第23話 小谷真心3

 生徒たちのはしゃぐ声が飛び交う、休み時間になって、小谷真心の席に佐野真奈が、ちょこまかと歩いて寄ってきた。さも心配そうに聞いた。

「さっきの授業、最悪だったね。大丈夫?」

 心配する佐野真奈に、彼女は指先で喉元を押さえて、開いた口の奥を指差した。彼女は黙ったままだった。佐野真奈は、彼女の仕草に首を傾げた。さらさらと揺れた長い髪が、佐野真奈のほんのり赤らんだ頬を隠した。


「どうしたの?」

 未だに状況を理解しない佐野真奈に、小谷真心はスマホをひっくり返し、早打ちした文字を見せた。声が出なくなったの。佐野真奈は、ぱっちりした両目を大きくして驚愕した。手で口を覆った。


「えっ、本当に?」

 小谷真心は、こくりと頷いて見せた。佐野真奈の驚きは、彼女の予想以上だった。

「真心、ちゃんと試してみたの?」

 彼女は試しに声を発しようと、あーと息を押し出してみた。喉の奥に言葉が詰まったみたいに、声は出なかった。枯れ葉が舞ったような、声すら出なかった。それは、何度試してみても同じだった。


「いつから出なくなったの?」

 小谷真心は、さっきびっくりした時に出なくなった、とスマホに表示した。

「あっ、あれか。あいつ、意地悪な奴なんだよ!」

 佐野真奈は、ふざけた男子生徒を恨むような目付きをした。男子生徒は何も知らずに、他の生徒とプロレスごっこをしてふざけ合っている。

「どうする、治らないの?」

 小谷真心は、激しく首を振った。

「病院に行ってみた方が、いいよ」

 彼女は、佐野真奈の温かな助言に小さく頷いた。


 小谷真心は、市内の病院で大袈裟な装置を使って検査された。それでも、喉に異常は見つからなかった。精神的なものですねと、医師は淡々と、彼女に検査結果を伝えた。

「いつ声が取り戻せるか、今は何とも言えません。しばらく様子を見ましょう」

 それは彼女にとって、不治の病を宣告されたのと等しかった。


「小谷、お前。大変なことになってしまったな」

「でも、心配するな。きっと一時できなことだからな」


 小谷真心の声のない生活が始まった。佐野真奈は、小谷真心がしゃべれなくなった分、よく彼女の世話を焼いた。気持ちが沈んでいる分、明るく振る舞う佐野真奈に助けられた。友達としては優等生だった。


「昨日の病院、どうだった。先生は何て言っていた?」

 小谷真心は佐野真奈の言葉に、スマホを使って彼女の意思を伝えた。喉には異常はないって、精神的なものだから、しばらく様子を見るってとスマホの画面に打ち込んだ。


「心配ないよ。きっと良くなる」

 そう言った佐野真奈の顔にも、うっすらと不安の色は映っていた。それは、佐野真奈の願望だった。いつ小谷真心の声が治るかなんて、誰にも分からなかった。


 声取りは、人の声を盗むという鳥の姿をした魔物だった。声取りは、声鳥とも書く。一日中多くの生徒の声で賑やかな学校の教室は、貪欲で大食らいの声鳥にとって、絶好の狩場だった。小谷真心には、この声鳥が男子生徒の悪戯が切っ掛けになって、取り憑いてしまった。この声鳥の厄介なところは、一度取り憑かれると、なかなか離れないというところだ。


 小谷真心は声が出なくなったことを補うために、物事を深く考えがちだった。その大半は、このまま一生声が出なかったら、どうしようということだ。スマホやノートを使えば、他人と意思疎通ができないわけではない。それでも声が発せられないということは、小谷真心の人生に影を落とすほど、大きな問題だった。


「小谷さん、声が出なくなっちゃたんだって」

 小谷真心に起こった不幸は、教室中にあっという間に広まった。そればかりか、クラスを越えて隣のクラスでも噂されるくらいだった。佐野真奈が、みんなの同情を集めるために話した成果もあるが、この年頃の生徒は他人の不幸に敏感であったためだった。彼らの日々は、小さな川の流れを大きな川に流すようなものだったから、色の違う水を流す川が現れれば、すぐにそれだと気が付いた。


「あんたのせいよ。真心の声が出なくなったのは!」

「まさか。こんな事になるとは、思わなかったんだ」

 小谷真心が声が出なくなった原因を作った男子生徒は、教室中から手痛い仕打ちを受けた。小谷真心に取り返しの付かないことをしたのだ。当然と言えば、当然だった。

「どうするの? 責任取りなさいよ」

「責任? 俺、知らないよ」


 佐野真奈が中心になって、小谷真心の声が治るためにできる事は、何でも試してみた。それは多少幼稚な発想であった。が、藁をもすがる思いで、考え出した提案だった。


 止まらなくなったしゃっくりと同じで突然、声が出なくなったのだから、しゃっくりの民間療法と同じように、びっくりさせて治そうというのだ。

「えっ。そんな事で、本当に治るの?」

「何もしないよりは、増しだよ」

 これには悪ふざけをした男子生徒も交ざって、みんなで色々な事を試して、小谷真心を驚かせようとした。


 行き成り背後から近寄って、わっと大声を上げたり、蛇のおもちゃや、びっくり箱を用意したり、ドッキリの芝居染みたこともやってみた。同じクラスの生徒たちは、困っている小谷真心のためだと、みんな協力的だった。

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