「私達は、会社の発展と個人の幸せを実現し、お客様の喜びと地域コミュニティの繁栄のために邁進する、という経営理念の元、一致団結して日々の業務にあたっています」

 思い出からふと我に帰ると、社長の祝辞が佳境を迎えていた。

 株式会社サンカイの本社四階、大会議室。役職持ちの人々が、俺たち新入社員の両脇に列をなして座っている。

 そんな俺たちは、先ほどまで右列前方に座っていたはず社長の祝辞を、正面から聞いているのだった。

 このような式典での祝辞は、佳境を最後に用意している。そこが話の趣旨なのに、そこに至るまでの過程がやたらと長いので、俺はつい昔のことを思い出していた。

 しかし人間、都合の良い所はスムーズに記憶しようとするようで、経営理念の話に入ると、俺は急に聞く耳を持った。

 そう、この経営理念に賛同したからこそ、俺はこの会社に入ったのだ。

 スーパーマーケットは、その地域の生活を支えるためのインフラだ。近年は、通販サイトの隆盛によって自宅での買い物が可能となっているが、食品の分野においては、いまだ店舗販売が主要形態で、特に、こんなド田舎でもない、そこそこの田舎に住んでいる人々は、小売店で日々の食材を買っている。

 多くの人は、腹に収まればなんでも良いと思っているかもしれないが、ただ食い物と言っても、なんでも良い訳ではない。人の健康は、その量と質に大きく左右されているのだ。

 そのため、食に責任を持つ仕事は、地域を支えることに直結し、俺の問題意識とも合致する。

 そして、俺の関心は、あくまで地元地域に貢献することだ。そのため、全国に展開するスーパーやドラッグストアなどでは、志望動機に乏しかった。

 そこで目をつけたのが、俺の地元でスーパーを展開する株式会社サンカイだ。なんでも、サンカイは高質スーパーを目指しているのだとか。他のスーパーと一線を画している風に見えたのも、ここを選んだ理由の一つだ。

 因みに、サンカイとは「山海」のカタカナ表記で、読みを分かりやすくしたものを、今の社長がそのまま社名にしたそうだ。それも今年から。去年までは、社長一族の苗字からとった村田商事だったが、この若い社長が不服に思ったのと、元々スーパーの名前がサンカイであったがために葬られたのだとか。

 今目の前で祝辞を読んでいるその社長は、まだ三十代だそうで、変化の激しい時代に必要とされる柔軟性を持ち合わせていそうだ。何しろ若いし。それに、ショートヘアで片方の前髪をいくらか垂らしている姿からは、知的で自信がありそうな印象を受ける。そして、スーツをビシッと着ることで、社長としてのイメージが完成されていた。

 しかし、完成度が高いあまり、肩書き以外の側面を窺い知ることができない。端的に言えば、雲の上の人。面接で初めて出会った時、それが社長の第一印象だった。そして、それは今も変わっていない。

「最後になりましたが、皆様がいち早く、節度ある立派な社会人となり、会社のために活躍してくれることを期待しております。」

 そう述べて、社長の祝辞は終わった。

「続いて、新入社員による謝辞。新入社員代表、渡健一!」

「はい!」

 人事部係長で新入社員採用担当の小堀さんの進行に合わせ、俺は勢いよく返事をした。

 緊張の瞬間である。何しろ、社長始め会社の重役たちの視線が俺一人に集まるのだ。緊張しないわけがない。

 俺はマスクを外し、震えそうになる手で紙を広げ、謝辞を読み始めた。

「謝辞。本日は、新型ウイルスが流行の兆しを見せる中、入社式を挙行して下さり、誠にありがとうございます」

 予め渡されていた定型分を読みながら、俺は社長の顔を見た。「読む練習はしてきましたよ」という小賢しいアピールだ。

 だが、俺の目は、思わず社長の目を捉える。

 瞬間。

「やっぱりちょっと緊張してるかな」

「頭はそこそこ良さそうだし、期待できる」

「けど覇気がないんだよな。坊ちゃん育ちじゃすぐ辞めてしまうかもな」

「てか、なんか話し方うぜえな」

 俺は内心を悟られないよう、自然に視線を紙へと戻した。

 別に、俺は人の心を読めるわけじゃない。ただ臆病なだけだ。

 日本人は、目から相手の感情を読み取ろうとするらしい。目は口ほどに物を言うとは、まさにこのことだ。因みに、欧米人は口を見るそうだ。だから、その文化的差異は、サングラスとマスクの着用率に表れていると思う。

 しかし俺の場合、読み取ろうとするのは相手の負の感情に限られる。

 笑顔で「面白い」と言ってはいるが、本当は「つまんない。こんな奴との会話はもう懲り懲りだ」と思っているのではないか?

 「また明日」と手を振っても、「また明日顔を合わせなきゃいけないのか」と、言葉が続くのでは?

 本当にそう思っているかどうかは分からない。勝手な被害妄想なのかもしれない。そうあって欲しいと毎回信じている。

 だが、一度不安になり出したら、もう止めようがないのだ

 もうその後のことはよく覚えていない。「サンカイの魅力を発信していきたい」とかルーキーばりのフレッシュな発言をした記憶が微かにあるが、邪念が全て帳消しにしてしまった。

「以上で、入社式を終了いたします。以後、新入社員の皆様は研修店舗の店長と打ち合わせをしますので、それ以外の方は退席してください」

 小堀さんの案内で重役たちは退席し、入れ替わりで、各店の店長たちが入ってきた。

 俺の同期は六人。大卒が四人の高卒が二人だ。最初は、みんなバラバラに配属されるのかと思ったが、俺は同期の浜部さんと共に、五号店への配属となった。

 浜部さんは眼鏡をかけておっとりとした感じの人だ。身長が低いにも拘らず、なんと言うか、そう、豊満なボディを有しているから、そう見えるのだろう。私立の大学を出たそうで、俺とは同い年だ。

「初めまして。私は沢村と言います。これから二人のことをしっかり見ていきますので、どうぞよろしくお願い致します」

 沢村店長は、ガニ股で歩くきっちりかっちりした人だった。明日からの研修の打ち合わせは、沢村店長主導の下、つつがなく進んだ。

「それでは、打ち合わせを終わります。二人とも、明日から頑張っていきましょう!」

「よろしくお願いします」

 打ち合わせが終わり、今日の予定は全て終了した

 荷物をまとめて席を立つ。

 会社にいる用事も無くなったので、俺は帰ることにした。

「あ、渡君渡君」

 帰ろうとする俺を誰かが呼び止めた。振り返ると浜部さんがいた。

「渡君。これから一緒に頑張ろうね」

 浜部さんは、胸の前で拳を二つ作って俺に見せた。明るい人だと思った。

「うん。よろしく」

 俺は、浜辺さんと目を合わせないように、されど、顔をできるだけ逸らさないようにして、そう言った。

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