⑵
「次のニュースです。新型ウイルスの拡大は、雇用にも暗い影を落としています。観光業や飲食業など様々な業種に影響が広がる中で、政府の経済対策が行き届くのか……」
車のディスプレイからは、テレビの音声が流れていた。手の届く範囲で買った中古車だが、脇見運転対策が施されていて、運転中はテレビの映像が流れない。だが、映像を想像することは容易い。きっと、沈痛な面持ちをした女性アナウンサーが映っているのだろう。
世界は、ウイルス一つで変わりつつある。
去年の初冬に発生してから半年を経ずして、それは世界各地に広がった。人々は、他人との接触を避ける生活を余儀なくされている。
日本でも、ウイルスは確実に拡大している。今日も、とある大学でクラスターが発生したとの報道があった。また、先日には著名な芸能人がウイルスのために亡くなった。
俺は情報収集に疎い。卒業論文に集中していたのもあるが、新型ウイルスのことだって、知ったのは二ヶ月ほど前のことだ。にもかかわらず、今ではこうして多くのことを知っている。全てはメディアのおかげだ。
それでも、これから初出勤をしようというタイミングで、解雇の報道をするのは勘弁してくれ。不遇な人々の現状を世間に知らしめるのは結構だが、俺のような新入社員の心情も理解してほしいものだ。
俺は、慣れない手つきでテレビを切った。ノイズが一つ減り、車内にはエンジン音とタイヤの摩擦音が響く。それから、俺のため息も。
赤信号に出遭い、車を停める。
ブレーキを急に踏んだため体が揺れる。また、ため息が出た。どうやら、会社に辿り着く前にもう疲れてしまったようだ。思わず、右手で両眼を覆った。
「こんなことでどうする」
そう自分に言い聞かせた。
少しして瞼を開けると、信号は既に青く点っていた。慌ててアクセルをふかす。バックミラーに目をやると、随分と印象的なマスクをした女の運転手が、不機嫌な顔をしているように見えた。
「まさか、こんなことになるとはな」
派手なマスクを見て、俺は先程の報道を思い出した。
本当にまさかである。新型ウイルスが流行していることも。マスク不足に陥っていることも。こうして会社を目指していることも。車をちょっと運転しただけで疲れていることも。
去年の今頃は、思いもよらなかった。
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