知らないことは少なくしておきたい。
ここまで言うからには知っておいても損はないだろうし、本当に良さそうなら今回から使わせてもらうのもいいかもしれない。
「ではご説明させていただきますね!こちらのオプションですが、ご利用者様のご要望があればいつでも利用可能な便利なものとなっております!ご利用に際して料金が発生したり、面倒な免責事項が存在したり等、煩雑なことは何一つございませんし、利用者様側にご用意いただくものも何一つございません!」
彼女が異様に早口なのと、若干目が血走っているように見えるのが気になるが、どうやら利用する側にとってなんの面倒もない良いサービスのようだ。
いや、先程から少しずつ距離を詰められているように感じるのも、彼女が人一倍仕事熱心なせいなのだろう。
「こちらの便利でお得で使わないと絶対に損な素晴らしいオプションの内容ですが――」
最早お互いの息がかかるほどにまで距離が近づいているが、近付かれる度に後ずさっていたら背中に壁を感じたのでこれ以上下がることができない。
「採精のプロと言っても過言でないベテラン看護士である私自ら進藤様の採精をさせていただくという大変素敵なオプションになっておりま――」
「結構です」
いや、そんなことだろうと思ったよ。
途中からなんか鬼気迫る感じがして怖かったし、顔とかめっちゃ唾飛んできてもうビチャビチャだよ。
「そ、そんな!?こう見えても私採精実習では特に上手いとお墨付きを頂くほどですし、実際にするのは今回が初めてですが、進藤様には必ずご満足いただけるものと確信しているのですよ!」
「結構です」
この人必死すぎて何を言ってるのか自分でもわかってないだろ、これ。
目覚めてからこっち、出会う女性のほとんどから情欲のこもった視線を送られ、その誰もが美人だったりしたおかげで多少は慣れてきたものの、ここまで直接的なアピールをされたことなどなかったので、浮かんでくるのは喜びよりも困惑の方が強い。
顔を真っ赤にしてこちらへアピールを続ける彼女だが、その自らの欲望に対して正直すぎる所をうまく隠していれば絆されてしまったかもしれないと思うくらいには見た目がいい。
この世界の男性はそうでもないのだろうが、前世でも一般的な童貞の僕は美人に弱いのだ。
あまりの必死さに引いているせいで断ることができたが、普通に誘われたら二つ返事で了承していた公算は高いだろう。
まあ、そうなっていないからこうやって断っているんだけれども。
「結構ですから出てってください!」
「あ、あああぁぁぁぁぁ~♡進藤様困ります!そんな強引に~♡」
いや、強引にでも追い出さないと、あなた一生ここに居座るでしょ。
追い出すために肩を押しただけで頬を染めて嬌声とも取れるような声をあげる女性看護士を、やっとの思いで叩き出し、ほっと一息ついて扉に鍵をかける。
度し難いというか悩ましいというか……。
事情がわかるだけに、あまり酷い対応をし難いというのも頭を悩ませる大きな要因になっている。
要するに、この世界の女性の殆どは“異性慣れ”していないのだ。
数が少ないうえに引き篭もってばかりの男性と出会うことは難しい。それこそ、家族でもなければ一生目にすることもないなんていう女性も少なくない。
そんな環境で、日々異性との恋愛やそれ以上を妄想して願望を膨らませ続けていると、僕が体験しているようなことになってしまうというわけだ。
「はあぁぁぁ~……」
今日一番の溜息を吐き出し、嫌々ながら覚悟を決めて部屋に備え付けられているベッドに腰かける。
先程説明を受けたばかりの容器を手に取り、視線をぐるりと巡らせれば、そこには大量のアダルトグッズとオカズが鎮座している。
「……部屋に入った時から思ってたけど、あからさまだなー」
“そういうコト”をする為の部屋としての機能は十分以上に備わっているようだが、こんな状況でさえなければ多少は楽しめただろうにと思ってしまうのは男の性だろうか。
ベッドの据えられた側とは対称に位置する壁にあるモニターを点ければ、あられもない姿の女性が画面上で艶めかしく“コト”に及んでいる場面が映し出される。
……この世界にはモザイクがないのだろうか?
近くの棚に並べられていたえっちな雑誌を手に取り眺めれば、その予想が正しいものであるという確信が深まった。
「いや、まあ、助かるけれども……」
下腹部に急速に集まる血液を感じて、こんな状況でも男としての機能が正常に働いていることにやるせなさを感じるものの、いつまでもこうして時間を無駄にし続けるわけにはいかない。
未だ強い羞恥心が残っているが、行為を見られるわけではないし、これから何度も経験することなのだ。最初から躓いていてはこの先思いやられるぞ、などと言い訳を何度も繰り返しながら利き手を股座へと伸ばし――。
捗りすぎて容器を三つも使ってしまった。
十年ぶりくらいに感じた快楽は、その後の予定を忘れさせる程のものだったとだけ言っておく。
……ふぅ。
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