第2話 特別な青春と普通の青春
俺と東雲がラブホへと続く道から出てきた日から、一週間。その出来事は瞬く間に生徒達の間で広まった。
俺、
……原因はもう分かってる? そうじゃない。いや、そうなんだがそれだけではない。
今回の件に巻き込まれたもう一方の女の子、
あの日あの場所に居合わせた生徒達の生温かい気遣いもあってか、一年生の間では爆発的に広まっているこの噂も今のところ先生や親にまでは漏れていない。それだけは不幸中の幸いだったと言える。殺されてもおかしくない。
だからこそ、俺と東雲のその後の対応こそが皆の誤解を解く鍵であり、唯一残されたチャンスだったというのに……。
一人、教室で肩を落とす。
そう、それなのに東雲青葉は。
あろうことか今回の件について否定も弁解もせず、だんまりを決め込んでいるらしいのだ。
「なんでなんだよ……」
俺は頭を抱える。
どう考えても、否定するべきだろう。
猫を追いかけていただけだ、偶然なんだと。
……仕方ない。この手だけは使いたく無かったが、俺もいつまでもギンギンマックス先輩と呼ばれ続けるわけにはいかない。
手元のノートを一枚千切る。
東雲青葉さんへ。
俺はシャープペンシルでそう書き出した。
――そして、放課後。
俺はこの学校の旧校舎と呼ばれる側の棟の四階の一番奥、第六特別教室と書かれたプレートの掛かった教室に居た。
そう、俺は東雲青葉をここへ呼び出したのだ。
これまでの一週間、俺はなんとか東雲とコンタクトを取ろうとしたのだが、あれだけのことがあった後だ。
東雲に話しかけにでも行こうものなら、他の生徒からどれだけの冷やかしに合うかわからない。ならばと考えた策がこれだ。
この一週間、俺もただ指を咥えてギンギンマックス先輩と呼ばれていた訳ではない。彼女と接触するため(変な意味ではない)の場所を毎日のように探し抜いた結果、ここを見つけた。
この教室が今は授業では使われておらず。かつ後ろ側の扉の鍵が開いていることを確認した俺は、今回の作戦を決行することに決めた。
東雲が今回の件について否定をせず黙秘を続ける理由を確認するため。そして、誤解を解くための協力を彼女にしてもらうためだ。
日当たりも悪く、ややカビ臭いが仕方ない。
まさに最底辺のこの教室から、最底辺の俺は這い上がっていくしかないのだから。
「……そろそろ、だな」
俺は時計を眺めて呟く。
約束の時間は十七時。
今朝東雲の靴箱に手紙を放り込んでおいたので、彼女もさすがに気づいているだろう。
ふと、遠くから小さな足音が聞こえた。
ここ数日の下見では、この辺りを通る人はほぼ居ない。となると、この足音は。
窓の磨りガラス越しに人の姿が見える。
後ろの扉の前で立ち止まったその人物は。
からからから、とゆっくりと扉を開けた。
隙間から、おそるおそるといった様子で顔が覗く。艶のあるショートボブに、自信なさげに下がった眉。東雲青葉だ。
「は、早く入って。東雲さん」
俺が言うと、彼女は慌てたように隙間から教室に滑り込むと、後ろ手で扉を閉めた。カーテンで締め切られた教室は薄暗い。
「ギンギ…………枯木さん、ですか?」
「うん。ごめん、急に呼び出して。……ここ、座って」
こいつ今何か言おうとしてなかったか?
俺が手頃な椅子を指し示すと、東雲はあたりをきょろきょろと見回しながら席に着く。
女の子と二人きりなんて、妹以外に経験が無い。早速本題に入ることにする。
「――東雲さん、今日呼んだ理由は手紙に書いていた通りだ。頼む、誤解を解くのを手伝ってくれないかな」
言うと、東雲はびくりと背筋を伸ばす。
「ご、誤解って。なんのことですか?」
まさか。
予想外の答えに俺は耳を疑う。
「お、俺と東雲さんが入学早々ラブホに行った件についてだよ」
彼女は咳き込む。聞いておいてなんだその反応。年頃の高校生にラブホ行ったとか言わせないで欲しい。
「わた、私は行ってないです」
確かに。
「いや、俺も行ってない。ごめん、言い方が悪かった。俺たちがラブホに行ったって言われてる件だよ。東雲さんも知ってると思うけど、一年生の間じゃとんでもない噂になってるんだ」
東雲さんは気まずそうに俯いて頬を染める。
「これじゃ俺も東雲さんも、入学当日にラブホに行くとんでもなくクレイジーなやつだと思われる。なんとかして誤解を解かないと」
「あ、あの」
俺は首を傾げる。
東雲さんはぱくぱく、と口を動かすと、目をきゅっとつぶって小さく叫んだ。
「ららら、ラブホの件! このままにしておいちゃダメですかねっ……?」
「ダメだろ」
俺は即答した。
驚いたように目を見開く東雲さん。
良いわけないだろダメに決まってるだろ。
「どう考えてもダメだろ」
俺はもう一度言う。
「な、なんでですか」
「俺、皆にギンギンマックス先輩って呼ばれてるんだよ? 同級生なのに」
「それは知ってます」
「知ってるんだ」
よくこのままにしておいちゃダメですかねとか言えたな。人の気持ち考えろよ。
……しかし、そこまで言うなら相当の理由があるのかもしれない。
身を縮こまらせる東雲さんに優しく訊ねた。
「もしかして何か、理由があるの?」
彼女はこくりと頷く。
「……こんなに、沢山の人に話しかけられたの。初めてだったんです」
東雲さんは話し始める。
俺は椅子を彼女の方へ寄せて、先を促すように頷き返した。
「私、中学まではずっと地味で。髪もお化けみたいに長くてメガネかけてたんです。でも、変わらなくちゃって。勇気を出して髪をばっさり切って、コンタクトにして。高校生活はがんばるぞ、って思ってたらあんなことに」
そうだったのか。
目の前にいる東雲さんは大人しそうな雰囲気ではあるものの、髪型もとても似合っているし、顔だってかなり可愛らしい。放っておいても人気は出そうだ。
「最初は終わった、って思いました。でも、クラスメイトもたくさん話しかけてくれて、色々質問してくれたりして。あれ……。これ意外と悪くないのかも、って」
「いや悪いだろ! 悪くないわけないだろ!」
俺は思わず叫ぶ。
「俺たち、ラブホ行ったと思われてるんだよ? 付き合ってると勘違いだってされるし、変な噂も立つ。悪いこと尽くしじゃないか」
「でも、私たちラブホには行ってません」
「そうだけど。だから問題なんだよ」
「行ってないなら、いいと思います」
何言ってるんだこの子。
頭がおかしいのか?
「私、特別な青春に憧れてたんです。いつか思い出した時にも、ずっと色褪せないような」
東雲は絞り出すような声で言った。
それは、すごく分かる。
俺だってずっとそうだったから。
「でも自分から人に話しかける勇気はなくて。髪だって切って、コンタクトにしたけど、きっと高校生になっても何も変わらないんだろうな、って思ってたんです」
……でも彼女と俺の間には、ひとつだけ決定的に違う部分がある。
「そうしたらあんなことが起きて。沢山の人とお話が出来て。私、すごくドキドキしました。ああこれが、特別な青春なのかもって」
絶対に違う。
――俺が送りたいのは、普通の青春だ。
彼女の送りたい青春がショッキングピンクなら、俺の青春は多分青っぽい色だ。
「わかったよ東雲さん。でも、それは誤解を解いた後からでも遅くないと思うんだ」
「…………」
言うと、何故か彼女の表情が曇る。
なんだ。まだ何かあるのか。
「東雲さん?」
「……でも、もう言っちゃいました」
ぼそぼそと教室に声が響く。
……言っちゃいました?
嫌な予感がした。
「ええと。な、なにを」
俺はおそるおそる訊ねる。
「枯木さんはすごかったです、って」
「東雲てめぇ!!!」
勢いよく俺が立ち上がると、東雲は逃げようとしたのか椅子ごと後ずさる。ぎぎいっ、と床を擦る音がして、彼女はそのまま後ろへと体勢を崩す。
「――あ」
「あ、危な――」
俺は手を伸ばす。どうにか彼女の腕を掴んで引くと、ぎりぎりの所で椅子はバランスを保つ。
うっすらと涙の浮かんだ東雲と目が合う。
紅潮した頬がりんごみたいに赤い。俺が荒れた息を落ち着けようと、何度か深呼吸をした時だった。
「…………誰か、いるの?」
怪しむような女の子の声と共に、がらりと扉が開かれた。
俺が視線を向けると、東雲もそちらを見ようと振り返る。保たれていたバランスは崩れ、後ろ向きに東雲は倒れ込む。
咄嗟に、彼女の背中に腕を滑り込ませた。
腕と横腹に走る衝撃。遅れてじんじんとした痛みが襲う。
「っ、てぇ…………」
ゆっくりと目を開ける。
すぐそばに、東雲の顔があった。
何が起きたか分からないとでもいうように、見開かれた彼女の瞳。
腕枕でもしているような感じだった。
危なかった、もしこんな所を誰かに見られていたら――。
俺は自らの考えにぞっとする。
そして、先程の『誰か、いるの?』という声が脳裏を駆け抜けた。
ゆっくりと、ゆっくりと倒れ込んだまま顔を上げる。そこには、ゴミを見るかのような視線で俺を見つめるギャルの姿があった。
「……ぎ、ギンギンマックス先輩」
「ちっ、違うんだ!!!」
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