第210話 日本の意地




「私ができるのはここまでです。後のことは任せましたよ、合馬君」


「はっ!」



 時は少々遡り、異世界の神エスパスがYouTubeの神チャンネルにおいて視聴者からの質問コーナーを始める少し前。


 緊急会見を終えた内閣総理大臣、菱形鉄心は、壇上から降りると側にいたダンジョン省大臣の合馬秀康おうまひでやすに声をかけた。

 小さな総理は、大きな合馬を見上げながら自身の想いを伝える。


「緊急会見は私の独断でやった事です。本来総理が国民を不安にさせるような事はあってはならないのですが、事が事だけに早めに手を打っておかなければと思ったのです」


「恐れながら、総理の迅速なご判断と行動は英断だと思われます」


「君はそう言ってくれますが、他の者は私の行いを糾弾するでしょう。この事件を解決できたとしても、私は総理の座から身を引くこととなります」


「……」


 菱形総理の言葉に、合馬は何も返せなかった。

 突然異世界の神が現れて、日本が……世界が滅びるなんてことを言われたら、国民達がどういう行動を取るのか予測できない。

 だからこそ、菱形総理は集団パニックによる二次被害を抑えるために緊急会見を強行した。


 しかし、緊急会見をして良かったのか悪かったのかは別の問題になってくる。なんせ会議も行わず、誰にも相談せず総理自らの判断で勝手に緊急会見を開いたからだ。責任問題を問われるのは間違いないだろう。


 それでも総理はすぐにでも緊急会見を開かなければと判断した。

 総理大臣を辞める覚悟を持って、あの壇上に上がったのだ。


「合馬君、私は異世界のことやダンジョンのことはあまりよくわかっていません。ですが“君は違う”。君ならこの危機を救ってくれると私は信じております」


「……」


「“君が何者であっても私は一向に構いません”。ですがどうか頼みます、日本を……世界を救っていただきたい。総理としての最後のお願いを聞いてはくれませんか? この通りです」


 菱形総理は頭を下げて、合馬に懇願する。

 その言葉を受け、合馬は驚きつつも感心していた。


 異世界の魔王だった時も、こちらの世界の人間に転生してからも、合馬は一度だって恐怖という感情を抱いたことはなかった。


 だが菱形鉄心という人間に出会って、生まれて初めて恐怖を抱いた。

 小柄な老い耄れに過ぎず、簡単に捻り潰せそうなのに、その身から宿る黒い圧力プレッシャーは合馬の背筋を凍らせた。


 恐らく生涯において、これほど恐怖を抱いた者は菱形以外に現れないだろう。

 そんな彼が、合馬が唯一認めた人間が頭を下げて心の底から頼んできている。


 それができるのが、人間の持つ強みなのだろう。

 魔族では決してできないことだ。


 ふと、勇者マルクスが言っていた言葉が脳裏を過る。

 人間という生き物は何かの為に、誰かの為に思いやる心があるのだと。


 魔王あの時は全く理解できなかった感情だ。

 だが今なら分かる。総理という地位を即座に捨てても、国民を守りたいという菱形総理の“思い”が。


 だから合馬はこう答えるのだ。



「総理、頭をお上げください。“私の命に懸けて、この国をお守りいたしましょう”」


「ありがとう、合馬君。後は任せましたよ」


 菱形総理に礼をした合馬は、踵を返してその場から立ち去る。裏で待機していた部下の柿崎かきざきと合流すると、歩きながら作戦を立てる。


「状況はどうなっている」


「大臣が予測されていたパターンに基づいて準備を整えております」


「それは重畳。気合を入れろ柿崎、これから日本を守るのだからな」


「はっ!」


 合馬は柿崎と共に移動し、秘密離に用意していた作戦室に入る。

 広く薄暗い作戦室では多くの作業員達がパソコンを操作していた。合馬に気付いた作業員達が挨拶しようと立ち上がるが、手を止めさせないように制した。


 合馬は一番高いところの中央から、作業員全員に聞こえるように話しだす。


「諸君、そのまま聞いて欲しい。ついに恐れていた事態が訪れてしまった。この時が来ないことを願ってはいたが、来てしまったからには仕方ない。だが悲観することはない筈だ。何故なら我々は、この日に備えてあらゆる準備をしてきたからだ」


 一拍空けて、続けて口を開いた。


「この国の未来は諸君等の手にかかっている。今こそ日本の意地を見せる時だ」


「「はっ!!」」


「よし、良い返事だ。ではこれより私の指揮のもと、異世界のゲートから現れた魔物の殲滅作戦に入る。総員準備に取り掛かれ!」



 作業員達に号令を下す合馬に、柿崎がイヤホンマイクを渡す。イヤホンマイクを装着した合馬は、柿崎に状況を尋ねた。



「“SDT”はどうなっている?」


「輸送ヘリにて各現場へ向かっております。一番早く到着するのが、D2が担当している神奈川県にある神社です」


「よし、では中央モニターをD2部隊に切り替えろ」


 合馬が指示すると、作戦室の中央にある巨大モニターの映像が切り替わる。恐らく戦闘員のヘルメットに装着されてあるカメラによるものだろう。輸送ヘリの室内が映し出されていた。


『こちらD2、現着しました』


「こちら合馬、魔物を発見次第撃ち殺せ」


『ラジャー』


 銃を携えた戦闘員が輸送ヘリから次々出てくる。

 彼等は対ダンジョン特殊部隊――通称special dungon teamである。

 この日に備えて合馬が用意していた、異世界の魔物との戦闘に特化した秘密部隊だ。公にはしていていないが、勿論政府の認可は降りている。


 SDTは整列しながら神社の鳥居を潜ると、異世界の魔物であるゴブリンを発見した。


「「おぉ……」」


「本当に……いたんだ」


「神が言っていることは嘘じゃなかったのか」


 モニター越しに醜悪なゴブリンを目にした作業員達の手が止まり、ざわめきが広がった。神が話していたことは嘘であって欲しかったが、実際に存在していることをこの目で見て現実を思い知らされてしまう。


 ゴブリンを目にして作業員達に動揺が広がる中、合馬は落ち着いた声音でSDTに指示を下す。


「撃て」


「ギャアアア!?」


『D2、クリア』


 SDTが発砲した銃弾を喰らったゴブリンは、血飛沫と汚い悲鳴を上げて倒れた。その様子はエスパスによって配信されており、ド派手なシーンを観た視聴者達は興奮する。


 RYO:よっしゃああああああ!!

 北斗:自衛隊すげぇぇえええ!!

 ツナマヨ:日本を舐めるな! ゴブリンなんかちょちょいのちょいよ!


「お~、凄い凄い! まるで映画を見ているようじゃないか!」


 エスパスもまた、視聴者と同じようにゴブリンを銃殺するシーンを見て楽しそうにしている。


 呑気な彼等とは違い、現場にいる人間は必死だ。数体のゴブリンを駆除したSDTは周辺を捜索すると、空間に渦が巻かれているゲートを発見する。


『こちらD2、ゲートと思われるものを発見しました。大臣、どうされますか』


「半分はそこで待機。ゲートから出てきたところを撃ち殺せ。残りの半分は市街地に向かったゴブリンを駆除せよ。いいか、一匹も取り逃がすな」


『D2、ラジャー』


 SDTから指示を仰がれた合馬は、迅速に次の指示を与える。D2部隊が指示通りに行動に移していると、作業員達から続々と報告が上がってくる。


「大臣、D3がゲート付近に到着しました!」


「D1、D4も到着いたしました!」


「よし! D1、D3、D4も魔物を発見次第殲滅せよ!」


「「はっ!」」


 魔物と接触しているのは神奈川県に出現したD2部隊だけではなかった。秋田県、静岡県、熊本県と、全国各地に出現したゲートへSDTが派遣され、到着次第すぐに魔物を殺してゲートを発見する。


 それらの様子を全て配信で見ているエスパスは、怪訝そうな顔を浮かべていた。


(おかしい……彼等は何故ゲートの場所が分かるんだ? 見たところ行き当たりばったりではなく、確実にゲートの場所を絞り込んでいる。いったいどうやってゲートを見つけているんだろうか)


(ふん、異世界の神よ、貴様の思い通りにはさせんぞ。日本の力を舐めるなよ!)


 エスパスが疑問を抱いている中、神チャンネルで神の困り顔を見ている合馬はしてやったりとした風に鼻を鳴らした。


 どうして合馬がゲートの場所を特定できているのか。

 その理由は、合馬がダンジョンから取れる魔石を元にして開発していた“魔力反応探知機”によるものだった。


 この機械は、ゲートや魔物といった強い魔力の反応を探知することができる。その探知機を全国各地に設置していたのだ。


 何故合馬がそんな事をしたのか。

 その理由は、お盆休みを挟んだ長期夏季休暇でのことがきっかけである。


 星野灯里の祖父母がいる愛媛県へ旅行に行っていたメムメムから、ゴブリンが現れたとの連絡が入った。

 現場に行ってみると、メムメムや合馬がいた世界のゴブリンだということが判明する。


 合馬はその時からある推測を立てていた。

 異世界の神が、いずれゲートを開いて異世界からモンスターあるいは異世界人を連れてきて、よからぬ事をするという推測を。


 そしてこう考えた。

 今からそうなってしまった時の為に反撃の準備をしておかなければならない、と。


 合馬はすぐに動き始めた。

 その日から今日に至るまで、一日も休暇を取らず寝る間を惜しんで仕事に奔走する。元々開発してあった魔力反応探知機を量産し、全国各地に設置。それと並行して、SDTの編制と訓練を急がせた。


 ゲートが一か所だけならメムメムと合馬だけでも対応できるが、全国に同時多発するとなると二人だけでは対応が間に合わない。人海戦術が必要なためにSDTを作ったのだ。


 全ては、合馬がこの日が訪れるのを予測していたから。

 異世界の魔王だった彼だからこそ、気に食わない神であるエスパスがやり得るようなことを読み切れたのだ。


(本当に大臣には驚かされる。この人はいったい何者なんだ……)


 慌ただしく指示を飛ばしている合馬を横目に見る柿崎は、彼の凄さに驚嘆していた。魔力反応探知機やSDTについては、ずっと前から着手していた。


 まるでいつか、この日が訪れることが分かっていたみたいに。

 いや、きっと彼は分かっていたのだろう。異世界に対しての知識が人一倍あり過ぎるのも気になるし、色々隠し事をしていて、裏で何かをしているのも薄々感じ取っている。


(合馬大臣、貴方は凄い人だ……)


 柿崎はそれを踏まえて、合馬が味方であることに心底安堵した。

 と同時に、こんな凄い人の部下でいられて誇りに思ったのだ。


(これは君の仕業かな、異世界の魔王)


 柿崎と同じく、異世界の神もまた合馬に感心を抱いていた。様々な場所でゴブリンを殺しているSDTの様子を観察しながら、魔王の仕業だと推測を立てる。


 ゲートや魔物に対して余りにも詳し過ぎるからだ。

 対応も早いし、こんな事ができるのはメムメムか魔王しかいないだろう。そしてメムメムの性格を考えれば絶対にやらないだろうし、きっと魔王であるだろうと推測した。


(ふふ、どうやら一泡吹かせられたようだね。面白いじゃないか。私の考えをまんまと読まれていたこともそうだけど、君が人間のために行動するのが面白くて仕方ないよ)


 配信を見ながら、心底楽しそうに笑うエスパス。

 何事も思い通りになるのはつまらない。こういう予想外の事が起きるからこそ、退屈せずに済むのだ。


「ブゴオオオ!!」


『こちらD1、ゲートから人型の豚らしき魔物が現れました』


「そいつはオークだ。“D装具”の使用を許可する」


『ラジャー』



 新たにゲートから出てきたのはダンジョンでお馴染みのオークだった。二メートルある巨躯の豚鬼に対し、SDT隊員は銃ではなく長剣を構える。

 漆黒の長剣をその場で振るうと、斬撃波が生まれオークの胴体を真っ二つに斬り裂いた。


 火加減:スゲー!!

 奈緒:何だ今の! かっこいいんですけど!?

 うさちゃん:あれ、ここダンジョンじゃなくて現実だよね?


 信じられない光景を見ていた視聴者達が一気に盛り上がる。彼等が驚くのも無理はないだろう。

 現実世界で、斬撃波を飛ばすようなファンタジーシーンを目にしたのだから。


「へぇ~、そう来たか」


『D1、クリア』


「よくやった。引き続き頼む」


『ラジャー』


 SDT隊員がオークを殺した剣は、『迷宮革命軍』のボスであるブライアン・ロドリゲスから押収した魔剣――ダンジョン産の装具である。


 D装具は『迷宮革命軍』から押収したものだけではなく、他にも東京タワーダンジョンからポップしたものも各隊に用意されてある。


 本来D装具はギルドから持ち出し禁止なのだが、こちらの世界の武器で倒せない魔物が現れた時に備えて、合馬が特例としてSDTだけに持たせているのだ。


 D装具があれば、大抵の魔物は倒すことができる。


 しかし――、


「ふふ、それでどれくらいもつかな?」


 D装具をもってしても、ダンジョンの階層主やドラゴン辺りが出てきたら太刀打ちできないだろう。

 そんな事は合馬自身も理解わかっていて、だからこそ事態の根本を解決しなければならなかった。


「柿崎、二十二階層を越えている全ての中・上級冒険者に連絡を取れ。ギルドに緊急招集をかけるんだ」


「はっ!」


 この事態を根本から解決するには、エスパスが用意したエクストラステージをクリアしてゲートを閉じさせるしかない。

 その為には、ダンジョンに入れる冒険者達の力が必要なのだ。


「ここは任せた。私は冒険者達の説得に向かう」


「承知しました」


 現場を柿崎に任せた合馬は、日本を救うべくギルドへ向かったのだった。

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