フレデリック・ロバタ
「さあ、存分にくつろいでくれ。ここはもうゲンテンの家なのだから。何も遠慮はいらないよ」
シネマはパイプリップが作った紅茶のカップケーキを手に取りながら言った。
「あの、今更なんですけど、ボクがこの家に住むことはもう決まっていることなんですか? ボクはまだ何も言っていませんけど」
「え? ああ、そうだね。別に強制しているわけではないよ。でもゲンテン、他に住むところあるのかい?」
「……ないですけど。でも、ボク、これ以上他人に人生を左右されたくないと言いますか。今までちょっと自由というものがなかったので、せっかく転生したなら自由に生きてみたいなぁとか」
「……」
シネマはボクを見た。
「……異世界転生者であるゲンテンは、どんな生活を望んでいるのかな」
「……まだ何も考えていません」
「巷に蔓延る異世界転生者のように魔王の討伐でも目指してみる? それとも、巷に蔓延る異世界転生者のように女の子を誑かして幸せな生活を送りたい?」
「……どちらも、嫌ですかね」
「ほう。それは珍しい」
シネマはカップケーキを皿に置き、紅茶を一打ち飲んでから言った。
「ところで異世界転生者のゲンテンは神に会ったのかい?」
「え?」
「ほら、異世界転生者は神様になんでも一つプレゼントをもらえるというのが定説じゃないか。それは本当なのかなって思ってね」
「……会いましたよ」
「どうだった。神は美しかったか?」
…………
「……美しかったですよ。まあ、美しかっただけですが」
「ほう……それは珍しい」
シネマはカップケーキ一つ手に取り、ソファから立ち上がるとリビングから出て行った。
「ここに住むかどうかはゲンテンが自分で決めるといいよ。私はゲンテンがとにもかくにも楽しく生きてくれることを願っている」
そう言って、ドアが閉まった。
「ゲンテン。ここに住まないの?」
パイプリップがソファに座って尋ねてきた。
「……ま、行くとこもないし、やりたいことが見つかるまではここにいようかな。お世話になってもいい?」
「もちろん。改めてよろしくね。ゲンテン」
「よろしく。パイプリップ」
「あの、私もよろしく」
「え?」
突然話しかけられたから驚いた。ボクが声のした方向に目を向けると、そこには少女が立っていた。
「あ、起きたのね。ロバタ」
……ロバタ? ……フレデリック・ロバタ⁉
ボクは咄嗟に跳ね飛んでその少女から距離を取った。フレデリック・ロバタだ。悪名高い元魔王! たった一人で人間の国をいくつも制圧し、魔物の平均レベルを底上げした化物だ!
「そんなに驚かれると傷つくんだけど」
パイプリップが驚いた顔をしていた。
「す、すごいわね、ゲンテン。ゲンテンってもしかしてすごい人だったりするの?」
「……」
さすがに答える気にはならない。この家にフレデリック・ロバタがいることは事前に知っていて、まあ転生者に倒される魔王なんて別に大したことないだろと軽く考えていたが、そんなことなかった。
これが、魔王か……。
転生者共が魔王討伐を諦めて、女の子とイチャイチャするだけになるのが仕方なく思えてくる。ボクだってこのプレッシャーを前にしたら、何もかもに知らんぷりして遊び続けるかもしれない。今まで酷い扱いをしてしまって申し訳なかったよ、転生者のみんな。
というか、この魔王を討伐した転生者はどんな超人なんだ⁉
「そんなに警戒しなくても、私は何もしないよ。できないしね」
フレデリック・ロバタはソファに座り、パイプリップが作ったカップケーキを一口齧った。
「今日もおいしい」
「良かった」
そんなほのぼのした会話をしている。ボクは冷や汗をだらだら垂らしているというのに。
「ゲンテン、だっけ。ここに暮らすなら慣れてね。私はプレッシャーの抑え方を知らないし、知る気もない」
フレデリック・ロバタは警戒の姿勢を崩さないボクを見て言った。
「本当に大丈夫だよ。今の私はただの抜け殻。私には本当に、何もできないんだ」
そう言って腕を上げた。そこには少女の身体にはあまりにも大きい手錠が嵌められていた。なるほど。パイプリップが買っていた手錠と首輪を嵌められているのはペットではなく、フレデリック・ロバタだったのか。あんな手錠で元魔王を制御できるとは思わないのだけれど、でもまあ嵌めていないよりは、嵌めている方が良いかも……あれ?
「これはシネマの封印魔法が架けられた手錠。ぁと首輪。これのせいで私は何もできない」
パイプリップが買っていた手錠と首輪はもう少し小さかった、というか一般的なサイズだったのだが、今フレデリック・ロバタが嵌められている手錠と首輪のサイズは明らかに大きくなっていた。
シネマの魔法か……。
フレデリック・ロバタのことを信用するなんて到底できない。なにせ元魔王だ。しかしシネマの魔法で封印されているならと思ってしまうのは、少々シネマのことを信用しすぎだろうか。
「信じるよ……?」
ボクがそう言うと、フレデリック・ロバタは頷いた。ボクはフレデリック・ロバタの向かいに対面に座った。
「お前……」
フレデリック・ロバタがボクを見る。ボクは身体を硬直させた。
「……お前からは私がとてつもなく嫌っている匂いがする。嗅いだだけで頭に血が上り、今にも暴れたくなるような匂いが」
フレデリック・ロバタがカップケーキを口いっぱいに頬張り、そして喉を鳴らして飲みこんだ。その間、ボクから一瞬も目を離さなかった。
「……だが、私が大好きな匂いもする。懐かしい匂いだ」
そう言うと、フレデリック・ロバタは静かに紅茶を啜った。
「もう少し時間がたてば、お前から私が嫌う匂いが完全に消えるだろう。私やシネマの近くにいればなおさらな。だから、よろしく。ゲンテン」
「……よろしく。ロバタ」
ボクは元魔王から差し出された手を握った。
「クンクン。別に何の臭いもしないけど?」
パイプリップがボクのうなじの臭いを嗅いで首を捻っていた。
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