第213話 決戦前夜2

 




「お前から呼び出すなんて珍しいじゃないか。ボクに何の話だい」


「なに、お前がどうするのかを聞いておこうと思ってな」


 メムメムが尋ねると、合馬秀康は肩を竦めながら問いかけた。その質問に対し、メムメムは怪訝そうな表情を浮かべて口を開く。


「それを聞いてどうするんだい。まさかお前がボクを引き留めるなんてことはしないよな」


「そのまさかだ」


「おいおいやめてくれよ。こっちは冗談で言ったつもりなんだからさ、気持ち悪いことはしないでくれないか。さっき食べたお菓子を全部吐いちまうぜ。ボク達はいつからそんな関係になったんだい」



 この二人は元々異世界の住人。

 片や魔王を討ち倒す勇者パーティーの魔術師で、片や人類を滅ぼさんとしていた魔王。


 こちらの世界とは違う世界――異世界で敵対していた二人が別の世界で出会い、まさかその世界を救うために共闘する関係になるとは、なんと可笑しな因果だろうか。


 もし今の関係を異世界の住人が知ったら、人間も魔族もそれはそれは驚くことだろう。既に死んでしまっているが、二人と共通点がある勇者マルクスだけは天国で笑っていそうだが。


 魔王の意外な話にメムメムが鼻で笑うと、合馬は心外だと言わんばかりに眉を顰める。


「勘違いするな、別にお前を心配してのことではない」


「それくらい分かってるよ、冗談だってことぐらいわかれよな」


「……はぁ、私も忙しいんだ、お前とじゃれ合うつもりはない。単刀直入に言うが、お前にはエクストラステージに参加して欲しくない」


「何故だい?」


「“万が一の時”に備えて、お前にはこちらの世界に残ってもらいたい」


「……」


 合馬が言う万が一というのは、メムメムも死んでしまい、誰もエクストラステージをクリアできなかった時のことだろう。


「もしエクストラステージに失敗しても、最悪お前と私が居れば持ち堪えることができる。この私に勝ったお前なら、異世界からどんな魔物が来ようと対処できるだろう」


「軽く自慢しているのが鼻につくんだけど。まぁそれは置いといて、少し買い被り過ぎじゃないか? いくらボクでも、一斉に来られたら対処できないさ」


「それは分かっている。だから何としても冒険者にはエクストラステージをクリアしてもらうつもりだ。もし今回のファーストチャレンジでクリアできなくても、他の冒険者を脅すか、他国に協力を求めるか、軍人を二十二階層まで上げて次に期待する。それか私達で直接神を叩く方法を考える。そこまでの時間稼ぎに過ぎん」


 合馬もメムメムと二人で魔物の侵攻を食い止められるとは思っていない。あくまでも、エクストラステージへのファーストチャレンジが失敗した時に備えての案だった。


 そもそもセカンドチャレンジを許してくれるのかは分からないが、異世界の神エスパスはゲームに拘っている。

 だったらクリアできるまでチャレンジするのは認めてくれるだろう。その間に多くの者が犠牲となってしまうだろうが、日本を救えるのなら多少の犠牲は仕方ない。


「一番望ましいのは一回目のチャレンジでクリアすることだ。だがそのチャレンジでお前が死に、再びダンジョンに幽閉されるのは政府としても痛い。今やお前は、今後の日本においての重要人物なのだからな」


「だからボクには参加するなってことか」


「そうだ」


 今やメムメムは、異世界関連において最重要人物となっている。メムメムが日本にいることで大きなアドバンテージがあり、他国よりも優位な状況を作れているのだ。


 しかしエクストラステージをクリアできたとしてもメムメムを失ってしまえば国力が大幅にダウンし、今後の日本の立場が弱くなってしまう。合馬はそうなることを避けたかったのだ。


「折角のところ悪いけど、ボクはもう参加すると決めてある」


「そうか、まぁ恐らくそう言うだろうとは思っていた」


「じゃあ聞くなよな」


「一応、理由だけは聞いておこうか」


「それは勿論、シローやアカリが参加するからだ。あの二人が参加するならボクが参加しない訳にはいかないだろ?」


「ふっ、冷徹なお前がそこまで入れ込むとはな。それほどあの二人を気に入ってるのか」


「まあね。というより、“日本がどうなろうとボクの知ったこっちゃない”」


(ああ、“そっちだったか”)


 メムメムの言葉に納得がいった合馬。

 冷徹クールな魔術師にしては情に絆されていると思っていたが、実際のところ昔と何も変わっていなかった。

 優先順位が日本よりも許斐士郎や星野灯里なだけであって、憎たらしいほどの冷徹な部分は健在だったのだ。


「許斐君と星野君には参加する理由があるだろうが、他の二人はどうなんだ?」


「カエデとタクゾウかい? さぁね、ボクは何も聞いてない。特に皆で話し合った訳でもないし、こればっかりは個人の判断で決めることにしたよ。悔いが残らない為にもね」


「……そうか」


 アルバトロスと同じように、士郎達もパーティーで相談はしていない。灯里には神から父親を助けたいという目的があるし、元々家族を救う為に一緒に冒険者になった士郎も灯里を手助けするだろう。


 だが楓や拓造には参加する義理はない。士郎達も、二人に命を懸けて戦ってくれとお願いすることはできなかった。


「それでもボクは、あの二人が参加してくれると信じているよ。“仲間だからね”」


「仲間か……私が最も嫌いな言葉だな。だが、仲間の力が世界を救うことを、私が一番よく理解している」


 ふっと可笑しそうに笑う合馬は、過去は敵であり、現在いまは味方であるメムメムにこう告げた。


「ならば勝て。もう一度世界を救ってみせろ」


 力強くそう告げる合馬に、メムメムもニィと勝気な笑みを浮かべて答えた。


「勿論さ」



 ◇◆◇



「たっちゃんはどうするのでござるか」


「……」


 夕飯の洗い物をし終えた妻の島田紗季しまださきから何気なく聞かれた拓造は、どう返せばいいかわからず沈黙してしまった。


 聡い妻は、夫がギルドに呼ばれた理由をなんとなく理解している。あからさまに暗い顔をして帰ってきたのもあって、エクストラステージに参加するかどうかについてだったのだろう。

 そして本人は、参加するかしないか今も迷っているのだ。


 下を向いて黙ってしまっている拓造に、紗季が自分の想いを伝えた。


「正直に言います。拙者はたっちゃんに行って欲しくないでござる」


「……」


「たっちゃんよりも強い冒険者なんて沢山いるでござるよ。その人達に任せればいいでないですか」


「そう……だね」


「なによりも、拙者は愛する人に居なくなってほしくないでござる。例え日本が救われても、たっちゃんが居なくなったら拙者は悲しいでござる。辛いでござる。たっちゃんが居ない世界なんて考えられないでござるよ。だから、お願いだから……行かないで……」


「紗季……」


 愛する人を失いたくない。行って欲しくないと泣き出してしまう紗季を見て、拓造は妻の身体を強く抱きしめた。

 そして、胸の内にある本音を全て曝け出す。


「僕だって行きたくない! 死ぬのは怖いよ! 考えただけでも、身体の震えが止まらないんだ!」


「じゃあ――」


「でも、でも! 僕は許斐君と星野君に大きな恩がある。二人はダンジョン病だった僕を助けてくれた。こんな僕を仲間に入れてくれたんだ。だから僕は、二人の力になりたい!」


 吐き出す拓造は「それに……」と紗季の顔を真っすぐ見て、


「大好きな紗季を失いたくないんだ。クリアできなかったら、日本が滅んだら君を失うことになる。それだけはどうしても嫌なんだ」


「たっちゃん……」


「紗季が死ぬことだけは嫌だ。あの時皆と行っておけばよかったって後悔したくないんだ。だからごめん、紗季。僕は行くよ」


 初めから答えは出ていた。

 ただ覚悟を決めきれなかっただけ。


 それは当たり前のことだ。拓造はただの一般人で、世界を救うようなヒーローでもない。そんな柄じゃないことは自分が一番よく分かっている。ダンジョンに幽閉されるなんて考えただけでも恐ろしい。


 それでも、自分が死んでしまうよりも愛する人が死んでしまう方がよっぽど怖かった。


 決断した夫に、妻の紗季はこう答えた。


「考えは変わらないでござるか?」


「うん」


「ふぅ……わかりましたぞ。たっちゃんがそこまで言うなら、拙者ももうめそめそしないでござる。世界を救ってくるでござる。全力で応援しますぞ」


「紗季……ありがとう」


 決断を後押してくれる紗季に、拓造は心の底から感謝した。今までもそうだったが、彼女のかっこよく支えてくれる所に惚れたのだ。


「ただし、約束してほしいでござる」


「なんだい?」


「必ず帰ってきて。美味しいご飯を沢山作って、たっちゃんが帰ってくるのを待ってるから」


「うん、約束するよ」


 絶対に死ねない。

 紗季を一人残していくことはできない。


 拓造は生きてこの家に、紗季のもとに帰ってくると心に誓ったのだった。



 ◇◆◇



「どうぞ」


「いただきます」


 行きつけのバーのマスターが、シェイクして作ったカクテルをカウンターに乗せる。グラスを手にした五十嵐楓は、じっくりと味わうように口に含めた。


「美味しいです、マスター」


「ありがとうございます」


 ギルドでの招集の後、士郎達と別れた楓は一人で行きつけのバーを訪れていた。神のせいで世間が慌ただしくなり、開店していないだろうとは思っていたが、いつものように看板に明りがついていた。


 真っ暗な街中で唯一明るい看板を見つけた時は、自分でも驚くぐらい安心感を抱いた。


 美味しいカクテルを味わっていると、自分からは滅多に話しかけてこないマスターが珍しく話しかけてくる。


「五十嵐さんがここへいらっしゃって、もう三年になりますか」


「そうですか……そんなに経っているんですね」


 楓がバーのマスターである馬淵まぶちと出会ったのは、フリーの冒険者になった頃だった。あの頃の楓は元パーティーのことで色々あって精神が荒んでおり、他人を突き離したり、タンク職を蔑ろにするような冒険者としょっちゅう揉めていた。


 もう冒険者を辞めようかとも思った時に、馬淵と出会ったのだ。

 彼もフリーの冒険者で、度々同じパーティーになることがあった。五十代の老人が冒険者をやっているのには驚いたが、ダンジョン開放期にはお年寄りが新しい趣味だとかいって冒険者になるのも珍しくはない。


 バーテンダーだからか、馬淵は人との距離感を掴むのが上手く、荒んでいた楓も唯一彼にだけは心を開いた。


 そんな時、馬淵から自営業でやっているバーに来てみないかと誘われ、一回だけならと訪れてみれば、いつの間にか常連になっていた。


「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「ええ」


「五十嵐さんは、行かれるのですか?」


「はい、行きますよ」


 馬淵の問いに、楓は即答した。

 どこに? とは聞かない。彼だって冒険者だし、今日本が置かれている状況は理解しているだろう。


「それはやはり、日本を救うためでしょうか?」


「ふふ、私はそんな殊勝な人間ではないですよ。ただ、大切な人達の力になりたいだけなんです」


 楓はエクストラステージに参加することを決めていた。

 正直、楓が命を懸けてまで戦う必要性はない。日本を救いたいというヒーロー願望がある訳ではないし、灯里のように人質を取られている訳でもない。


 でも、士郎と灯里は必ず参加する。

 なら自分は、大切な仲間と共に戦いに行く。理由なんてそれだけだ。


 一応両親にだけはメッセージを送ってある。ただ今送ると引き留めに来られてしまうので、明日の決戦後に届くように予約しておいた。


 生きて帰ってくればメッセージは消せばいいし、もし死んでダンジョンに幽閉されてしまったら謝罪のメッセージが届くだろう。

 両親には申し訳ないが、もう決めたことだった。


「そうですか……良い仲間に巡り逢えたのですね」


「はい」


 微笑みながら、噛み締めるように返事をする。

 楓が荒んでいた頃を知っている馬淵は、彼女の口からそんな言葉が出てくるのが嬉しかった。


 壊れかけのガラスを張り巡らせ、誰も近づけさせようとしなかった楓が、命を懸けて一緒に戦いたいと思う仲間と出会えた。なんとまぁ喜ばしいことだろうか。


「ごちそうさまでした、もう行きますね」


 グラスをぐいっと呷り、最後の一滴まで飲み干した楓は代金を支払おうとする。しかし、馬淵に止められてしまった。


「お代は結構ですよ。その代わり、事が終わりましたらまたここへいらしてください」


「マスター……」


「応援しております」


 馬淵の心使いに感謝する楓は、「ありがとうございます」とお礼を言っていつものように店を後にしたのだった。

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