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「はあ……」
俺は、店の裏を流れる川を眺めながらため息を吐いていた。
今日は上司に殴られ、面倒くさい客に罵られと、大変な一日だった。
こんな日くらいは、きっちり休んでも良いだろうと思い「ちょっと失踪します」と加藤さんに告げて、トラックヤードの脇にある、コンクリートの小さな階段に腰を下ろしたのだった。
今し方買った微糖の缶コーヒーを呷る。相変わらず苦い。苦いが、それ以上にカフェインの恩恵を感じた。
入社して一番変化したことと言えば、心境とかではなくて、それまで全く飲めなかったコーヒーを飲むようになったことだろう。まあ、無糖は未だに飲めないのだが。
それにしても、コーヒーを飲みながら外の景色を見るのは良い。慌ただしい店内とは打って変わって、遠くにある小さな山の連なりが夕日に照らされ、手前では鴨がゆっくりと川を漂うのどかな光景は、俺の心に安らぎを与えてくれる。
俺は地元が好きだ。理由を上手く説明できないけど好きだ。
だが、そこに人間は含まれていない。俺はここで生まれ育ったのだから、俺の知る人間のほとんどはここに集約されている。その経験を踏まえて、
「地元の人たちの為に働きたいと思いますか?」
と問われれば、俺は間違いなく「いいえ」と答える。
随分と貧しい人間関係を築いてきたものだ。
しかし、そもそも個人の交友関係は、思った以上に限定されているらしい。
最近知ったことだが、人一人が同時に持てる親友の数には限度があるそうで、新たに親友ができた時、人はそれまでの親友の中から、誰かを親友のカテゴリーから外すのだとか。
ならば、単なる友達ならばどうだろう。
果たして、友だちを百人作って富士山の上でおにぎりを一緒に食べることができるのだろうか。
俺は無理だと思う。きっと親友と同じパターンで、錆びた人間関係から断ち切っていく。実際、そうしてきたのだろう。
だから、どうでもいい人や嫌いな人が多いのは当然のことなのだ。
都会に行けば、そんな人々が周りに犇く。
単に増えるだけなら良い。問題なのは、そんな人々が俺に害を与える可能性があるということだ。
だからだろう。人がトレーの様に溢れている都会には行きたくなかった。都会に行くと、そんな人たちに揉まれ、きっと疲れ果てて死んでしまうと思ったのだ。
……そう考えると、嫌な答えが出た。
「俺は、ここでしか生きられないから、地元が好きなのだ」
そうは言っても、俺は既に疲れている。こんな矮小な人間関係、会社の中で疲弊している。
俺は地元ですら満足に生きられないのかもしれない。
「クソッ」
俺は缶コーヒーを飲み干した。
もっと飲んでやりたかったが、缶の中が先に空になってしまった。
それでもまだ時間はある。俺はもう少しのどかな風景を見ることにした。
暫くして、後ろの方から何かが近づいてくる音が聞こえた。よく聞いてみると、それはトレー同士が擦れる音だった。このトラックヤードは、回収されたトレーの集積地も兼ねているから、それを置きに来たのだろう。
姿が見える。
浜部さんだった。
浜部さんは何とかして、トレーの入った大きな袋を持ち上げて、上へと積み重ねていた。
それを横目で見ていると、浜部さんもこちらに気づいた。
目が合う。
少し間が空いて、彼女が近寄ってきた。その彼女の顔を見て、疲れ気味というか不満げというか、いつもの笑顔ではないなと、俺は呑気に思った。
「ねえ渡君、暇ならどうしてトレー回収しないの?青果の仕事でしょ?」
まさか、浜部さんに詰問されるとは思っていなかったので、トレー回収はレジの仕事だと言い返すことができなかった。
俺が答えあぐねていると、浜部さんが貶してきた。
「レジの先輩たちはみんな言ってるよ。青果部の男どもはだらしない。真面目に働いていないって。今日も売変ミスを起こしたそうじゃない。いつも迷惑ばかりかけているんだから、これぐらいちゃんとやってよね。私たち忙しいんだから」
言いたいことを言い終えると、浜部さんはスタスタと店内に戻っていった。
唖然とした俺だけがその場に取り残される。
なぜ、俺は浜部さんに糾弾されたのだろうか。
俺はただ、休憩時間内にコーヒーを飲み、外の景色を眺めていただけだ。
トレー回収だって、青果部の仕事ではないし、それにも拘らず、暇があれば、俺たちは他の部門よりも積極的に回収している。
それなのに何故、俺はこんなにも惨めな思いをしなくてはならないのか。
どうして俺は、あんなどうでもいい人たちに心を砕いていたのか。
遣る瀬無い思いに耐えきれず、俺は髪を掻きむしり、近くに置いていた空き缶を川の方へ投げ捨てた。
悠々と泳いでいた鴨が、忙しなく飛んで行った。
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