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眠ったはずの俺の周囲には、喧騒な雰囲気が漂っていた。
うつ伏せになっていた体を起こすと、目の前には懐かしい光景が広がっていた。
高校の教室。あの、息が詰まる程の静寂が破られる休み時間。今や遥か彼方に遠ざかってしまった過去だ。
似たような経験は何度かある。
その大体は、トラウマとなった中学の部活動で占められているが、高校の教室が出てきたことは、これまでに一度たりともなかった。
ふと、黒板を見やる。授業の直後ということもあって、チョークでひどく汚されている。何も聞いていない身では、その字面を眺めたところで、得られる知識など無に等しい。
だが、その言葉だけは知っていた。
「人は二度生まれるのだ」
かのルソーの言葉。この教室で知って以来、頭の隅にこびり着いて離れない言葉。
急に、辺りが静かになった。それまで傍にいたはずの、ノスタルジーを感じさせる朧影たちは忽然と消え失せていた。
あるのは、俺とルソーの言葉。この二つのみ。
俺は、無理矢理それと対峙させられている。そんな気がした。
「俺は、二度生まれたのだろうか」
誰もいないのに、誰かに問いかけた。決して独り言ちた訳ではない。俺は、その見えない何かと言葉のキャッチボールをしたかったのだ。
だが、ボールは返ってこない。
この期に及んでなお、俺は答えを出せないでいる。大人になったと認めることもできなければ、まだ大人になっていないと逃げることもできない。
宙ぶらりん。
どちらに偏ることもできない。
完全に、中途半端な、自己。
「だったら、それで良いんじゃないか」
思い詰めた時、どこからか声がした。それは左右から聞こえたようで、上下から聞こえたようで、内側から聞こえたようだった。
周囲を見渡すと、鏡のような窓があった。それを凝視すると、そこには、高校の制服を着た俺が映っていた。
「答えが出ないのなら、それで良いんじゃないか」
高校の俺は、見下げ果てた顔でそう言うと、窓から姿を消した。
残っているのは、髭の濃くなった俺の姿のみ。
窓に手を当てても何も変わらない。彼奴はもう二度と帰ってこない。
また、過去が一つ遠ざかった。
ひどい夢を見た。
いつもの、中学の部活の顧問にブチギレられる夢も酷いが、これはこれで酷い。
まさか夢の中で、過去の自分に見放されるとは思いもしなかった。
俺は思考を整理するために、布団から起き上がり、台所で顔を洗った。冬の水は体が強張るほどに冷たい。いつもなら億劫に思うのだが、夢から醒めた俺にはそれが必要だった。
顔を拭って考える。
彼奴の言うことは捻くれている。「良い」と言ってはいたが、本当はそんなこと消しカス程も思ってはいない。俺自身がそう思うのだから間違いない。
彼奴は、社会人になってもなお、大人になりきれていない俺に失望していたのだ。
では、高校の時の俺は、大人についてどのように思っていたのだろうか。
いや、自問するまでもない。初めから知っていることだ。
俺は、大人になりたくなかった。
大人というのは、責任の塊で、その押し付け合いで疲れ果ててしまう存在。にもかかわらず、一個人は社会を回すための矮小な歯車に過ぎないのだと思っていた。
社会に出た今、それは一つの事実だと認めざるを得ない。この一年足らずの間に、多くのものを見て経験してきた。
加えて、分かったことがある。
社会に出ることで、人は大人と認められる。
社会では、人間は皆大人だ。大人としなければ、この社会の歯車として回らないのだ。
だから、社会人は皆、平等に大人として扱われ、リタイアするまで社会を回す歯車として使い潰される。
だからと言って、軽々にリタイアすれば、食うに困って惨めな思いをするだけだ。社会にとって、脱落した歯車ほど不用なものはないのだから。
だが、クソ真面目に働いたところで、必ず報われるとは限らない。むしろ、報われないことの方が多いかもしれない。
貧困を防止するセーフティネットは脆弱なくせに、労働から逃げられないようにする包囲網は堅牢だ。
まさに袋の鼠。
そんな陰鬱な現状に端を発するのが、会社が開催する研修だ。
だから、そこで良く言われる、やりがいや働く意味などというものは、所詮、歯車という現実を誤魔化すための方策に過ぎない。
それを知ってしまった今、俺は益々大人というものに辟易としている。
高校の俺はこう思っていた。
「どうせ大人になるのなら、責任を全うする大人になりたい」
それは、「あんな大人になるな」と言われ続けた成れの果て。俺自身が長年培ってきた理想だ。
だが、現実はどうだ。
今も昔も、俺の目に映るのは、メディアに取り沙汰される、醜態を晒す芸能人や政治家ばかり。口先では当たり障りのないことを言っておきながら、いざ状況がマズくなると、あれやこれやと言い訳して逃げようとしている連中ばかりじゃないか。
俺自身もそうだ。今この瞬間も、俺は、過去を裏切り続けている。
近年、逃げることは悪いことではないという発言を耳にするようになった。逃げようとしないのは人間だけで、他の動物は当たり前のように逃げる。だから、人間だって逃げて良いじゃないか。仕事だって辞めても良いじゃないか。
一理あると思う。というか、心が救われるように感じた。
生き物なら何だって自分が一番大事だ。そして、逃げるという選択は己が身を助ける最良の方法ともなるのだから、間違っていると断じるのは軽率だ。確かに「逃げるは恥だが役に立つ」のだ。
そうだ。いつだって公正公平で聖人君主みたいな大人になる必要なんてない。この社会にそんな人間はいない。
みんな、口ではかくあるべしと言っていても、その全てを実践することなど決してしない。そんなものさ。
そんな社会で理想の大人になろうとしても疲れてしまうだけだ。
「さらば、高校の時の俺」
俺の自我は、社会の犠牲となるのに耐えられない。
俺には、特攻隊員のように、葛藤の末自死を選ぶことはできない。そんな崇高な目的も意思もないのだ。
地域とか社会とか、そんなことはどうでもいい。
働いて分かった。
俺にとって、本当に大事なのは自分自身なのだと。
ならば疑え。
会社のことは自分では変えられないからと、他人に任せていては、いつの間にか有耶無耶にされることもあり得る。
他人の本心など俺には分からない。分からないから、上辺の綺麗な言葉につい縋ってしまいがちだ。
しかし、忘れぬことだ。人は他人の本心など分からない。上の人の意見を鵜呑みにするのはひどく危険で無駄なことなのだ。
そう思うのなら行動しろ。
中年のおじさんになってから後悔しては遅いぞ。
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