灰色の男
「お。今日もあったね」
夜。リビングにてワインを飲んでいるシネマが話しかけたのは、夜にしか行動しないあの男だった。
「君、名前ないの不便だねえ」
シネマがそう言うと男は口を開いた。
「……」
「ええ。君それは、さすがにパイプリップもドン引くと思うよ?」
「……」
「やはは。君ィ、待ちの姿勢は何も生まないんだよ? 教育のせいだか何だか知らないけど、君は既にもう一人立ちしたんだから自分で行動を起こさないと何も起きないよォ?」
男は何も言わなかった。
「まあ、いいや。ところで君、掃除はしっかりしなきゃダメだよ。さっきパイプリップが君の針、いや、敵の針なのかな? 分からないけれど、パイプリップが針を持って遊んでたよ。下手したらパイプリップが死んでたかもね。まあそうなってもそれはそれでスパイスかなとは思うけれど、君がそうしたくないなら気をつけなよね」
そう言い残してシネマは直通ドアを潜って行った。
「……」
男は一つ深呼吸をして夜の闇に足を踏み出した。
目を閉じ、気配を探る。よくもまあ性懲りもなく何度も殺しに来るものだ。こちらはもうとっくの等に飽きているというのに。使わされるこちらのことも考えてほしいものだ。
おそらく、奴らは後に引けなくなって言うのだと思う。それは自分のミスであると、男は考える。男は奴らをすでに数十人殺害している。もしかしたら数百人に上るかもしれないが、残念ながら男は自分が殺した人数を数える様な几帳面ではなかった。そんな几帳面には教育されていなかった。男が奴らを殺し過ぎたせいで、奴らの中に蔓延る怒りが増幅し、ほぼ無意識的に男を殺しに来ているのだ。
奴らにとって、仲間が殺されるということは、自分が殺されることと同義である。これは確信を持って言える。なぜならば、思い出したくもない過去であるが……
いや、過去の話はしてはいけない。シネマと言うあの魔法使いに怒られてしまう。
男は目を開けると、屋上へ繋がる梯子を登って、被っていたフードを脱いだ。
灰色の髪の毛。灰色の瞳。灰色の服に大きな火傷の跡がある顔。
男は口笛を吹いた。それは長髪であった。近くに隠れて暗殺の気配を探っている愚かで無謀で身の程知らずで単調で可哀想な『夜の風』共に、諦めろと伝えるための口笛だった。その口笛は、男にとって何よりも大切なあの人が好んでいるジムリの曲だった。
四方八方が針で囲まれる。男はその針の全てを躱すなり弾くなりキャッチするなりして対処した。全てに対処することで力量をわからせることが男の狙いだった。男は男なりに『夜の風』の実力が上がってきていることに危機感を覚えていた。男には感情がないので危機感と表現するのが正しいかわからないが、ともかくこの現状をどうにか解決しようという思いがあった。そこで男が考えだした案が『実力の違いを判らせ、殺害計画を白紙に戻させる』というものだった。
いかにもその男らしい不器用な方法である。しかしこれが自分で考ええることを知らない男が必死に考え出した男の中でのベストな方法だったのだ。
針は絶え間なく飛んでくる。今回の『夜の風』は数が多い。男が把握できただけでも数十人はいるだろう。しかし実力が足りない。昨晩のような実力のある『夜の風』ではないようだった。
ならば全員殺して諦めさせよう。男はそう考えた。
風が吹いたと同時に男の姿が消える。針の雨も止み、静かな静寂の中によぞらにひかる 月明かりのみが差していた。
「がッ!」
突然、住宅街に断末魔が響いた。それと同時にザワザワと足音が鳴り始める。
「……」
うるさい。と男は思った。
「ヒッ!」
男が『夜の風』の前に現れると、『夜の風』は怯えた表情で針を地面に落とした。
「ご、ごめんなさい! 許して! お願いしまッ……」
「……゛ぅ」
男は『夜の風』の喉を掻き切った。喉が使い物にならなくなった『夜の風』はパクパクと金魚のように何か訴えてから、静かにこと切れた。『夜の風』の身体が地面に倒れ伏すと、周囲の気配がゾロゾロと遠ざかっていくのが分かった。今回の『夜の風』はまだ入隊したて絵だったのだろう。
可哀想に。と男は思った。
男は『夜の風』の死体が月明かりに照らされるのを見ながら、壁に寄りかかった。
まだ夜明けまでは時間がある。しかし、今日はたくさん殺してしまった。掃除が大変だ。それに、針を拾うのも大変だ。
先ほどシネマに言われた言葉を思い出す。
大変だが、針はしっかりと拾わないと。
月明かりは男を照らしていなかった。
「!」
男は咄嗟に走り出した。顔には大量の冷や汗をかいている。目を見開き、腰のポケットから針を取り出して風を切った。
そして屋上まで飛びはね、『舞台裏』の一室の窓に向けて針を投げた。その部屋はパイプリップの部屋。
「がッ……」
パイプリップの部屋の中で『夜の風』の喉が貫かれたのを確認した。男は空中で息を吐いた。
……本当にズル賢い。性根が腐っている。今回男を殺害しに来た大量の平凡な『夜の風』達は本当の目的を遂行するためのカモフラージュに過ぎなかったのだ。本当の狙いはパイプリップの殺害。
男は屋上に着地して、もう一度気配を探った。耳を澄まし、周囲を観察する。
「!」
男は振り向いて針を投げえたが、遅かった。男の心臓に、一本の針が突き刺さっていた。
「……゛ぅ」
男が痛みにひるんだ瞬間、追い打ちの針が男の四肢を貫いた。男は膝をつく。膝をついて、自分の体に毒が回るのを感じていた。
「゛あ」
男の前に一人の『夜の風』が着地した。
その顔には見覚えがあった。黒い髪、黒い瞳、黒い服に、そして男と同じように大きな火傷のある顔。
「゛あ」
『夜の風』はそう何かを呟くと、静かにその場を立ち去った。男はその後ろ姿が掻き消えるのを見ながら、薄れゆく自分の命を懸命に見つめていた。
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