第6話 妹はなんだかんだ相談に乗ってくれる

 その日の夜。

 真面目な俺が風呂上がりに宿題に勤しんでいると。


「ハル兄、入るよ」

「もう入ってるよね」


 薄橙色のタンクトップ姿で勝手に部屋に入って来たのは妹の千秋ちあき。中学三年になってもこいつは何も変わらない。

 千秋はショートカットの髪の毛を揺らしながら、俺の本棚を物色し始める。


「あ、新刊だ。ラッキー」

「おい。それまだ俺読んでない」

「ラッキー」

「聞けよ」


 なんで二回言うんだ。

 新刊が出たばかりの漫画を最初から読み返そうとしているのか、山積みの本を勝手に抱えた千秋がこちらを振り返る。


「これ、借りてもいい?」

「その状態から借りない選択肢ある?」

「さんきゅー。……てか。最近ハル兄少し雰囲気変わったよね? 何かあった?」

「何もない」

「はっはぁーん? 高校入ってもまだ友達出来ないんだ」


 今まで一人も居ないみたいに言うな。

 少ないけど居るわ。


「余計なお世話だ。今の俺は友達とか言ってる場合じゃないほどに追い込まれてるんだよ」

「ふうん。がんばって」


 扉が閉められる。

 なんなのこの妹。

 唯一の兄がさあ、追い込まれてるって言ってるのに八文字で部屋から出るやついる?

 

 話聞くよとかさ、あるじゃん。

 俺だって誰かに相談したいのに。勘違いされるわ逆に相談されるわで大変なのに。


 ……まあ、これは自分の問題だ。

 冷静になってみれば、妹にラブホに行ったと勘違いされているだのと相談するのは恥ずかしいしな。普通に。

 

 俺はノートに向き直る。

 ひとつ、ため息をついたところで。


「しょうがない。話くらいは聞いてもいいよ」


 妹の千秋が扉を開け放って、そう言った。

 もはや入っていい? という確認すらない。

 彼女の左手にはコーラ。右手には俺の貸した漫画。


 千秋はとてとてと俺の部屋に入ると、勝手に俺のベッドに寝転がって漫画を開く。


「で、なにがあったの」


 ふむ。

 本当に話は聞いてくれるらしい。

 正直に話してもいいが、ありのまま言うのはどうにも恥ずかしい。


「これは、友達の話なんだが」

「いないじゃん」

「…………」


 出鼻をくじかれた。

 最強の一言だと思っていたのに。全国の友達がいないやつ。使うときは気をつけろ。


「同じクラスのやつの話なんだが」

「うん」

「入学式から数日で、その……ラブホに行ったやつがいてな?」

「すごっ」


 千秋はごろんと寝返りを打つと、漫画から顔をあげてこちらに興味深そうな視線を向ける。


「それで?」

「そいつは皆からギンギンマックス先輩と呼ばれてるわけなんだけど」

「ぎんぎんまっくすせんぱい」

「そうだ。そうだけど年頃の女の子が繰り返すんじゃありません」


 妹からそんなワード聞きたくねえ。


「でもな、聞くところによるとそいつはラブホに行ってないらしいんだ。行ってないのに勘違いをされて、変な通り名をつけられて」


 なんて可哀想なんだろうか。

 他人事とは到底思えない。涙が出そうだ。俺のことだった。


「どうしたらいいんだろうな、そいつは」

「え。その話のどこにハル兄が関係があるの?」

「……直接関係はない。ただ、隣の席のやつだからどうも気になってな」

「気になって、友達とか言ってる場合じゃないほどにハル兄が追い込まれてるんだ?」


 千秋はコーラをくぴりと一口飲むと、身体を起こして壁にもたれかかる。


「ハル兄はその男の人のことが、好きなの?」

「あってたまるかそんな展開。どんな相談してんだよ俺は妹に」

「なーんだ。つまんないの」


 ちぇ、とぼやくと千秋はまたぼふりとベッドに寝転がる。もしそんなディープな話だったら、俺は絶対千秋に相談なんてしない。


「ただ、なんとかしてやりたいんだ」

「それであわよくば友達に?」

「友達作るの大変すぎない? でも、まあ。そんなところかな」

「ふうん」


 興味なさそうな声。

 それもそのはず、千秋は俺と違って友達に困るような学生生活を送っていない。


 妹だと言えば必ず驚かれてきたし、紹介して欲しいと声を掛けられたこともある。兄から見てもこいつは顔が良い。


「その隣の席の人は誰とラブホ行ったの?」

「行ってないって。一緒に勘違いされてるのは同じ学校の女の子だけど」

「変なの。行ってないって言えばいいのに」

「言っても信じてもらえないほどに大きな話になってるんだよこれが」


 自分のことなので言葉に力がこもる。

 そして気づく。妹になにかおかしいと気づかれて、こんなことを相談してしまうくらいには。俺も参っているのかもしれないな。


 別に千秋に相談したからといってどうにかなるとは思っていない。でも、話を聞いてもらうだけでも少しは気が楽になる。


「てかさ。高校生ってラブホ入れなくない?」


 千秋が言う。

 何言ってんだそんなの当たり前だろ。

 そう思ったところで。


 俺の手からシャープペンシルが滑り落ちた。


「……え? 高校生ってラブホ入れないの?」

「ええ……。それは我が兄ながらちょっとひくんだけど。入れないでしょそりゃ」


 ……俺は、そもそも考えるべきポイントを間違えていたのかもしれない。ラブホに入った誤解をどう解くのかを考えていた。


 けれど、ラブホに入れないのだとしたら。

 そもそもの前提がおかしいことになる。


「……あれ? 入れないなら、なんでこんな噂になってんだ?」

「そりゃまあグレーな方法もあるのかもしれないけどさ。普通に考えたらダメなことくらい分かるでしょ」


 俺はもうひとつ気になったことを訊いてみる。


「――なあ千秋。なんでお前そんなにラブホに詳しいの?」

「んなっ……!? は、はあ!? そんなんあれだし! じょ、ジョーシキだから!」


 頬を染めて慌てたように言い返す千秋。

 常識だったのか……普通に知らなかったぞ。


「入れないなら話は早い。行った行ってないじゃなく、そもそも入れないだろって言えばいいんだよな」


 少しだけ希望が見えてきた。

 ただ誤解だと言うのではなく、誤解であると言えるだけの根拠を俺は手に入れたのだ。


「そもそもそんな噂が広がるのがおかしいよね……」

「ありがとう、千秋! これで俺もギンギンマックス先輩から卒業出来――」


 固まる俺。

 やばい。ちょっとテンションが上がって余計なことまで言った気がする。


「あ、そういう……」


 ドン引きした千秋の顔。


「違うんだ千秋。これには深いわけが」

「いやそれは聞いたけどさ。ええ……」


 千秋はそろそろとベッドから降りると、漫画とコーラを手に部屋から出る。

 開かれた扉の向こうで、切なげな笑みを浮かべた千秋は言った。


「が、頑張って。ハル……ギン兄」


 俺は大切なものと引き換えに、大切ななにかを失ったのかもしれない。

 

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