第33話 多神夕美4
生徒たちが抱えている悩みや願望は、自然と多神夕美に所に集まってきた。が、困ったことに、そういった手紙を無責任にゴミ箱に捨ててしまってもいいものか。彼女には、煩わしい悩みができた。自分一人では、どうにも判断できないと悩んだ。取り敢えずそういった手紙は、捨てずに取っておくことにした。
「多神さん、ちょっとよろしい。この筆跡に見覚えがおありかな?」
おかしな口調で、多神夕美に手紙を見せたのは、眼鏡を掛けた女子生徒だった。笹原志乃とその後ろに鈴井凛花の顔が見えた。彼女は、笹原志乃の手にした手紙をじっと見詰めた。彼女がもらうレターセットにあるような、それも飾り気のない封筒だった。封筒には、鈴井凛花様と表書きがしてある。しかし、それだけでは判断が付かなかった。
「中、見てもいいの?」
笹原志乃は、少し躊躇う顔をした。鈴井凛花と顔を見合わせ、頷いて同意を得た。笹原志乃は、彼女にその手紙を渡した。彼女は封筒から便箋を取り出して、目を通した。
鈴井凛花、俺と付き合ってくれ。
どこを探しても、差出人の名前が見当たらなかった。多神夕美は、毎日もらう手紙の文面を一々を覚えているわけではなかった。それでも短い文章だったから、たまたま記憶に残っていた。筆跡までは分からないが、豊田弘樹の文面と酷似していた。
「豊田弘樹じゃなかと思うけど」
彼女は、笹原志乃の眼鏡越しに瞳を覗いた。手紙はもう捨ててしまったから、確かめることはできないが、それでも豊田弘樹の手紙に間違いないと確信した。
「やはりな」
笹原志乃はある程度、差出人を予測していたと見え、多神夕美の返答に大きく頷いた。
「あやつ、多神さんにも告白文を書いたのだな。それを調子に乗って、凛花にも書いたのだ」
「それにしても、凄い手紙の数だね」
鈴井凛花が、彼女の机の上を感心したように眺めた。机の上には、二三十通以上の手紙が整然と積み重ねられていた。
「それが最近妙な手紙が交ざっていて、困っているの」
「それって、願い事を書いた手紙でしょ」
「どうして、それを?」
彼女は、その事は誰にも打ち明けたことがないから、鈴井凛花が知っていることが不思議だった。
「それね。誰が言い出したが知らないけど。噂になっているの。多神さんに手紙を出せば、願い事が叶うって」
なるほど、それでおかしな手紙が増えたことに合点がいった。
「そうだったんだ。でも正直困っているの。そういった手紙を、ゴミ箱にポイしてもいいのか」
「そうだな。人の願いが籠った手紙を、心なく捨てるのは気が引けるからな。どうだ。手紙神社に奉納してみては」
「手紙神社?」
多神夕美はこの町に住んで十数年になるが、聞いたことがない神社の名だった。困った時は神頼みというが、まさにこの事だ。その神社は、彼女の通学路から近い所にあった。願い事が書かれた手紙は、一日に三十通ほどで、毎日神社に通ってもそれほど苦にはならなかった。
気を付けて見ていないと、見落としそうなほど、小さな神社だった。住宅地の中にひっそりと数十段の石段を上って、石の古めかしい鳥居を潜った所に、鈴の音が聞こえてきそうな、荘厳なお社が建っていた。
多神夕美への手紙のほどんどが、彼女への告白だったが、願い事を書かれた手紙も、変わらず減らなかった。彼女は告白の手紙は、教室のゴミ箱に捨てて、願い事を書いた手紙は、全てその神社に納めることにした。彼女は手紙を神社に納めて帰る時には、何かとてもいい事をしたような、清々しい気分になった。
手紙の中に、脅迫文が紛れていたのは、ある日のことだった。新聞や雑誌を切り抜いた文字で、こう記されていた。
ぼくは、君の物を奪う
それは犯行予告だった。当然、犯人が名乗るはずがない。名前も宛名も記されていなかった。多神夕美はその手紙を手に取って、しばらく怪訝そうに眺めていた。彼女はこれまで、こんな脅迫めいた手紙をもらったことはなかった。困ったことになったと思った。今まで彼女の日常だった手紙が、悪になってしまった気がした。こんな一通の手紙で心が掻き乱されるなんて、想像もしていなかった。
本当に彼女の物が取られてしまうのだろうか。しかし、彼女の物とは何なのか、多神夕美には心当たりがなかった。取られるとしたら、体育の時間か生徒のいなくなる放課後くらいだろう。休み時間は人目もあるし、彼女は席に着いている。一体どうやって盗むのだろう。想像が付かなかった。
そうやって多神夕美が心を悩ませている間に、犯行が行われた。彼女の物は盗まれなかった。盗まれたのは、同じクラスの国見久子の机と椅子だった。机と椅子が盗まれたのに、担任の先生はその事を気にも留めていなかった。彼女の他にも、鈴木凛花の元に犯行予告の手紙は届いたと聞いた。
「結局、誰が国見の机と椅子を盗んだのか、分からなかったんだ」
「まあ、それはそうだろう。見つかったらクラス中から袋叩きだからな」
「うーん。ただ考えられるのは、国見に好意を抱いていた気持ちが屈折したのか、それとも彼女を困らせる悪戯のどちらかだな」
「おい、多神。幾らなんでも、そんなおっちょこちょいはいないだろ」
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