十月ももう終わろうとしている。

「スーパーで働いていると時間が経つのが速いげん。あんたもあっという間に年取るよ」

 いつだったか、誰かにそう言われたが、本当に速いと感じる。

 四号店に来てから四ヶ月が経つ。その間に俺は多くの業務を覚えた。勿論、それは全て基本的なことで、重要なことはまだ教えられていないが、もはや足手纏いではない。

「渡さんキャベツ切っといて」

「もう切ってありますよ」

 田代さんの言葉に、俺は予め切っておいたキャベツの方を指さした。

「おおナイス」

 田代さんはそう言うと、そそくさとキャベツに値段をつけてスイングドアを開けて行った。そろそろ椎茸とか玉ねぎも持って行って欲しかったんだがなあ。

「田代!椎茸と玉ねぎも無いぞ!」

 スイングドアが閉まる前に、売場の方から桜戸さんの声が聞こえた。相変わらず、桜戸さんは、田代さんに対して当たりが強い。他の誰にも手を出していない分、田代さんを弄り倒している印象だ。

「ああもう!何なんあいつ!」

 田代さんは怒りながら戻ってきた。注意されたことが癇に障ったらしい。

「まあまあ、そんなに怒らないで下さいよ。桜戸さんは弄りたいだけなんですから」

「弄られる側にも限界があるんです!」

 田代さんにそう言われて、俺は宥めておきながら、尤もだと思った。俺も小学校の時に変なあだ名を付けられて怒ったことがあるが、その経験から、弄る側はその反応を面白がっていることを知っていた。

「でも、感情を露わにすると向こうの思う壺ですよ?」

「じゃあどうしろって言うんですか?」

 田代さんに聞かれて、俺は言葉に窮した。無視したとしても、桜戸さんが手を出さなくなるとは限らないし、田代さんは弄られる性格をしているんだと言えば元も子もない。

「桜戸さんも困った人ですねえ」

 仕方ないので、俺は田代さんに同調しておくことにした。

「お疲れ様でーす」

「お疲れ様です」

 スイングドアが開かれると同時に挨拶が飛んできて、俺と田代さんは、誰かも把握せず反射的に返事をした。入ってきた人物を確認すると、それは人事係長の小堀さんだった。

「やあ渡君。元気にしてる?」

「ええ、まあ。今日はどうしたんですか?」

「今日は田代君に用があってね」

 小堀さんはそう言うと、田代さんの方を見た。田代さんは、何の用があるのか分かっていない様子だった。

「ちょっとお田代お。あ、お疲れ様です。」

 売場から桜戸さんが戻ってきて面食らった。小堀さんが来ていることは、桜戸さんも知らなかったようだ。

「お疲れ様です。丁度良かった。桜戸さんも聞いてください」

 小堀さんは桜戸さんにも声をかけ、もう一度田代さんを見た。

「田代君。君には十一月から三号店に行って欲しいんだ」

「え?」

 何も知らされていない俺たち三人は驚いた。

「ちょっと待ってください。ただでさえ人員がカツカツなのに、田代君まで抜くだなんて、僕らにどうしろって言うんですか?」

 桜戸さんが不満を滲ませながら言った。

「その点について桜戸さんと話がしたいんですけど、今大丈夫ですか?」

「……わかりました」

 小堀さんが先を行く形で、二人は作業所から出て行った。残された俺たちは、突拍子もないことに戸惑い、どう話して良いかも考えられなかった。とりあえず仕事をしなければ。俺たちは作業へと戻った。

「どうですか、感想は?」

 暫くして、俺はバカな質問を口にした。田代さんの感想を聞いたところで、異動がなくなるわけじゃないし、ネガティブなことを口にされても反応に困ってしまう。だが、他に何を聞けば良いかも分からなかった。

「まあ、三号店はここより忙しくないし、残業も少なそうだし嬉しいかな」

 田代さんは複雑な笑みを浮かべていた。

 本心では、このクソ忙しい自転車操業から解放され、更に弄ってくる桜戸さんから離れられることを喜んでいるのだろう。その一方で、自分が抜けることで問題が生じるのではないかと心配している様子だった。

「向こうへ行っても頑張ってくださいね」

 俺は笑い返した。

  立つ者に後顧の憂いを与えてはいけない。それが常識だ。問題が起きるのは必至だが、それは決して田代さんの責任ではないし、彼個人に非はないのだ。

 だから笑った。

 だが、田代さんが本当はどう思っているかなんて、俺には分からない。

 想像することはできる。しかし、それは俺個人の想像であって、本当にそう思っているのかを知る由はなく、答えはいつまでも不透明なままだ。

 昔は、空気が読めない奴だとよく言われた。それは少し違っていて、俺は上澄みの空気を読もうとしていなかった、というのが事実に近い。だが、人はそれをKYと言うのだろう。

 それがいつしかコンプレックスとなり、コミュニケーションは悩みの種となった。

 人は、そんな奴には冷酷だ。

 当然のことだ。

 コミュニケーションの取れない奴がコミュニティの構成員となれるはずがないし、人は本心を隠す生き物だ。それを晒したり、想像するような奴は敵以外の何者でもない。

 だから、俺は、人の目を見るのが怖い。目が合うと、想像した内心が向こうからやって来るのだ。

 そして、内心を知っていることがバレて、相手の顰蹙を買うのではないかと、いつも不安に思うのだ。

 その目がいつ俺に牙を剥くのか。今日なのか、明日なのか。それとも、実は既に駆逐されつつあるのか。

 恐怖を紛らわすために、頼れるものに縋ろうと思っても、何も無い。

 俺は自分自身すら信用できない。俺自身もまた、考えの不透明な人間なのだ。

 だから俺は、笑顔の裏で、子どもの様にいつも怯えているのだ。

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