家族?
――コンコン。
スマホいじりにも飽きてぼーっとしていると、控えめなノックが部屋に響いた。
来客……?あ、家族か。
調べものや考え事に集中しすぎて時間を忘れていたが、そろそろ9時になろうかというところらしい。
面会開始時間は9時らしいから、少し早めに来てしまったんだろうか?
「はい。どうぞー」
まあ、ここまで通されてるってことは問題ないんだろう。このおかしな世界に来てから初めて会う顔見知りだし、少し会話でもしていれば気も紛れるかもな。
「――かなちゃん!!」
カラララ……と静かに扉が開かれ、視線が交わったと思った時には、その女性はこちらに飛び込んできていた。
染めているのだろうか、髪は薄めの茶色で、身長は恐らく僕よりも少し高い。スラっと伸びた手足と、白く艶やかな肌を輝かせるとんでもない美人が、僕の胸の中でさめざめと涙を流している。
……え?誰?
「かなちゃーーん……良かった……もう目を覚まさないんじゃないかって、お母さん心配で……」
自分のことを母親と名乗るこの女性だが、こんなに美人でスタイルのいい母親がいた記憶はない。
いきなりのことに驚いて肩を抱いてしまったが、体を震わせて泣いている美女が僕の母親だというのならば、このままにしておくわけにもいかないだろう。
というか、色々と大変危険な感触を感じてしまって、顔どころか集まってはいけない部分にまで血液が集まってしまいそうなので肩を押して体を離してもらう。
「え、えっと、母さん?心配かけちゃってごめん。というか、なんか、すごく綺麗になったね……?」
正面からしっかりと確認してもこの人が自分の母親だとは思えない。もちろん記憶にある母親も美人であったのは確かだが、ここまで飛びぬけた美人ではなかったはずだ。
思わず口から疑問が飛び出してしまったが、昨夜からこっち、ずっと混乱を極めていた脳内が遂に悲鳴をあげ始めたのかもしれない。
「えぇっ!?か、かなちゃん、突然綺麗だなんて……嬉しいけれど、一体どうしたの?」
頬を薄く紅に染めてはにかむ母。
「えへへ」と照れる姿はとても可愛らしいが、相手が母親だと思うと複雑な気分だな。
「あー、いや、何だか久しぶりに母さんを見た気がしてね……それよりも、母さんの名前は、その、進藤千鶴で間違いないよね……?」
とりあえず誤魔化してみたが、気になるのはこのスーパー美人が本当に自分の母親であるかどうかだ。突然母親の名前を確認する息子なんて怪しいのはわかりきっているが、このタイミングで確認しておかないと、いつまで経っても自分の中で先に進めそうにない。
「……?え、えぇ。お母さんの名前は千鶴で間違いないけれど……」
案の定変な顔をされてしまったが仕方がない。これでこのパーフェクト美女が僕の母親であることが確定したんだし、これ以上変なことを聞かなければどうにでもなるだろう。
とは言え、ここまでくるとこの世界が僕の知っている世界とは大きく違うのだなと思い知らされてしまった。正直身内まで別人のようになっているのは少しショックが強い。
特段マザコンの気があったわけではないと思うが、記憶にある自分の母親ともう会えないのかと考えると、寂しさのようなものが湧き上がってくるのを感じる。
父は早くに病気で亡くしてしまったが、母と妹、家族3人の仲はそれなりに良かったと思う。
毎年盆と正月には必ず帰省していたし、母の年齢が80を超えてからは本気で同居も考慮していた。まあ、本人は地元を離れるのを嫌がっていたので、実現する事は無かったが。
妹夫婦とその子供たち、僕にとっての甥や姪も含めて定期的な旅行に行ったりなど、家族で過ごした楽しい思い出はたくさんある。
自分があと数年で還暦という年齢になって、会社を定年で退職した後は地元で母とゆっくり過ごすのもいいかもな、と考え始めていた矢先の現在だ。
当然、未練は多い。
気楽に第二の人生楽しもう、などと強がってみせたものの、早々簡単に割り切ることなど不可能なのだ。
「――ん?」
あ、いや待て。
妹……。
「か、母さん?そういえば、あかねは今日来れなかったの?」
進藤 あかね。
僕の二つ下の妹だ。
母さんが別人のようになってしまっているから、恐らくあかねも同じである可能性は高いと思うが、そもそも“存在しているのか?”
「あかねちゃん?あかねちゃんなら今日は学校終わってから顔を出すって言ってたから、来るとしても午後じゃないかしら」
「そ、そっか!そうか……そういえば今日は平日だもんね。学校があって当然か……ははは」
良かった……。どうやら杞憂だったようだ。
ここまで様々なことが激変している世界であるから、もしかしたらいないなんてこともあるかもしれないと心配になってしまったが、そこまで残酷な世界ではないらしい。
ほっと胸を撫でおろして、頬に垂れてきた冷や汗を袖で拭う。
心臓に悪すぎるぞ、この世界は。
「――ふふ」
両腕に浮き出た鳥肌を擦って癒していると、ベッドの横に椅子を置いた母が腰かけながら笑い声を漏らしていた。
「……?どうかした?」
優しい微笑みを浮かべてこちらを見やる母に、なんだか居心地の悪さを感じて聞いてみると、少しだけ笑みを深めて答えてくれた。
「いいえ。なんだかこうやってかなちゃんとお喋りするのが久しぶりで、お母さん楽しくって……」
口元を手で隠しながら笑う母は、小さく「ごめんね?」と言って更に肩を震わせていた。目尻に光る小さな雫は、笑ったことで浮かんできたものなのか、もしかしたら別の意味があるのかもしれない。
「……こっちこそ、心配かけちゃって、ごめんね……」
言葉通り僕と会話をすることが心底楽しそうな母の泣き笑いを見て、どうにもばつが悪くて謝ってしまったけれど、親子で会話をするのが久しぶりなんて言われてしまうと、そうせずにはいられなかった。
とてもややこしいことに、今のこの僕は“還暦を間近に控えた進藤 彼方”が乗り移った“男女比の狂った世界にいる進藤 彼方”で、単純に過去に戻った同一人物とは決して言えない。
今目の前にいる母親の姿が前世の母親の姿とは違うように、恐らくここまで生きてきた“この世界に生まれた進藤 彼方”も、僕とは違う人物だったのだろう。
以前の彼方がどんな人物だったのかはわからないが、家族間で会話が少ないということは、家庭環境が良かったわけではなさそうだ。少なくとも、この母にとっては寂しさを感じるようなものであったのは間違いない。
「その……もし嫌だったら言って欲しいんだけど、良かったらこれからもこんな風に話せたらいいな、とか言ったら変かな……?」
だからこそのこの言葉だったわけだが、どうやらこの母にとっては、僕が想像した以上の破壊力を持った言葉だったようで。
「――っ!」
先程までの笑顔が一転。
一瞬驚いたかと思えば、次の瞬間には溢れる涙を抑えられなかったらしい。
「か、がなぢゃぁーん!」
喉を震わせて再び胸に飛び込んできた彼女の表情は、感動なのか困惑なのか。
僕の背中に回された腕は、これでもかと力いっぱいに僕を掴んで離さない。
気恥ずかしさを感じないわけではないが、それをもって抱擁を拒否してしまってはどんな鬼畜かと言われかねないからな。甘んじて受け入れようとも。
「びえぇぇぇぇぇ!」
いやいや。仮にも二児の母である人のものとは思えない泣き声だが、まあ、こうなってしまう程辛い思いをさせてしまったのだろう。多分。
そうして彼女が泣き止んで落ち着くまで背中や頭を撫でていたが、不思議と自分の気持ちも一緒に落ち着いていった。
ハグには癒し効果があると聞いたことがあるけれど、こうして体験してみるとなるほど。確かにそういった効果はあるようだ。
「母さん、落ち着いた?」
すでに母は泣くのを止め、椅子に座りなおして少し乱れた髪を整えている。
「ありがとう、かなちゃん。情けないところ見せちゃってごめんね」
「気にしてないよ。家族なんだから」
僕にとっては当然のことだから自然に出た言葉なのだが、再び瞳を潤ませて感動している母を見ると、これくらいのことで涙腺が緩んでしまう程なのかと頬が引き攣る。
一体どんな奴だったんだ以前の僕は……。
その後、折角見舞いに来てくれたのだからと色々話を聞いてみたところ、今後の僕の身の振り方に関して、非常に重大な問題を抱えていることが判明した。
「え?僕、高校受験してないの!?」
そう。姿形や名前が同じとは言え“今の僕”と“以前の僕”は別人だ。その辺りも確認しておこうと聞いてみたらなんと吃驚。高校入学どころか受験すらしていなかったと判明したのだ。
「?」
「何をそんな当たり前のことで驚いているのかしら?」というような表情の母。
え?この世界だと高校進学って珍しいことだったりするのか?それとも進学するのが不可能なほど以前の僕の成績が良くなかったとか?
「ご、ごめん、母さん……因みに聞きたいんだけど、僕って中学時代そんなに成績悪かったんだっけ……?」
「中学?かなちゃんはずっとお家でお勉強してたから、小学校にも通ってないわよ?」
「はぁ!?」
いや待て。待て待て待て。落ち着け。思わず驚いてしまったが思い出せ。ここは異世界だ。
まだこの病室しか知らないから外がどうなっているかはわからないが、少なくとも表面上は地球の日本であるのは間違いない。
とは言え、僕の知っている世界とは大きくかけ離れた世界であることもわかっていたじゃないか。
おそらくだが、僕の知っている常識とは全く違う常識で動いているんだ。この社会は。
とすると――。
「そ、それって、もしかしなくとも、僕が男だから……とか?」
「まあ、そうね。男子校に通う子もいるって話は聞いたことがあるけれど、そんなニュース最近は聞かなかったから、ここ数年は学校に通う男の子はいなかったと思うわよ」
――マジかよ。
どうやら僕の認識はまだまだ甘かったようだ。
この世界の男女比は1:100前後。
比率が異常であるとは認識していたが、社会構造がそもそも全く違うのだから、それに伴う常識も違ってくるのは当然なのかもしれない。
男女比が狂っているという事実が衝撃的すぎてそこまで深く調べていなかったけれど、ここまでおかしなことになっているとは想像すらしていなかった。
「……かなちゃん?大丈夫?」
「――あ、うん!大丈夫、大丈夫……」
全然大丈夫じゃないけど、とりあえずここは誤魔化しておこう。
心配そうにこちらを見る母の視線に少し申し訳なくなるが、自分が“以前の進藤 彼方”とは別人であると言うわけにはいかないので、いくら苦しかろうと誤魔化し続ける他は無いのだ。
それにしても、昨夜目覚めてから驚くようなことばかりで本気で自分の寿命が心配になってきた。
驚いてばかりもいられないとわかっていても、そう簡単に受け入れられるほど僕も終わった人間ではなかったということなのかな。良し悪しではあるが。
「はぁ……」
母に気付かれないよう小さく溜息を吐く。
折角新たな人生を得たというのに、先行きが不安で仕方がない。
ゆくゆくはこのおかしな常識にも慣れていかないと、前世より先に人生が終了する恐れすらあるぞ。ストレスがヤバイ。
今後どうするかを考えるにあたって、必要なのはこの世界の常識を知ることだ。
それを知らないままにして社会に出てしまえば、どこかで必ず取り返しのつかない失敗をしてしまう気がする。
母が言うには僕はこれからも自宅学習のようなものを続けることになるそうだが、それを甘受して引き篭もっているだけでは何も学べないだろう。
難しいかもしれないが、やはり学生時代に学校に通って社会生活を送らない限り、常識と言うものは身につかないものだ。それも、恐らく僕が感じている常識のギャップと言うのは、性別にまつわるものが中心のようだし、生徒がいるかもわからない男子校に通うというのも意味がない。かと言って女子高に通えるわけもないんだし……ん?
いやいやいや。男子校と女子高しかないなんてことがあるのか?
この世界ならそれもあり得そうな気がするが、もし共学校があるなら、そこに通えるようにするのが一番いい。
調べてみないことには何とも言えないが、入院期間はすることもなさそうだし、時間はある。
できる限り色々調べてみて、ある程度の方針が決まったら早めに母に相談してみよう。
迷惑をかけてしまうかもしれないが、学生と言う不自由な身分では、できることにも限りがある。
心苦しくとも、大人の力を借りなければやりたいこともできないのだから、最後のわがままと思ってお願いするしかないだろう。
「それでね、昨日なんかあかねちゃんが――」
これまでの時間を取り戻すかのように、母は楽しそうに話を続けている。
僕はそれに相槌を打ちながらこれからのことを考えていたが、まずはこの寂しい思いをさせてしまっていた母に可能な限り孝行していかなければと、彼女の笑顔を見ながら一つ目標を定めた。
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