シネマのマジックハウス

「じゃあ、ゲンテン。あなたの部屋に案内するわ。この家の仕組みはちょっとだけ複雑になっているから、ちゃんとついてきてね」

 そう言ってパイプリップが歩き出した。ボクはパイプリップの背中に着いて行きながら、横目でシネマのことを見た。

 シネマは気持ち悪い笑みを浮かべていた。まるで何かに恍惚としているかのような。

「ねえ、パイプリップ。あのシネマさんって人なんか変じゃないかい?」

 ボクがそう尋ねると、「あ、ようやく私のことをパイプリップと呼んでくれたわね」と言いながら、パイプリップは微笑んだ。

「あの人が変なのは昔からだから気にしなくていいわよ。まあ、その昔をゲンテンが知ることはないんだけどね。なんて言ったって、この家で暮らすなら過去について語ったり詮索したりすることは厳禁だからね」

「うわぁ。そうなってくると、その決まりは結構辛いものがあるね。結構良いルールだと思っていたけど、難しい……」

「まあ、そのうち気にならなくなるわよ」

「パイプリップはシネマさんの過去について知っているの?」

「知らないわ。でもなんとなく想像はできているわね」

「どんな想像?」

「それは自分で勝手に想像しなさい。私の想像だって正しいとは限らないんだから」

「むむむ。わかったよ」

 パイプリップは階段を登った。ボクもそれに着いて行く。

「……」

「……」

 階段が右に曲がっていた。パイプリップは躊躇なく進む。ボクはなんだか足が辛くなってきた。ボクは歩くことに慣れていない。

「……」

「……」

 階段を登り切った先には廊下があった。先が見えない廊下である。……いや、ほんとに先が見えない。真っ暗とかそういうことじゃなく、地平線の先まで廊下が続いているのだ。

「……」

 パイプリップはそれでも平然としていた。ボクはさすがに我慢できなかった。

「ねえ。この廊下、あまりにも長くない? というか完全に、この家の大きさからは考えられない長さなんだけれど。これどうなってるの?」

「ああ、これはシネマの魔法よ。シネマはとにかく広い家に住みたかったんだって。だから魔法で空間を作って自分の家を広くしたんだって」

「空間を作る⁉」

 空間を作るなんて、そんな魔法は聞いたことがないぞ⁉ ボクは魔法にもそれなりに精通しているけれど、そんな魔法は使えないし、存在すら知らないし、使える人間も知らない。

 え。あのシネマってお姉さん。めちゃくちゃすごい人なんじゃないか?

「……パイプリップ。シネマさんって、なんかすごい人だったりするの?」

「ダメよ。私は何も教えられない。教えたところで正しいとは限らないしね。ゲンテンも間違った情報を教えられたくはないでしょ?」

「そうだけどさ……じゃあ、シネマって名前は偽名だったりしない?」

「……まあ、それは多分偽名よ。多分だけどね? 本当に多分で間違っているかもしれないけどね?」

「……」

 シネマという名前が偽名だとして、もしかしてあのお姉さんは非常に高名な魔法使いなのではないだろうか。若返りの魔法を使っている気配があるし、多分歴史に名を残しているレベルの。

 ってか、元魔王と暮らしているのだから、高名な魔法使いに決まっているのではないか? もしかしたら、元魔王を討伐したのはシネマだったりして……。

「ゲンテン。あんまり考えこまない方が良いわよ。人の過去なんて本人から聞く以外に確かめようがないんだから。考えるだけ無駄よ」

「それはそうだけど、でも考えずにはいられないでしょ」

「……もう」

 パイプリップはボクを見て溜息を吐いた。

 それから少し歩くと、パイプリップは突然立ち止まった。

「ここがゲンテンの部屋よ」

 パイプリップはそう言った。

「えっと。ごめん。ここってどこ?」

「……気持ちは分かるわ」

 パイプリップが苦笑いをした。実際、ボクはここがどこなのか分かっていない。何階なのかも、どう曲がったらここに辿り着くのかもわかっていない。

「この家の構造ってシネマの体調とか気分によって常に変化しているのよね。だから私にもここがどこなのかわからない」

 なんだそれ。じゃあ、どうやってここまで来たんだ。

「適当に歩き続けてね。自分の部屋を見つけるしかないのよ」

 そう言ってパイプリップは人差し指を反対側のドアに向けた。そこには『パイプリップ』と書かれたドアプレートが吊るされていた。

「ボクはパイプリップの確かな足取りを信じて着いて来たけれど、パイプリップも実は適当に歩いていただけってこと?」

「その通りよ。もう諦めね。家の構造に規則性なんてないから覚えることは不可能。まるでダンジョンよ。三時間くらい迷ったこともあるわ」

「家の中で三時間迷子?」

「そう。この家の住人の最高彷徨い記録は三日間よ。なかなか帰ってこないと思ったら、家の中で迷子になって絶望しているだけだったわ」

「やばすぎる……」

 パイプリップはボクの部屋のドアを開いた。

「でもね。シネマにクレームを入れたらさすがに改善してくれたわ。今からこの『直通ドア』の使い方について教えるから、これだけは死んでも覚えなさい」

 パイプリップは『直通ドア』の使い方について教えてくれた。簡単に言ってしまえば劣化どこでもドアだ。(なんでボクがドラえもんについての知識を持っているのかについては気にしないで)

 ドアを開く前に行きたい場所を念じると、その場所のドアに通じるという便利な代物だった。(この家の中限定)

「これを使わないと毎日時間を無駄にし続けるわ。朝に部屋を出たのにリビングに辿り着いたら夜だったなんてことが普通に起こるから気を付けて」

「わ、わかった」

 ボクは改めて、部屋の中を見る。そこにはシンプルなソファにシンプルな机、シンプルなベッドがあった。それと窓。窓があるからきっとこの部屋は窓際にあるんだろう。

「あ、この部屋は別に窓際ではないわよ」

「え?」

「シネマの粋な計らいなんだって。どの部屋に入っても窓があるわ」

 本当にどうなってんだ……

 ボクはソファの柔らかさを確かめるようにポフポフしながら、改めてパイプリップに聞いてみた。

「というか、やっぱり僕がここに住むことは確定なんだね。ボクはまだ何も言っていないのに」

「まあ、そうね。確定よ。まだゲンテンは何も言っていないけれどね。私の時もそうだったから、もうそういうものだと思って諦めたら?」

「パイプリップの時もそうだったの?」

「うん。私の時はシネマが直接迎えに来たわ。命からがら逃げだした私にシネマが言ったの。『お疲れ様』ってね。……って、過去のことを話しちゃったじゃない⁉ ゲンテン! 今の話は忘れて!」

「自分から話しといてそれは理不尽だよ」

 ……お疲れ様。それはボクもシネマに言われた言葉だ。どういう意味なのだろうか。

 いや、お疲れさまという言葉自体は別におかしな言葉でもない。しかし特に親しくもない、というか初対面の相手にお疲れさまと言うだろうか。そしてパイプリップにもボクにも、同じような状況で言う言葉だろうか。

「あ、ゲンテン、また過去について考えてるでしょう」

「……バレた?」

「バレバレよ。私には人を見る目が……ないけど、でも訓練してるんだから」

「訓練?」

「そこについては触れないで。過去に関係することだから」

「もう過去が気になるようなこと言わないでよ。そろそろボクも限界だよ」

「ごめんね」

 どうしてシネマがお疲れさまと言ったのかは分からない。しかしまあ、パイプリップが言っていたように、考えて分かることじゃないだろう。

 ま、口癖なのかな。と、そんな風に考えて無理矢理納得することにした。

「じゃあ、リビングへ戻りましょう。直通ドアの使い方は覚えたわね? やってみて?」

「うん」

 ボクは直通ドアに手をかける。使い方と言っても、リビングに行きたいと念じるだけだ。ボクは頭の中でリビングに行きたいと連呼しながらドアを開ける。

「あ、おかえり」

 ドアの先にはクッキーを齧っているシネマがくつろいでいた。

「便利でしょ?」

 シネマがそう言って話しかけてくる。

「そうですね」

 ボクがそう言うと、シネマは「やはは」と笑った。

 空間を作ったり、空間と空間を繋げたり、このシネマという魔法使いは一体何者なんだろうか。いつか知るときが来るのだろうか。

「便利じゃないわ。このドアがあってやっと家なのよ」

 パイプリップがそう言うと、シネマは「やはは!」と大きく笑った。

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