第31話 多神夕美2

 授業で習った、短歌を添える手紙も意外に少なくなかった。自分の言葉で伝えるよりも、そういった気取った言葉で飾ることが格好いいと思っていたからだ。多神夕美は、こういった手紙も評価しなかった。丁寧に折って、紙飛行機にした。教室の後ろのゴミ箱に、真っ直ぐに飛ばした。紙飛行機は、なかなかゴミ箱の中に入らなかった。そういう時は、それを見つけた誰かが、そっとゴミ箱に入れた。自分が出した手紙が、他人の目に曝されるのを恐れたからだろう。


 知識は豊富であっても、使い方に慣れていないことが、余計にセンスのないことを際立たせた。付け焼き刃では、恋歌を歌った昔の歌人のようにはいかなかった。


 多神夕美に届けられる手紙のほとんどが、彼女を好いているという文面か、彼女と付き合いたいという文面だった。中には、ただ彼女の魅力を綴った手紙も少なくなかった。どうにか彼女に気に入られたいがために、必死に書いた文章だった。みんながみんな詩人や小説家ではない。むしろそっちの方が希少だった。拙い文章で気持ちを伝えるのは難しかった。


 気持ちの籠っていない手紙に、多神夕美はうんざりしたが、幼稚な文章を馬鹿にしたことはなかった。ただ淡々とぴかぴかのハサミで手紙の封を切って、手紙に目を通した。彼女の休み時間は、その作業の繰り返しだった。気づかないうちに机の上が手紙で山積みになって、うっかり手紙の山を崩してしまうことがあった。彼女は形の良い耳に髪を掛けながら、ゆっくりと立ち上がる。床に散らばった手紙を拾って、机の上に戻す。


 多神夕美は、圧倒的に人気があった。休み時間になると、他のクラスの女子生徒が彼女の所にやって来て、これ頼まれたのと言って、十通ほどの手紙の束を渡した。彼女の机の上には読んだ手紙と、読んでない手紙で一杯になった。


「なあ、多神。俺の手紙、混ざってなかった?」

 男子生徒が多神夕美の隣に立って、声を細め秘密を打ち明けるように聞いた。彼女は男子生徒の顔をじっと見て手を止めた。上目遣いに、何を言い出すのかという表情をした。

「宛名の違う手紙なら、本人に届けているはずだけど。私宛なら、もう開いてしまったよ」

 彼女は言下に、止めていた手を動かし始めた。

「だったら、いいけど」

 男子生徒は、釈然としない様子で立ち去った。たまにこういう、何か口実を作って彼女に話しかけてくる生徒がいた。が、彼女はいつも持て余すほどの手紙で忙しくしていたから、相手にしなかった。


 机の中を手紙で一杯にすることは、多神夕美にとって、学校の成績が優秀であるのと等しいくらい、誇らしく思っていた。彼女は授業中に手紙を読むことはしなかった。失踪者の郵便受けくらいに、手紙が机からあふれていても、少しも気にしなかった。机に入らなかった分は、机の端に積み上げたり、鞄に突っ込んだりしていた。


「多神、お前も毎日大変だな」

「きっと郵便局で働けると思うぞ」


 多神夕美は、読み終わった手紙は惜しまず、教室のゴミ箱に捨てた。これには、彼女は少し心苦しい気持ちが起こった。折角手紙を書いてくれた本人に悪い気がした。が、そうしないと、もらった手紙で彼女の机の周りは、身動きが取れなくなってしまうから仕方がなかった。手紙は毎日、彼女の所に五十通近く届けられてくる。それに家へ持ち帰ったとしても、どうせ捨てるのだから、学校で捨ててしまっても同じことだった。


 多神夕美が登校してくると、上段の靴箱に扉が閉まらないほど、様々な種類の手紙が押し込まれていた。靴箱は生徒一人に一箇所と決められていたから、無理矢理入らない所へ、手紙を差し込んだのだ。毎日のことだったから、彼女は持ってきた紙袋に、慣れた手付きで手紙を詰めていく。たちまち紙袋が一杯になって、ようやく上履きが見えてきた。彼女は溜め息をついた。それでも、彼女は満足だった。颯爽と階段を上って、教室へ向かった。


「おはよう。今日は随分と多いね」

 友達が、多神夕美に明るく声を掛けた。紙袋からあふれそうな手紙の数に驚いている。彼女は屈託のない笑顔で紙袋を掲げて、おはようと返した。長話する暇もなく、彼女は窓際の席に着いた。腕時計に目を落とした。


 ホームルームが始まる前に、二十通は手紙に目を通しておきたいと、机の中からケースに入ったハサミを取り出した。ちょきちょきと手紙の封を開け始めた。手紙は大概、便箋一枚だった。多くても二枚で、それ以上の枚数は稀だった。そこには多神夕美の魅力が、まるで詩のように連ねられいた。


 君は美しい。さらさらした長い黒髪が綺麗だ。透き通った瞳は宝石みたいに輝いて、唇は花が咲いたようだ。君の姿を見ると、つい目で追い掛けてしまう。最後に、君が好きだと告白が書かれていた。多神夕美は手紙にさっと目を通すと、机の端に置いてしまう。彼女の心に響くものはなかった。すぐに次に手紙に取り掛かる。


 次の手紙には、多神夕美のどこが好きかが羅列されていた。目が可愛いし、顔が美しい。スタイルもいい。彼女はそこまで読むと、手紙をさっきの手紙の上に重ねた。さっきの手紙と内容は大して変わらなかった。一日に五十通近くラブレターをもらうのだから、どれかと似たことが書かれるのは仕方ないことだった。

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