第214話 決戦前夜3
『灯里、“あれ”は本当にお父さんなの?』
「うん……そうだよ。でも、中身はお父さんじゃないの。異世界の神が、お父さんの身体を勝手に使ってるの」
『はぁ、なんてことなの……』
灯里から告げられた衝撃の事実に、母親である
里美も、灯里の祖父母である
ダンジョンに囚われていたはずの旦那が、娘婿が、「私は異世界の神である」とか「日本を滅ぼす」とか訳がわからないことを話しているのだから。
「だからね、お母さん。私、お父さんを助けに行ってくるよ」
『行ってくるよって……ちょっと待ちなさい灯里、お母さん何がなんだかよくわかってないんだけどさ、それって危なくはないの?』
「ううん、危ないよ。もし私がダンジョンで死んだら、お母さんやお父さんみたいにダンジョンに閉じ込められちゃう。だから、もしものことを考えてお母さんに電話したの」
『もしもって……何言ってるのよあんた! 馬鹿言ってんじゃない、絶対にやめなさいよ!』
電話越しから聞こえる母親の怒声に、そういう反応が返ってくるだろうとは予測していた。どこの親が、子供を失うかもしれないことを許すだろうか。
電話をすれば反対されるのは分かりきっていた。それでも灯里は、もしかしたら母親の声を聞くのがこれで最後になるかもしれないと覚悟して連絡を取ったのだ。
正直に告げることが、家族への誠意だと信じているから。
灯里の中では、エクストラステージに参加することは既に確定事項だ。例え家族を心配させても、反対されても、泣かせることになっても父親を助けに向かう。逆に言えば、それでも引き留めるのが親だった。
『お願いよ灯里、一度冷静になって考えてみて。それって灯里がしなくちゃいけないことなの? ほら、国が動いてくれているんじゃないの? 警察とか、自衛隊とかに任せましょうよ』
「それができないから、国の方から私達冒険者に頼まれたんだよ。エクストラステージをクリアしてって」
『なんてこと……!? 子供になんてことさせるのよ、冗談じゃないわ! 今すぐ私がそっちに言って――』
「聞いてお母さん」
憤慨する母親の言葉を遮り、灯里は胸の内に抱いていた想いを伝える。
それは、三年前から募らせていた強い想いだった。
「三年前のあの日、東京タワーに三人で遊びに行ったあの日、お父さんとお母さんだけがダンジョンに囚われて、一人残った私は凄く辛かった。苦しかった」
『灯里……』
「いつまで待っても、どれだけ待っても、お父さんもお母さんも帰ってこない。私は腹が立ったんだ。警察や自衛隊にじゃない、何もできない自分に腹が立ったの」
あの日のことは今でも忘れずに覚えている。
目の前にいたはずの両親が消えて、自動ドアは叩いても開かなくて、時が経って、ダンジョンのことが徐々に判明されて、両親とはもう会えないのだと絶望して。
愛媛の祖父母のところに引き取られた後も、無力感に苛まれて塞ぎ込んでいた。そんな時、ダンジョンから囚われた被害者が救出されたことを知って決意したのだ。
自分が冒険者になって、自分の力で両親を助けるのだと。
里美は、灯里がこれまでどれだけ傷ついて、自分達を助ける為に高校生活を捧げてまで、がむしゃらに努力して冒険者になったかを清や幸子の口から聞いている。
本当に辛かっただろう。苦しかっただろう。でもその気持ちは本人にしか分からないのだ。
今まで灯里はそういう弱音を吐いてこなかった。
初めて娘の口から弱音を聞いて戸惑ってしまう里美に、灯里は続けて、
「でも今は違う、私には助ける力がある。もう誰かが助けてくれるのを待つ必要はない。自分の力で助けに行けるの。その為に私は今までやってきたんだもん。勿論、自分一人じゃなくて、士郎さんや皆の助けがあったからだけど」
『……そうね、灯里はずっと頑張ってきたんだもんね』
「うん……お母さん、私はお父さんを助けに行ってくるよ。だから待っててね」
『――っ』
灯里の言葉を聞いて、里美はもう喋ることもできないくらい泣き出してしまった。そんな母親の代わりに幸子がスマホを取って、孫娘にこう伝える。
『頑張りなさい。灯里の好きなご飯を作って待ってるからね』
「うん、ありがとうおばあちゃん」
『ほら、あなたも何か言いなさいな』
幸子が清にスマホを預ける。祖父は孫娘に対し、ただ一言だけ伝えた。
『気張ってこい』
「うん!」
祖父母は灯里を引き留めるようなことはしなかった。
それは灯里がどれだけ必死にやってきたかを、ずっと近くで見てきたからだ。それともう一つ、年代の価値観によるものもある。
自分の人生なんだから、例え死のうが後悔しないことを選んで欲しかった。だから応援する、頑張ってこいと。
清からスマホを渡された里美は、涙を流しながら娘に文句を告げる。
『そういえば灯里って、
「えへへ、そうかな」
『笑いごとじゃないわよもう。でも……そうね、わかったわ。そこまで言うなら、私も応援する。もし灯里が捕まっちゃったら、今度は私が冒険者になって助けに行くから安心しなさい』
「えぇ……」
『また皆で出かけましょう』
「うん。お母さん、大好きだよ。行ってくるね」
最後にそう言って、灯里は通話を切った。
大声で泣き出してしまう里美の肩に、清と幸子がそっと手を添える。
「うっううっ……灯里ぃぃ!!」
「大丈夫よ、あの子なら心配ないわ」
「ああ、灯里は俺達と違って大物だ」
自分から電話を切った灯里は、遠くにいる家族に心から謝罪した。
「ごめんね、お母さん」
灯里だって母親を悲しませたくないし、心配させたくない。自分が味わった辛さを感じて欲しくない。
それでも灯里は、父親を助けに行くことに一片の迷いもなかった。
三年前のあの日に、決着をつけるために。
「待ってて、お父さん」
◇◆◇
「ふぅぅぅ……」
許斐夕菜と書かれた表札のある病室の前で、息を深く吐き出す。
正直、またここに来るか迷いに迷った。
ついさっきだ。ついさっき、この病室で、両親は本当の両親ではないと二十七年越しに伝えられた。母さんは俺の伯母で、妹の夕菜は従妹で、父さんとは血さえ繋がっていない。
まだ頭の中がごちゃごちゃしていて、全然心の整理ができていない。凄く迷ったけど、結局俺は来ることにした。
だってもし俺がエクストラステージで死んでしまったら、挨拶もできずにダンジョンに囚われてしまうから。
「よし」
もう一度息を大きく吐き出して、病室のドアをノックする。意を決してドアを開き、家族のもとへ向かった。
「「士郎……」」
「お兄ちゃん」
「話がしたい」
俺が現れて動揺する三人に、間髪入れずに伝えた。椅子を手繰り寄せて座ると、三人に事情を説明する。その上で、ダンジョンに行くことを伝えた。
「待ってよ! 何でお兄ちゃんが行かなきゃならないの!?」
「そうよ、あなたが行くことないじゃない」
「国の力ではどうしようもなくて、このふざけた状況を打破するには冒険者の力が必要なのも理解した。それでも私は、士郎が行かなければならない理由が何一つ分からない」
三人から必死に止められる。夕菜だけではなく、父さんや母さんも本心で言っているのだろう。それは表情や声色でわかるし、本当の親でないとわかっても心配してくれて嬉しかった。
「もう夕菜は助かったのだから、士郎が行く必要はないんじゃないのか? お前の戦いは終わったんだよ」
「それは違うよ、父さん」
父さんの意見を否定する。
何が、と尋ねてくる家族にこう告げた。
「俺の戦いはまだ終わってないんだ。あいつが、異世界の神が話していたけど、俺の大事な人の父親を助けなきゃならない」
「それって、灯里のお父さんのこと?」
「ああ」
「どうして士郎がやらなきゃならないのよ。他人の父親に命を懸けることないじゃない」
母さんの言葉に対し、俺は小さく首を振った。
そして、家族には話していなかったことを話す。
「恥ずかしくて情けない話なんだけどさ、俺は自分から夕菜を助けようとしなかったんだ」
「「……」」
「夕菜は俺に冷たかったし、母さんからはダンジョンに囚われたのが“何で俺じゃなくて夕菜なんだ”って言われるし、正直もうどうでもよくて、家族のことなんて忘れたいと思っていた薄情な奴なんだよ」
この言い訳が母さん達にとって卑怯なことは分かってる。
それでも当時、俺は本当にそんなことを思っていた。あんな妹なんて知ったこっちゃないと、あんな酷い言葉を息子に浴びせるような親とは関係を断ってやるんだってな。
でも、でもさ――。
「そんな俺に、わざわざ愛媛から会いに来てくれたのが、星野灯里っていう女の子だったんだ」
『あの、もしかして許斐士郎さんですか!?』
今でも鮮明に思い出せる。
上司から仕事を押し付けられて、同僚から馬鹿にされながら遅くまで残業して、へとへとになって帰ってきたら、見知らぬ女の子が俺のアパートの部屋のドアの前で体育座りしていた光景を。
本当にあの時は焦ったよ。何でこんな夜遅くに女の子がいるんだってな。
「灯里も両親をダンジョンに囚われていて、友達でもあった夕菜の兄である俺にこう言ってきたんだ。一緒にダンジョンに行こうって、家族を助けに行こうってね」
「そう、だったんだ」
「ああ、そうだよ。それでも俺は迷ったんだ、夕菜を助けることに。でも灯里の熱意に触発されて、冒険者をやることにした。大袈裟かもしれないけど、俺達はダンジョンに囚われた家族を助けるという同じ目的を持った運命共同体なんだよ」
そうだ、灯里がいなかったら俺はダンジョンに行こうなんて考えもしなかった。
灯里が俺の前に現れなかったら、俺を頼って会いに来てくれなかったら、この手で夕菜を助けることだってできなかったんだ。
でも、夕菜を助けて「はいお終い」にはならない。
それで終わりにしちゃいけないんだ。
「俺の戦いは、灯里の父親を救い出すまで終わらないんだよ」
「士郎……」
「それともう一つ、俺の個人的な理由もあるんだ」
「個人的な理由って?」
問いかけてくる夕菜に、俺はすぐに答えずアムゥルの言葉を思い出していた。
ダンジョンを攻略して欲しいと頼まれ、その役目が俺でなければならない。それが俺の運命だと言っていた。
運命とかそんな曖昧なことにそれほど使命感を抱いている訳でもないけれど、なんとなく感じてはいるんだ。
俺の胸の中にある魂みたいなものが、“お前がやれ”ってな。
例え死ぬ可能性があったとしても行かなければならない。今回のことも俺がやらなくちゃいけないことなんだ。
「選ばれた者の責任を果たす、それが理由だ」
「「……」」
「そういう事だから、ごめん。行ってくる」
「バカ……本当バカなんだから」
「っ!?」
えっ、泣いてる? 母さんが?
突然母さんから抱きしめられて困惑してしまう。俺を嫌っている母さんが、どうして泣いているのだろうか?
不意打ち過ぎて戸惑っていると、父さんが“父親の顔”を浮かべて言ってくる。
「士郎がそこまで覚悟しているなら、父さん達はもう止めはしない。命を懸けようとする男に何を言ったって無駄だからな。だけどこれだけは言わせて欲しい……士郎、お前は私達の息子だ。決して一人じゃない」
「父さん……」
「血が繋がってなかろうと、誰がなんと言おうと、お前は私達の家族なんだ。お前がどう思おうと私はそう思っているし、そう信じたい。だから必ず帰ってくるんだ、家族のもとに」
「ああ……わかった」
父の言葉に力強く頷いた。
わかってる、わかってるよ父さん。確かに俺達は本物の家族ではない。愛されていた訳でもないし、親らしいことをしてくれた訳でもない。
でも大学を卒業して独り立ちするまで、あなた達が何不自由なく俺を育ててくれたことは紛れもない事実だ。その過程に本物も偽物も関係ない。あるのは両親に育てられたという事実だけだ。
なら俺にとって嫌いな人達ではあるけれど、父さんも母さんも夕菜もれっきとした家族なんだ。
「嬉しかったわ……」
「何が……」
「あなたは私が嫌いで、顔も見せたくないはずなのに、何も言わずに行くことだってできたのに、私達に会いに来てくれたことが」
「凄く迷ったけどね」
「当然よ」
そう言うと母さんは、抱き付いていた俺からそっと離れ、申し訳なさそうな顔を浮かべて、
「今更許してくれなんて言わないし、士郎も許さなくていい。ただこれだけは撤回させて、謝らせて欲しいの」
「何をだよ」
「なんで士郎じゃなくて夕菜なのよって……あんな酷いこと言ってごめんなさい」
「……」
「私が愚かだった。親として最低な言葉を言ったわ。本当にごめんなさい。謝るから、お願いよ。夕菜の次は士郎がいなくなるなんてことはしないで。無事に帰ってきて」
泣いて話す母さんを見て、俺はもう心の中で母さんのことを許していた。
俺を思って流すこの涙が、本物だとわかるからだ。
何も言わず俺から母さんの身体を抱き締める。それが母さんの謝罪に対する俺の答えだった。
「お兄ちゃん、一つお願いいい?」
「なんだ?」
「お兄ちゃんが帰ってきたら、家族でどっか出かけようよ。どこでもいいからさ、皆で車に乗って、音楽とか聞いて、話とかしながらさ。私達今までなかったじゃん、そういうの」
「いいな、それ」
「でしょ? 約束ね!」
「ああ、約束だ」
夕菜と指切りを交わす。
やっぱり俺の妹はしっかりしているな。多分もっと言いたいことはあるんだろうけど、ぐっと堪えて明るい話題を出してくれる。帰ってきてからの……未来のことを。
父さんと母さんと夕菜に挨拶ができてよかった。
これで万が一があったとしても、心残りはないだろう。
椅子から立ち上がった俺は、家族にこう告げた。
「じゃあ、行ってくるよ」
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