第32話 多神夕美3

 多神夕美はそんな事は少しも気にせず、次の花柄の封筒を手に取った。便箋も花柄だった。そこにはわずかな文章と、彼女の似顔絵らしい絵が添えられていた。文章には、「君は、ぼくの下手な絵より何万倍も綺麗だ」と書かれていた。下手な絵とは謙遜だろう。過剰に美化された絵が、彼女と似ているかは置いておくとして、似顔絵は確かに上手かった。これほど上手く描ける生徒は、クラスに何人もいないはずだ。しかし、彼女はその手紙を黙殺した。絵が上手いかは、どうでも良かった。


 手紙なのだから、下手な文章でも言葉で伝えて欲しかった。多神夕美は、次々に手紙を取って開いていった。十九通に目を通したところで、先生が教室に入ってきた。もうホームルームが始まってしまう。十九通の手紙の中に、彼女の心を揺さぶる言葉は見つからなかった。彼女はハサミをケースに入れて、読んでいない手紙と一緒に机の中へ仕舞い込んだ。


 多神夕美はどんなに手紙の数が多くても、目を通すのに時間が掛かったとしても、ホームルームの時間や授業中に手紙を開いたり読んだりすることはしなかった。授業中にそんな事が見つかってしまえば、面倒な事になると分かっていたし、勉学をおろそかにしようとは考えていなかったからだ。それなら、まだ手紙を読まずに捨ててしまった方が増しだと思っていた。それでも、彼女がもらった手紙を少しも読まずに捨てたことは、一度もなかった。彼女は一日に大量の手紙をもらうことで、傲慢になることもなかった。むしろ手紙をもらうことは、有り難いと思っていた。


「多神、大量の手紙をもらって大変じゃないか?」

「でも、授業中に読まないのは偉いよな」

「そういうルールを決めているのか」


 予鈴がなって、休み時間が始まると、多神夕美は机の中から手紙とハサミを取り出して、封を開け始めた。休み時間はずっとハサミを使っていたから、指が痛くなったが苦ではなかった。


 多神夕美は、その日にもらった手紙はできるだけ、その日に読もうと心掛けていた。それで、放課後の教室で一人、手紙を読んでいることが多かった。いつまでも手紙と格闘しているわけにもいかなかった。それでも、読み終えなかった手紙は机の中に入れて、家に持ち帰ることはしなかった。日に日に机の中に手紙が溜まっていくが、それは何とか頑張って読むようにしていた。


 放課後、多神夕美は手紙に目を通していた。突然の声に驚かされた。声変わりした男子生徒の声だった。夢中で手紙を読んでいたから、しばらく気づかなかったのだろう。三度、彼女の名前が呼ばれた時に、初めて顔を上げた。同じクラスの豊田弘樹が、頬を強張らせて、机の前に立っていた。

「多神、あのな。ちょっといいかな。話があるんだけど」

「話って、何? 私、今忙しいんだけど」

「話というのは、俺と付き合って欲しいんだよ」

 それは、予め用意された言葉のように、迷いのない声だった。迷いのないのは、多神夕美も同じだった。彼女は、はっきりとした声で答えた。

「私は、手紙以外の告白は受け付けていないの」

 今度は、思いもしなかった彼女の返事に、豊田弘樹は明らかに動揺の表情を見せた。振られるでもなく、受け付けていないというのは、どういう意味だと混乱した。


「多神、それってラブレターしか受け付けてないってことかよ?」

「あなたの気持ちは、全て手紙に書いてね。分かった。それじゃあ、私忙しいから」

 多神夕美はまたハサミを手にして、手紙の封を開け始めた。豊田弘樹の声が聞こえていないほど、彼女は手紙を読み耽った。


 多神夕美の忠告通り、豊田弘樹は手紙に彼女への思いを綴って、靴箱に入れておいた。彼女の靴箱は探さなくても、手紙で一杯だったから間違えることはなかった。が、その反面たくさんの手紙に中に、自分の手紙が埋もれてしまうことが、豊田弘樹は心配だった。


 多神夕美はたくさんの手紙の中に、豊田弘樹の手紙を見つけた。他の手紙と区別なく、さっと目を通して、読んだ手紙の山に入れてしまった。


 それは「多神夕美、俺と付き合ってくれ」と便箋の真ん中辺りに書かれた短い文章だった。他の手紙の文面に比べれば、明らかに見劣りする文面だった。豊田弘樹の一通前に開いた手紙には、便箋の上から下まで彼女への思いが連ねてあった。豊田弘樹の一通後に開いた手紙には、便箋二枚に渡り彼女をどれほど好いているかが綴られていた。それだから、かえって目立ったのかもしれない。が、それを彼女は、特別扱いしなかった。豊田弘樹も彼女に一日に届けられる手紙の数を見て、脈があると最初から思っていなかっただろう。当然、返事はなかったから、諦めは付いたはずだ。


 豊田弘樹から手紙をもらったせいではないが、多神夕美はその頃から妙な手紙を、手紙の束から見つけるようになった。最初はそれも一通や二通だった。それが段々と増えてきて、日に二十通も上ることがあった。その中のほとんどが、何か願掛けするような文面だった。多神夕美は、自分を神様か何かと勘違いしている人がいると思った。彼女に手紙を出せば、願いが叶う。誰かがそういう噂を流したのだと疑った。


 勉強ができますように。素敵な彼氏ができますようにしてください。宝くじが当たりますように。県大会で優勝できますように。痩せますように。幸せになりますように。


「それって、誰かが噂を流したんだろう」

「多神に手紙を出せば願いが叶えられるって」

「悪戯じゃなくって、本当にそう思っているのさ」

「手紙の神様なんて、誰も思ってないさ」

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