パイプリップちゃんにじゅっさい

 飛び出たのはロバタの部屋の前の扉から。ロバタの部屋をノックする。

「ロバタ! 朝ごはんができたわよ! 早くリビングに来て!」

「……」

「ロバタ?」

「……」

「ロ~バ~ター~」

 扉が開く。

「起きてるよ……」

「じゃあ返事しなさいよ」

「……私、ご飯いらない」

「え? もう作っちゃったわよ?」

「いらない」

「じゃあ後で持ってくるから」

「……」

 ロバタに扉を閉められてしまった。ロバタはいつも暗い表情をしていて、いつも「死にたい」と呟いている。

 なんでも、ロバタは自分の意思では死ねないようなのだ。彼女につけられている首輪と手錠は、シネマの魔法で加工されたものだそうで、自分の命を絶つ行動や、他人を傷つける行動を許さないのだそうだ。

 シネマがそんな風に他人を強制するのは珍しい。シネマは他人に何かを強制させたりしない。自分の用事はすべて自分一人で終わらす人間だ。

 だからロバタのことを縛っているのは、シネマの唯一の我儘だと思う。

 そして当然だが、どうしてそんなことをしているのかは全く知らない。二人はどのようにして出会い、どのようにして今の関係になったのだろうか。

「ロバタ。今日の朝ご飯は自信作だから楽しみにしててね」

 扉越しに声をかけて、私はリビングに戻った。

 リビングに戻ると、シネマがグラスにワインを注いでいるところだった。朝からお酒を飲むのは良くないと思うのだが、何だかもう見慣れた光景なので特に思うことはない。

「シネマさん、それは何?」

 ゲンテンがシネマのワインを指さして言った。

「これかい? お隣の奥さんにもらったんだ。夫が酒に溺れて働かないから全部もらってくれと言われてしまってね。おかげで私の部屋にはワインが数十本溜まっているのさ。消費が大変だよ。私がワイン好きでなかったら頭を抱えてしまう量だからね」

「あ、いや、そうじゃなくて」

 ゲンテンがシネマのワインを指さす。

「ああ、そういうことか。そうだよね。ゲンテンは知らないよね」

 シネマはそう言うと、ワインのボトルをゲンテンに差し出した。

「これはワインというお酒だよ。本当はワインとは何なのか教えてあげたいところだが、私は長い飲酒生活をしているくせにワインに詳しくないんだ。正直、飲めれば何でもいいと思っているからね。気になるならワインセラーにでも行って調べてみたらいいんじゃないかな」

 ゲンテンはワインのボトルを見回しながら「飲んでみてもいいですか?」とシネマに尋ねる。

「おお。いいよいいよ。ぜひ飲んでくれ。まだまだたくさんあるからね」

 ゲンテンがグラスにワインを注ぐ、そして恐る恐る口に含んだ。

「……ぅぇ」

 口には合わなかったようだ。

「これ、おいしいんですか?」

「うーん。よく考えると、おいしいと思って飲んでいるわけではないかもね」

「え、じゃあなんで飲んでいるんですか」

「癖みたいなものかな」

 シネマは「やはは」と笑いながらワインを口に含んだ。

 それを見たゲンテンがグラスのワインを一口で飲み込んだ。

「……でも、人間って感じがしますね」

 『人間って感じ』ってどういう感じ? と思った。

 二人の会話を聞いていて気になったことがいくつかある。まずはもちろんゲンテンの知識について。ゲンテンは何も知らない。サンドウィッチを知らないし、ワインすら知らなかった。そんなことありえるだろうか。普通に暮らしていたら、サンドウィッチを見たことくらいあるはずだし、ワインだって知らないはずがない。小さい頃にお父さんのワインを一口飲んで「私は大人になってもお酒なんか飲まない!」と宣言するのはお約束だろう。そして実際大人になったらお酒を飲まざるを得なくなるのもお約束だ。

 そしてもう一つは、ゲンテンがワインを知らないと察した後のシネマの反応。どうしてシネマはゲンテンの無知さに驚かないのだろうか。

 昔から思っていたのだが、シネマは時折、私の過去を知っているかのような言動をとる。シネマはこの『舞台裏』の中に『過去の話はしない』と言うルールを作った。だから私はシネマの過去もロバタの過去を詳しくは詮索しない。

 しかし、シネマは私の過去を知っている。私はまだシネマに過去について話していないし、ヒントも与えていない。しかしシネマは私がアレキサンドラ・ボイルオーバーだったことを知っている。

 なぜなのだろうか。シネマはゲンテンの過去すら知っているのだろうか。

 それはなんかずるい。

「パイプリップ。ロバタは?」

 シネマに話しかけられる。

「ロバタはあとで食べるって。だから私達だけで食べましょう」

 悩んでも仕方ないことは分かっている。でも、やっぱり人の過去って気になっちゃうな。

 朝食は美味しかった。ジムリの絵本に登場した彼らと同じものを食べていると考えると、最高にテンションが上がった。

 朝食の後はいつも通りに家事をする。洗濯、掃除、今日は買いだしに行かなくても良いかな。まだ食材にはあまりがあったはずだ。

 昨日から『舞台裏』の一員となったゲンテンはとりあえずこの街を探索してみるらしい。この街を隅々まで探索しようとしたら、多分半年くらいかかる。そんなレベルでこの街は発展していて賑やかだが、、まあせいぜいハチャメチャに楽しんで幸せを感じてしまえばいい。

 シネマはいつも通り、部屋に籠って何かをするらしい。魔法の研究だとか言っていたが、本当かどうかわからない。シネマが私たちに研究の成果を見せてくれたことがないからだ。異次元ハウスや直通ドアが魔法の研究成果なのかと思っていたのだが、そんなものはシネマにとって子供の自由研究にも満たないものなのだそうだ。

 彼女の頭の中にはどんな知識が詰まっているのだろうか。

 ロバタは相変わらず引き籠り。でも、さっき彼女の部屋の前に行ってみたらサンドウィッチがなくなっていた。多分食べてくれたんだと思う。お皿の上に『ごめん。』という紙が置いてあった。それを見て思わずロバタを抱きしめたくなったが、彼女の部屋に突撃するわけにもいかないので我慢した。

「ふう。そろそろ本当に洗濯を自動にする魔法具を作ってもらおうかしら」

 シネマならそのくらい子どもの自由研究よりもつまらないと言って作ってくれそうだが、それをしてしまうと私の仕事がなくなってしまう。それに私は家事が好きだ。洗濯も掃除も大変だが、好きなのだ。

「何もできなかったお嬢様な私から、ここまで働けるようになったことを実感できて気持ちいいのよね」

だから自動にするのは少し抵抗がある。

でも、好きだけど面倒くさい時もある。いくら好きでも気分によるのだ。そう、私は理不尽なのだ。理不尽に好きになったり嫌いになったりするのだ。だって悪役令嬢と呼ばれた女だから。

 その時、視界の端になにかが写った。私はその何かを拾い上げる。

「何これ」

 それは、刺さったらめちゃくちゃ痛そうな長い針だった。私はその針がなんとなく気にいった。小さい頃男の子が木の棒を振り回していたのを思い出した。そして、私もまだ若いのね。と思った。あまりに恋人生を送っていたので忘れていたが、私はまだ二十歳なのだった。

「……二十歳」

 私のように破滅していない貴族の娘さんたちは二十歳になったら当然のように結婚しているか、婚約しているのだろうなとか、そんなことを考えて落ち込んだ。

「いや、別に結婚なんてどうでもいいじゃない。私はもう貴族ではないのだし、シネマだって何歳か知らないけど結婚なんかしていないわよ」

 うんうん。と自分のいい絵分けを肯定しながら私は手にした針を布で磨いてみた。

 見れば見るほどカッコいい。裁縫用の小さな針ではなく、おそらく武器として使われている針。どうしてこんなところに落ちているのだろうという疑問はひとまず置いておいて、私はその針を構えてみた。

 レイピアのように構える。国立魔法学園では武器に魔法をエンチャントする授業も開講していたので、私にはレイピアの心得がある。

「似合うねぇ」

 頭の上から声がしたので私は咄嗟に針を隠す。恥ずかしいところを見られてしまった。

 シネマはニヤニヤしている。

「何がかしら?」

「それは無理があるよ。パイプリップ」

 シネマは「やはは」と笑う。

「ところでその針だけど、めちゃくちゃ毒塗られてるから気を付けてね。刺さったらさすがの私も救えるか分かんないよ」

 血の気が引きすぎて気を失いそうになった。

「そう言うのは、もっと早くに言ってよ……」

「やはは」


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