七月、火曜日。

「ああもう終わらない!高山さんは⁉︎」

 年下の先輩、田代さんが売場から戻って来るなり、そそくさと尋ねた。

 田代さんは、高校卒業と同時にサンカイに就職して、現在二十一歳。俺の二つ下だ。

「多分タバコです」

 俺は田代さんを見ずに、キャベツを不器用に切りながら答えた。

「ったく!あの人はいつも!」

「田代ボーイ、そんな怒んなま。空気が悪くなるやろ」

 見かねた加藤さんが田代さんを軽く諌めた。

「別に怒ってません!」

「なんや田代。心に余裕のない男はモテんぞ」

 果物売場から戻ってきたチーフの桜戸さんが、怒る田代さんに茶々を入れた。

「独り身の桜戸さんには言われたくないですー」

「人を傷つける暇があるげんたら手を動かせ手を!」

 独り身という言葉に傷ついたのか、桜戸さんの声が大きくなった。

 桜戸さんは高山さんと同い年で、高山さん同様独身だ。高山さんは彼女を作る気が無さそうだが、桜戸さんは婚活をしているらしい。恐らく、四十手前にも拘らず、結果が出ないことに焦りを感じているのだろうと、俺は思った。

「それでボーイ、今何足りんがん?」

 加藤さんが尋ねた。

「あ、えっと……」

「何見とったんや田代。菌茸全般薄くなっとったでしょ」

 田代さんが答えに窮しているのを好機と捉えたのか、桜戸さんが意気揚々と詰った。

「あ、そうだった。ちょっと渡さん!高山さん来るまで手伝って!」

 田代さんは、桜戸さんに目もくれずに急いで俺を呼ぶ。

「はーい」

 俺は少し間延びした返事をして、カット台車に手を伸ばした。

 移動する前から散々言われていたが、やはり四号店は忙しい店だ。研修店舗とは物量が違いすぎる。特にイベントのある火曜日が忙しい。この日を狙って、お客さんがどっと押し寄せてくるのだ。しかも、新型ウイルスの影響によるまとめ買いの傾向があるそうで、並べた商品は次から次へと無くなっていった。

 ピンポンパンポーン。

「いらっしゃいませこんにちは。従業員の方はトレー回収お願いします」

 このクソ忙しい時に、他部門の誰かがそう言って、雑に放送を切った。声から察するに、相当慌てているようだ。

「渡さん、売場は俺に任してトレー回収に行って!」

 田代さんが言った。ついさっき手伝ってと言っていたのに、本当に大丈夫なのだろうか。俺は安心できなかったが、売場を田代さんに任せ、リサイクル品置き場へと向かった。

 着いてみると、そこはまさしくゴミの山だった。店では、発泡トレー、透明トレー、アルミ缶、スチール缶、ビン、牛乳パック、ペットボトルをそれぞれの籠に入れるようお願いしているのだが、ゴミが溢れ返ってからは置き場に困ったのか、お客さん達は一切の分別なくゴミを積み上げていったようだ。そのため、どこから手をつけて良いか分からない有様であった。

「ああ、来てくれてありがとう!」

 一人でこのゴミ山と対峙していたパートのおばさんが俺に気づいた。その声から、先程の放送はこの人によるものだと分かった。

「いえいえ。にしても、随分酷いですね」

「そうねんて。ホント来てくれて助かるわ」

 パートさんは、嬉しそうに笑った。マスクをしているため顔の全貌は分からないが、口角が上がっていたに違いない。

 人に喜ばれるのは嬉しいことだ。

 それから程なくして何人か集まり、時間をかけてゴミを片付けていった。すると、まん丸と膨れ上がった袋が十個もできた。俺はその内の二つを手にしてバックヤードへと下がる。去り際、後ろをチラッと振り返ると、パートさんは急いで買い物カゴの回収へと移っていた。

「トレー回収終わりました」

 俺は加藤さんに報告した。

「ぁああ渡君。田代ボーイと山さんが品出し追いついてないから、三人で品出ししてて。カットは俺がするから」

 ほとほと参っているのか、加藤さんは裏声を上げながら、俺に仕事を与えた。出す商品を確かめるために、加藤さんが切った野菜を台車に乗せて売場を見に行くと、確かに、売場は大変なことになっていた。

「ぁああ渡君、ちょうど良いところに」

 いつの間にか戻っていた高山さんが、頼りない声を上げていた。田代さんは、ブツブツと何か言いながら手を動かしている。そうしている間にも、売場はスカスカになっていった。

 

「ああ疲れた」

「疲れましたね」

 集中の糸がプツリと切れて、俺と加藤さんは、仕置きを作りながら疲労感に襲われていた。

 午前中の混雑からあっという間に昼下がりとなり、ようやくお客さんが引いていった。

 お客さんのピークは、午前と夕方にある。その狭間にある今は、俺たちにとって束の間の安息だった。

「加藤さん、やっぱり高山さんに言った方が良いですよ。昼にタバコ行かれたら店回らないじゃないですか」

 高山さんが休憩に行っている隙を窺って、田代さんが愚痴をこぼした。

「いやでも、山さんガソリン切れると更に鈍くなるし、注意すると凹むんや」

 加藤さんは、どうしよもないとかぶりを振った。

「じゃあ多数決取りましょうよ。渡さんはどう思うけ?」

 田代さんが俺に尋ねた。

 難しい話だ。確かに、クソ忙しい時にタバコ休憩をされては非常に困る。だからと言って、高山さんを無理に動かしても、後々になってそれが響いては意味がない。目先のことを重視するか、もう少し先のことを考えるか。あとは、上司の顔を立てるか。

「まあ、凹まれても困るし、このままで良いんじゃないですかね」

 俺は、少し間をとってそう答えた。田代さんは納得のいかない様子だが、多数決と決めた以上、それが全体の答えとなった。

「はい、この話はこれでおしまい」

 加藤さんが終止符を打った。その答えが正しかろうが誤りだろうが、多数決に従うのが民主主義の鉄則だ。数こそが正義。俺達には、そのルールが染み付いている。

 特に話すことも無くなり、俺たちは黙々と仕事を進める。俺と加藤さんが加工、田代さんが品出しだ。

「うわ、これ腐ってる」

 パックしようと手にとった段ボール。そこにはミニトマトが入っているのだが、その中の一部が白黴に覆われていた。

 一体いつのだろうと思い、段ボールを確認すると、そこには一週間前の日付が記されてあった。

 俺は腐っている部分を丸ごと捨てて、残りをパックした。一週間前の物を商品化することに抵抗はある。でも、これも仕事なのだ。善悪を議論する余裕はない。仕事は、文字通り腐る程あった。

「ただいま戻りましたぁ」

 休憩を終えた高山さんが、ゴマを擦りながら腰を低くして帰ってきた。一番先に休憩したことに気が引けて申し訳なく思っているという、高山さんなりのアピールだ。

「じゃあ次、渡君ね」

 加藤さんが言った。

「俺先じゃなくても良いですよ」

「良いから良いから。俺は休憩要らんし。田代ボーイも、多分要らんやろ」

 田代さんがどうかはさて置き、加藤さんは本当に休まない人だ。本人は「休憩すると調子が崩れる」といつも言っているが、それではいつか身を滅ぼす。労働基準法にも抵触する。

 しかし、俺が何度言っても、加藤さんは全く休もうとしない。加藤さんは野菜売場の責任者であり、責任感の強い人なのだろう。

 俺は今日も諦めた。

「じゃあ、俺先に行きますね」

 そう言って、俺は作業所から出ようとした。

「あ、渡君。休憩行く前に一つ自慢させて」

 高山さんが、休憩に行こうとする俺を遮った。こんなクソ忙しい日に、人の休憩を邪魔してまで自慢したいこととは、一体なんだろうか。俺は不承不承その場に留まった。

「どうしたんですか?」

「見てよこれ」

 そう言われて、俺は高山さんのスマホを覗き込む。そこには、格好の良い魚体が写っていた。

「黒鯛ですか、これ?」

「そうそう。この前餌で釣ったんや」

「すごいですね。結構デカくないですか?」

「おう、四十はくだらんな」

「へえ、すごい」

 お世辞でも何でもなく、俺は本当にすごいと思った。釣りをしたことは何度もあるが、四十センチもある魚を釣ったことは一度たりともない。その難しさは、自分なりに分かっているつもりだ。

「でさ渡君。次の釣りはいつにするけ。道具の心配はしなくて良いよ。また貸すから」

 どうやら、釣りに誘うことが高山さんの本心だったようだ。

「いやあ、流石に次は自前で道具揃えますよ。子どもじゃあるまいし。それまで待ってもらえますか?」

 半分本当で、半分嘘だ。

 確かに、釣りに行くからには道具を揃えたい。この前は初めてと言うことで厄介になったが、そう何度も道具を借りていては、稼いでいない子どものようで気が引けるのだ。

 その一方で、これは夜釣りをしないための言い訳でもあった。この前の釣りでは、ボウズだった上に、朝からずっと立ちっぱなしだったため、家に帰る頃にはフラフラになるほど疲れてしまった。

 できれば、あの経験を何度も繰り返したくはない。

「じゃあ、道具揃えたら行くことにするけ」

「すいませんが、それでお願いします」

 高山さんは残念がる子どもの様に声のトーンを落としたが、俺はそれに構っていられなかった。

 休憩時間は刻一刻と減っていることになっていた。

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