第5章 軋む歯車
⑴
ふと、考える暇があった。
俺は確か、今ほど昼食を取ったのだったか。休憩室のテレビでは、昼の情報番組が流れていて、いつも通り、政策の新型ウイルス対策が批判されている。
本当に、政府が規制を強化すれば飲食店の苦境を訴え、感染が拡大すれば政府の甘さを糾弾する姿勢は、如何なものかと思う。同時に両方を解決できると考えていることがそもそもの間違いなのだ。
まったく、無駄で滑稽なお喋りだと思う。
テレビに見飽きて、徐に日記帳を開いてみる。見ると、最後に記入してから二週間以上経過しており、その期間のページは空白のままとなっていた。
はてと、首を傾げる。全く二週間経った気がしない。仮に二週間経っていたとして、この二週間、自分は何をしていたのだったか。
特に思い出せない。休日が三日ほどあったはずだが、記憶が文字通り空白だ。
だがきっと、寝て起きてぼうっとして仕事をしていたのだろう。
……仕事か。スマホに表示されている時刻が目に入る。
そろそろ業務に戻らなければ。
「渡君、もう六時過ぎてるし帰ろう」
加藤さんに言われて時計を見やる。
確かに六時を過ぎている。いや、分針はとっくに0を通り越していて、今や六の文字盤に触れつつあった。
タイムカードを切りに行く。この会社の残業は三十分単位で付けられているが、定時から三十分が過ぎてタイムカードを切っても、特に何も聞かれずに定時で勤怠がつくらしい。
そのくせ、一分でも早く切ると、すぐ反応があるというのだから笑える。
「渡君先帰ってて良いよ」
「加藤さんも帰りましょう」
「まだやることあるげんて」
作業所に戻ろうとする加藤さんを引き止めようとしたが無駄だった。
やることは常にある。勤務中にも、勤務時間外にも。その日も偶々勤務時間外にやることがあった。仕事は見境なく溜まり続けている。
俺は加藤さんの好意に甘え、後ろ髪を引かれる思いで帰った。
家に着いたのは夜の七時頃だった。
また、一日が終わってしまった。
もしかしたら「まだ夜は長い」と言う人もいるのかもしれないが、太陽が昇ってから沈むまで働いていると、家に帰っても、何もやる気が起きないのだ。
俺は、家財道具で散らかった部屋の電気とテレビを付けた。
と言っても、これといって見たい番組があるわけではない。
何の音もしないのは寂しいし、強いて言うなら、最近の世事を知らないのはマズイから、ニュース番組でも見ようと思っただけだ。
まあ、重大ニュースなんてものはそうそう無い。テレビは相変わらず、新型ウイルスのニュースで埋め尽くされていた。
晩飯と洗濯は、まあ良いか。
俺はシャワーと歯磨きを済ませると、さっさと寝巻きに着替えて、布団に腰を下ろした。
寝る準備はこれで万端だが、まだ少し早い。
俺は徐にスマホを手に取った。
その調子でラインを確認してみると、懐かしい研究室の同期のグループで会話が弾んでいるようだった。
「次のニュースです。今日午後、俳優の三枝宗馬さんが自宅で死亡しているのが発見されました。自殺と見られています」
テレビに目を移すと、とある俳優の突然の死が報道されていた。アナウンサーの口ぶりから察するに有名な俳優のようだが、俺にとっては全く知らない人物だった。
俺は再びスマホに目を落として、グループのアイコンをタップした。
「三枝宗馬自殺だってよ」
「え、マジ⁉︎」
「マジマジ」
「映画とかで結構見たことあったからショックだわ」
「順風満帆に見えても、悩み事とか多かったんかね」
「そうかもなあ。俺も鬱だ。人外と共に時間を浪費する人生」
「また日本語通じない滞納爺に遭遇したか」
「明日も「皇道の本義」を説く仕事をせねば……。皇道の本義、それ即ち迅速な納税!」
「何だその昭和にしかいなさそうな右翼」
「滞納したら叩き切る」
「ぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「いつもの発狂」
「今日はまだ月曜やぞ」
「課長を○すと決めた」
「一体何があった……」
夕方頃から打たれ始めたメッセージが、時間を開けながらも更新されていく。
何だかんだ言いながら、あいつらも生きている。
面白い文章を見てそう思った。
……寝るか。
俺も何か書いて話に混ざろうとは思えなかった。
俺の稚拙な観察眼によると、人は、あまりに疲れていると、発狂するか黙るかのどちらかの行動を取るようだ。
俺自身は黙るタイプだった。
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