あの頃と今の自分

朝起きて自分の部屋を見回すと、毎回考えることがある。

 木製の机、椅子、タンス、ベッド、床、天井、化粧台。自分の部屋はどれも木で作られている。それらが時折、朝日に照らされて白く見えることがある。すると私は、どうしてもあの頃を思い出してしまうのだ。私がまだ貴族であり、アレキサンドラ・ボイルオーバーとして、豪華な意匠が施された大理石製の家具に囲まれていたころ。

 木製のベッドをポフポフと叩く。舞った埃が朝日を反射して輝いた。あの頃使っていたベッドと、この木製のベッドでは比べるのもおこがましいくらい柔らかさが違う。あの頃のベッドがどのような素材で作られていたのかは知らないけれど、とにかくお高いものだったのだろう。今使っているのはこの街の寝具店で安売りされていたものだ。シネマが買い揃えてくれた。

 文句があるわけじゃない。私があの頃から落ちてしまったのは私のせいだ。私がこの硬いベッドで眠らなくてはいけないのも私のせいだ。シネマならもっとお金を稼いで良い品質のベッドを買えるだろうとか言うつもりはない。

 でもやっぱり、あの頃のベッドは気持ちよかったな。

 大事なものは失ってから気づく。よく言ったものだ。

「もう未練なんかないけれどね……」

 誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

パイプリップの朝は忙しい。まずは朝食を作る。このシェアハウス『舞台裏』に住んでいる人数分の朝食だ。

「あ、そっか。今日からゲンテンの分も作るんだったわね」

 パイプリップにとって同居人が増えるのは大変喜ばしいことだ。さらに言うと、ゲンテンのような普通な子は大歓迎だ。シネマは大魔法使いだし、ロバタに至っては元魔王だ。キャラが濃すぎて疲れる。ゲンテンは少し変なところもあったけど、でも、ちゃんとお礼を言えるし、挨拶もできる良い子だと思った。

「ゲンテンの好物を後で聞いておかないとね~」

そんなことを言いながら、楽しそうに朝食を作る。元お嬢様のパイプリップがどうしてここまで料理をできるのかと言えば、シネマとロバタの料理スキルが絶望的だからである。

 パイプリップがこの『舞台裏』へやってきたとき、シネマとロバタの食生活を聞いて驚愕した。

 なんと、食べていないというのだ。

 即席の保存食とかでしのいでいるとかではなく、食べていない。水のみで過ごすどこぞの修行僧のような生活をしているというのだ。

「まあ、私は魔法で食べる必要を失くしてしまったしねぇ」とシネマ。

「私は死にたいんだ。食べてたら生きてしまうだろう」とロバタ。

 ……狂ってる。

 と言うことで、仕方なくゼロから料理や他諸々の家事について勉強し、そして成長した結果が現在である。今では立派な普通の娘と言ってもいいのではないだろうか。お嬢様だったころとはかけ離れた姿だ。

 そう言えば、メイドのみんなは毎日辛そうだったわね。私は家事を苦痛に感じたことがないのだけれど、メイドのみんなはどうして毎日泣きそうになっていたのかしら。

 もしかして、尽くす相手によって違うのかしら。アレキサンドラ・ボイルオーバーはメイドに対し酷い態度を取っていたのかしら。

 ……取っていたかも。悪役令嬢と呼ばれてしまうくらいの私だし、理不尽に怒鳴りつけていたのかも。

 覚えていない自分が恐ろしい。自分の蛮行というものはこうも簡単に記憶から抜け落ちてしまうのか。

 そんなことを噛んっが得ていると料理が完成した。目玉焼きとレタス、からし、マヨネーズ、ハムなどが入っているサンドウィッチだ。サンドウィッチと呼ぶには少し分厚すぎる気もするが、しかしこれはなかなか……

「ふふふ。ジムリみたい」

ジムリとは私が小さい頃から大好きな絵本作家だ。その作家が描く絵本には毎回おいしそうな朝食が登場する。それがこのサンドウィッチのような朝食なのだ。

「良い出来ね!」

 そう言ってリビングに朝食を運んだ。

「あ、ゲンテン早いのね!」

「おはよう。パイプリップ」

 リビングにはゲンテンが座っていた。昨日からこの『舞台裏』に住まうことになった新たな同居人。

「それは何?」

「朝食よ」

 私はそう言ってサンドウィッチをテーブルに並べる。

「あ、そうじゃなくて。これは何かなって」

 ゲンテンはそう言って、サンドウィッチを指さした。

「……?」

「?」

「え。サンドウィッチを知らないの?」

「あ、うん。ちょっとまだこっちのことに疎くて」

「それって疎いとかそんなレベルじゃないわよ⁉」

サンドウィッチって全国共通よね? 私がそう思い込んでるだけ?

「これはサンドウィッチっていう食べ物よ。目玉焼きとかレタスとかからしとかハムとか何でもいいんだけど、とにかくお好みのものを焼いたパンに挟んだ食べ物よ。もちろんパンは焼かなくてもいいわよ」

「……うん! とにかく美味しそうだね!」

 ゲンテンはそう言った。

 ゲンテンの反応的に、かれは私の言葉を半分くらい理解していないだろう。半分どころじゃないかもしれないが。

「もしかして、レタスとかもわかんないの?」

「うん」

「ゲンテン、あなたは普通の人だと思っていたのに」

 私がそう言うと、ゲンテンは慌てて手を振った。

「ち、違うよ。ボクは少し特殊な辺境からやってきたから物を知らないだけで、中身は普通のなんだよ!」

「どうかしらね」

「パイプリップぅ!」

ゲンテンはそう言って私に手を伸ばしてきた。私はその手を取りながら言った。

「ま、普通じゃないなんて慣れっこよ。物を知らないくらい、元魔王に比べたら何のインパクトもないわ」

 そう言うと、ゲンテンは少し不服そうな顔をした。

「インパクトが少ないって言われるのは、さすがに傷つくかも」

「な、どっちなのよ……」

「微妙なバランスを分かってくれ」

「難しいわね……」

 そんな会話をしていると、シネマがリビングへやってきた。

「お、今日の朝食はサンドウィッチかい?」

そう言ってサンドウィッチを観察する。

「……パイプリップは本当にジムリ作品が好きだねぇ」

「え⁉ わかる⁉」

 私はシネマに理解してもらえたことに歓喜する。

「わかるよ。もうジムリ作品に出てきたサンドウィッチそのままじゃないか。魔法を使って絵本の中から取り出したみたいだよ」

「きゃー!」

 褒められすぎて爆発しそうだ。こんなに嬉しくなったことが過去にあったかしら。

「食べてもいいかい?」

 シネマがそう聞いてくるので、私はストップをかける。

「待って! 今ロバタを叩き起こしてくるから!」

 私はそう言って、直通ドアに飛び込んだ。

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