舞台裏のシネマ

 元お嬢様がアジを片手に裏路地を歩いている。かごに入れたらいいのではと思ったのだが、彼女曰く「首輪と手錠に臭いが移ったら可哀想だから」だそうだ。

うん。確かに。その首輪と手錠を何に使うのかは分かっていないが、もし自分につけられる首輪が魚臭かったら、それなりにストレスだろうなと思う。

 っていうか本当に、何に使う首輪と手錠なんだろう。パイプリップは首輪と手錠を常時つけている子がいると言っていたが、それはどういう意味なんだ。首輪と手錠をつけていないと生きていけないってことなのか。それってどんな状況なんだろう。

「ゲンテン。着いたわよ」

 ボクが顔をあげると、そこにはこじんまりとした一軒家の建物があった。

「この街で一番安い物件がここだったのよ」

 パイプリップはそう言うと、家のドアを開けた。

「ただいま」

 ボクは少々緊張しながらパイプリップの後に続いた。

「お邪魔します……」

 内装は普通だ。まあ、元お嬢様が住むには少し質素すぎるとは思うけれど、彼女は現在、庶民であるらしいのでこれでいいのだろう。

 ボクが緊張している理由は、主に彼女の同居人にある。彼女の同居人、元魔王のフレデリック・ロバタのことである。

 フレデリック・ロバタの凶暴さは誰もが知っている。フレデリック・ロバタが立った一人で襲撃した隣国は今でも復興できていないくらいなのだ。

 本当に、心の底から、どうして元お嬢様のパイプリップと元魔王のフレデリック・ロバタが同居しているのか理解ができない。

 それ故に本当に好奇心がくすぐられる。ボクは面白い話が大好きだ。自分の人生がつまらなくて退屈で薄っぺらで白紙だったこともあり、他人の人生の面白い話を聞きたいのだ。

 ボクが不安を抱えながらもパイプリップに着いてきたのはそれが理由だ。

 しかし、人の過去を詮索しちゃいけないっていう決まりがあるらしいんだよな。それはちょっと困る。

「そんなにかしこまらないでいいわよ。適当にくつろいでいて。私は管理人を呼んでくるわね」

 パイプリップはそう言って、ドアの奥に消えていった。

 管理人とはもしかしてフレデリック・ロバタの事だろうか。だとしたら嫌だ。ボクはここに住むことになるらしいのだが、もしもフレデリック・ロバタが管理人だったとしたら、ボクは元魔王に管理されることになるのだ。それは嫌だろ誰だって。なんか理不尽な理由で殺されたりしそうだし。

 適当にくつろいでいてくれとか言われると、どうやってくつろげばいいのか分からなくなる。というのが一般常識だろう。ようするにボクは違う。ボクは適当にくつろげと言われたら、言葉の通り適当にくつろげるタイプである。

 ボクは適当なソファに腰を下ろすと、置いてあったお菓子を適当につかみ、適当に食べ始めた。お、中々不思議なお菓子だ。バリバリという触感になんだかしょっぱい味。これは食べ始めたら止まらない。

「ゲンテン。管理人を連れてきたわ」

 ボクがお菓子をバリバリ頬張っていると、パイプリップがドアを開けて顔を出した。ボクは立ち上がってパイプリップの方を見た。

 パイプリップの後ろについて部屋に入ってきたのは、部屋の中なのに大きな三角帽子をかぶっているいかにも魔法使いな格好をしたお姉さんだった。

「ああ。君がゲンテン君かい?」

 お姉さんの声は低くて落ち着いている声だった。まだ若々しい見た目なのに、なぜか年寄りの女性を彷彿とさせる聡明な声。

 ああ。この人、実年齢を誤魔化しているな。と思った。昔、実年齢を誤魔化している人の近くにいたからなんとなくわかった。

「はい。ボクがゲンテンです」

 ボクがそう言うと、お姉さん(おそらくお婆さん)はボクのことをジロジロと観察しながら朗らかに笑った。

「ほおーん。これが実物かぁ」

 実物? どういうことだ。ボクの複製があるかのような言い方じゃんか。え。ないよね? 怖くなってきたんだけど。

「ふむふむ」

お姉さんはそんな風にうなずきながら僕を観察し、そして言った。

「思っていた通りの美しい見た目だねぇ。ただし、その中性的な顔つきは少々イメージと違ったかな。ゲンテンはもっと男らしい顔つきをしているのだと思っていたよ。でもまあ、言われてみれば、ゲンテンの性格ならこの顔つきの方があっているかも」

「……」

お姉さんはボクの頬を撫でて小さく笑った。

「やはは。ごめんね。今言ったことは気にしなくていいよ」

 いや、気にするだろ……。

 このお姉さんはなんだか不気味な香りがする。ボクのことを知っているかのような言動に、初対面の人間の頬に気安く触れる人間性。ボクは積極的な人が苦手だ。どう対応していいかわからなくなる。

「ようこそゲンテン。ここは今日から君の家になるシェアハウス。通称舞台裏だ。そして私はこの家の管理人。シネマだ。よろしく。私達は君を歓迎するよ」

 ……やりづらい。第一印象はそれだった。綺麗なお姉さんというだけでもやりづらいのに、不思議なお姉さんという面でもやりづらいと、ボクの中のやりづらさランキング上位にランクインしてしまう。

 というかボクが今までに関係を持ってきた知り合いにはクズしかいなかったので、このお姉さんのような普通な人とか正常な人を相手にするのが苦手なのだ。

 相手がクズならこちらも適当な対応をしていいから対応が楽なんだけど。

「よろしく……お願いします」

 ボクがそう言うと、シネマはボクの肩に触れて微笑んだ。そしてボクにしか聞こえないような小さな声で呟いた。

「お疲れさま」

「……?」

 ……何が?

 そう思ったが声には出さなかった。相手が綺麗なお姉さんだったから質問することが憚られたのだ。

 まあたぶん、このお姉さんはお姉さんではなくお婆さんだけど。

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