⑶
「さて、どうしようか」
俺は自宅で今後の方針を考えていた。
抗う決意をしたは良いものの、具体的な行動は全く決まっていなし、思いついてもいない。
一番簡単に出るのは大きな目標だが、仮に会社を変えると言っても、いきなり会社を変えられる訳ではない。
ローマは一日にして成らず。まずは手軽な方法から始めるべきだ。
「つっても、それが思いつかないんだよなあ」
俺が考えあぐねているその時、スマホが振動した。
開いてみると、研究室同期のグループラインが更新されている。
「金曜有休にしたわ。これで三連休確定」
それは久保田のメッセージだった。公務員の久保田は土日が休日だから、金曜を有休にすれば、必然的に三連休を取得できる。勿論、それは有休が認められればの話である。
「ええやん。でもよく有休取れたな」
俺は久保田のメッセージに返信した。
「?有休は申請するだけで取れるぞ。渡の会社は取れないのか?」
「取れないのかどうか知らないけど、誰も取ってない」
「取れ取れ。有休はソヴェートの旗のもとで働く我々労働者が、偉大なる首領様から賜った御慈悲だぞ」
「お前は一体どこで働いているんだ?」
そう返信して思いついた。
誰も有休を取らないのなら、自分が取れば良いのだ。
確かに、人と違う行動を取ることは怖い。だから変わることは嫌いだし、ひどく面倒くさいけど、俺はそれ以上に、変わろうとせず惰性に甘んじることが許せなかった。
俺は早速行動に移すことにした。
「それは難しいと思うよ」
俺は加藤さんに有休を取ることについて相談したが、あっさりと否定された。あんた、この前好きにしろって言ってたじゃないか。
「でも、有休は労働者に認められた権利ですよ?」
「俺も昔有休を取ろうとしたんや。そしたら当時の店長に呼び出されて「何の気になっとるんやワレェ!」って一喝されたんや。案の定、有休にした日は単なる休みになったわ」
「ええ……」
一体何年前の話をしているのかは分からないが、酷い時代があったものだと思った。
しかし、その時代の名残は今も残っている。誰も有休を取らないのがその証拠だ。
「それでも、俺は有休を申請しますよ。手近な所から変えていかないと、結局何も変えられない」
その時、高山さんが売場から戻ってきた。加藤さんは、高山さんに声をかけた。
「ねえ山さん。山さんは有休取ったことある?」
「有休?ああ、とった事あるよ。夏と冬にあるアレやろ?」
「違う違う。私用で」
「私用やったら祭りの時ぐらいやな。あんまり有休取るとメイトさんに威圧されるんや。「え、何これ?」って」
「夏と冬にあるアレって何ですか?」
俺が尋ねたその時、時報が鳴った。時計を見ると、時刻は既に四時だった。相変わらず時が経つのは早い。
「じゃあ俺ちょっと失踪してきまーす」
俺はこの二ヶ月弱の間に、休憩は時間を決めて行く決意をしなければ取れないのだと知った。俺は四時に休憩をすると決めていた。
「待つんや渡君」
休憩に行こうとする俺を加藤さんが引き止めた。俺は、何か急な要件でもあるのかと思って振り返る。
「三人で失踪しよう。ね、山さん?」
「え?お、おう!失踪や!」
高山さんは最初、加藤さんが何を言っているのか分からない様子だったが、意味を理解して元気に復唱した。
「でも、高山さんはもう休憩終わってるんじゃ?」
「ぇええ」
俺の指摘に高山さんが戯けた裏声を上げる。
「細かいことは気にしない気にしない。行こう山さん」
加藤さんに誘われ、高山さんは嬉しそうに笑ってついてきた。流石、青果部で唯一の妻帯者である。コミュ力のレベルが違う。
俺たちは、桜戸さんに何も言わぬまま売場を託し、コーヒーを買っていつもの喫煙所に行くことにした。コーヒーは高山さんの奢りだった。
「いいか渡君。一円パチンコに手を出したらダメや。あれじゃあ金は稼げん。男ならやっぱり四円パチンコ。金がない時でもせめて二円パチンコや」
高山さんは、タバコとコーヒーですっかりいい気分になっていて、もう何度聞いたか分からない、独自のパチンコ論を俺に披露している。
高山さん曰く、右手にタバコ、左手に缶コーヒーで最強になれるらしい。その論法は、かつて無職を最強と言っていた男のものに似ていたが、高山さんは実際にハイになる人だった。
「でも、高山さん儲けてないんでしょ?」
「え?じゃあ一諭吉渡してみてよ。明日までに二諭吉、いや三諭吉にして返すから」
「それパチンカスの思考じゃないですか」
俺がツッコムと、高山さんは満足そうに笑った。そうして、またタバコとコーヒーのコンボをキメる。俺はタバコを吸う気は無いが、それでも、それは随分とうまそうだった。
「そう言えば、さっきの答えがまだやったね」
俺達の会話を聞いていた加藤さんが口を開いた。そう言えば、俺は尋ねたままここへ来たのだった。
「夏と冬のアレっていうのは、サンカイの有休消化制度やわ。有休関連の法律が変わるって時に作られたもんで、毎年五日は有休を取れるようになっとるげんて」
俺は古い記憶を呼び覚ました。それは一昨年の会社説明会でのこと。当時も人事採用担当だった小堀さんが、パワーポイントを用いてそんなことを話していたっけ。まあ、休日の数については、会社ホームページの表記より大分下振れしているのだが。
「でもやじゃ」
加藤さんが言葉を付け足した。
「それで確かにみんな五日は有休を取れるようになった。でもそれ以外の有休は益々取り辛くなったんや。「毎年有休やってんだから別に良いでしょ?」ていう話。それに、その制度は悪用されることもある」
「というと?」
俺は続きが気になって催促した。
「これは実際に俺が経験した話なんだけど、店が改装される時に合わせて有休を使えって言われたんや。勿論、自分で使える有休のことじゃない。有休消化制度内での話や。そのおかげで、俺の冬休みもぱあになった」
「それっておかしくないですか?」
「やっぱおかしいよね。そん時の俺もそう思って、朝礼の時に、当時の店長に言い返したんだけど、後で店長に説教食らってんて。会社のことを考えろって」
言い終えると、加藤さんはコーヒーを呷った。過去の苦い記憶を紛らわせているようだった。
「加藤さんも色々苦労してきたんですね」
「そうねんて。だから渡君には期待しとるげんよ。もしかしたら会社を変えてくれるかもしれんって。ねえ、山さん?」
「おう!渡君ならできる!」
「もう、適当に相槌打たないでくださいよ高山さん」
俺は思わず照れた。
期待されるというのは妙な感じだ。言い表しにくいが、何だか踊らされている気分なのだ。それが操られている故なのか気分が高揚している故なのか定かではない。
だが、悪いものではない。その証拠に、俺たちは笑っている。心の底から笑っている。それは、俺の知るどんな薄気味悪い笑みとも違う、純真なものだった。
「そう言えば、渡君明日研修だっけ?」
不意に加藤さんが言った。
「あれ?そうでしたっけ?」
自分のことながら、俺は全く記憶していなかった。
「シフトにそう書いてあったよ」
「ぇええ。渡君、明日研修なん?」
高山さんが相変わらずの戯けた裏声を出した。一抹の寂しさを感じているようだった。
「はあ、どうせ碌な内容じゃないですよ」
俺はため息を吐いた。これまで受けてきたセミナーを思い返せば自ずと分かる。
きっと明日も、ぬるい理想に浸かりきった、しょうもない内容が披露されるに違いないのだ。
コーヒーを飲み終え、俺たちは作業所へと戻ることにした。
建物に入る前に、チラッと外を見る。
秋も晩秋に差し掛かり、日はあっという間に落ちて、既にあちこち家屋で明かりが眩しく輝いている。俺たちはみんな、その光の下で生きている。その生活が、研修の内容の様に理想的なものであれば良いのにと、俺は心の底から思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます