第207話 許斐士郎 後編




「そうよ、その赤ん坊が士郎……あなたなのよ」


「――っ!?」


 母さんから告げられた言葉に、俺は息を呑んだ。

 そうか……そういう事だったのか。今になってやっと、長年抱いていた疑問が解けたよ。


「父さんと母さんが俺のことに無関心だったのは、俺が本当の子供じゃないから。しかも、母さんが嫌ってる篠宮家の子供だからか」


「……その通りよ。本当の子供でもないし、縁を切った筈の篠宮家からの子供。あなたの顔を見る度に、私はまだ篠宮家に縛られたままだという事を嫌でも自覚させられたわ」


「マジかよ……っ」


「お兄ちゃん……」


 無関心どころの話じゃなかった。

 母さんはずっと俺のことを憎んでいたのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。


(“そこまで”とは思わなかった)


 これなら、友達が言っていた冗談のように橋の下から拾ったとかの方がまだマシだった。自分の人生を縛ってきた篠宮家から押し付けられた子供に、普通の母親として接することなんてできやしない。ましてや愛することなんて。


 父さんだって、不義理を働いた篠宮家に会社の借金を肩代わりしてもらう負い目とかあっただろう。そんな相手からの子供を父親として愛せる訳がない。


「すぅ……はぁ……」


 両親が俺に対して無関心だった理由は分かった。

 だけどまだ、肝心な問題が出てきていない。俺は深呼吸をしてから、二人に問いかけた。


「それで、俺の本当の両親は誰なんだ」


「士郎の話は複雑なんだ。私が言うのもなんだが、これ以上は聞かない方がいい。士郎にとってもな。それでも聞きたいか?」


「ああ、真実を知りたい。自分が誰なのか知りたいんだ」


 父さんが渋るのではっきりと告げると、父さんは「そうか……」と小さく息を吐いて、


「士郎がそう言うのなら仕方ない。だが、私よりも母さんの方が詳しい」


「母さんが?」


 母さんの方に顔を向けると、母さんは俯きながら口を開いた。


「……士郎の親を話す前に、私の妹についてから話すわ」


「妹……」


「私の四歳よっつ下に、篠宮優花里しのみやゆかりという妹が居たわ。優花里は身体が弱くて、何をするにもドン臭くて、両親からは見放されていたの。だからか、家に縛られず自由に生きていたわ。そんな妹のことが私は嫌いだった。どうして私は大変なのに、妹は気楽に生きているのよってね」


 ぐっと拳を握り締めながら、憎々し気に告げる母さん。

 その様子から、本当に妹が嫌いなことが伝わってくる。篠宮家に縛られた母さんの立場からすると、妹に嫉妬するのも無理はないだろう。


「私が高校生になる頃、突然お父様が愛斗まなとっていう一人の男の子を家に連れてきたわ。驚いたことに、その子はお父様が愛人と作った子供だったのよ」


「愛人の子供……」


 またとんでもない話が出てきたな。

 母さんの父親ってことは、夕菜の祖父にあたる人か。


「どうやら愛人が亡くなってしまったみたいで、お父様が愛斗を引き取ったのよ。勿論、愛人との子なんて歓迎される訳がない。お父様は愛斗を、身体が弱い優花里の世話係につけて放任したわ」


「私のおじいちゃんってそんな酷い人なんだ」


 夕菜の意見に心の中で頷く。

 愛人を作ってるのも大概だが、引き取った癖に放任するとか酷すぎるだろ。しかも娘に押し付ける形だなんて、親として腐ってる。


「そうね、酷い人だったわ。でも、優花里と愛斗は幸せそうだったわね。私は殆ど関わりがなかったけど、愛斗も甲斐甲斐しく優花里を世話していたのを見掛けたし、優花里も愛斗が来てからいつも笑顔だったわ。長い前振りだったけど、ここまでが妹の話。ここからは私が家を出て、篠宮家から赤ん坊の士郎を預けられた話に繋がるの」


 話が繋がる? ってことはまさか……。

 ある想像をして絶句してる俺に、母さんは続けて話した。


「この赤ん坊は誰の子かって聞いて驚いたわ。だって、優花里と愛斗の間にできた子だったんだもの」


「――っ!?」


 俺の本当の父親は愛人の子の愛斗で、本当の母親は母さんの妹の優花里。

 嘘だろ。そんな……そんな事ってあるのか? だって、その二人は――、


「ちょ、ちょっと待って! 愛斗と優花里って父親は同じなんでしょ? 血は繋がってるよね!?」


「そうよ夕菜。だから問題なのよ」


「待ってくれ。その話が本当なら俺と母さんは……」


「私は士郎の伯母になるわね。そして夕菜は士郎の従妹になるわ」


「嘘っ……私とお兄ちゃんって血が繋がってんだ。私てっきり……」


 俺の従妹だと知って驚く夕菜。

 夕菜は俺と血が繋がっていない義兄妹だとずっと思っていたみたいだ。恐らく、両親から聞いた話の内容を勘違いしてしまったのだろう。


(複雑だ……複雑過ぎる)


 父さんが言ったように、俺達家族の関係は複雑過ぎる。

 俺の両親は祖父の腹違いの子で、血が繋がっているのにも関わらず結ばれてしまった。そして俺を生んだのだ。


 母さんは俺の伯母にあたり、夕菜が従妹。俺達は本当の家族ではないが血は繋がっている。そして俺にとって父さんは、血が繋がっていない赤の他人ってことになる。


(なんだよこれ……)


 胸中で愚痴を吐く。

 己の生い立ちを知った俺は、頭と心がキャパオーバーになっていた。今すぐこの場から逃げ去りたい衝動に駆られている。

 だけど、まだ逃げられない。もう一つ聞きたいことができたからだ。


「あれ、待って。お母さんは私とお兄ちゃんの仲が良いのが気に入らなかったんでしょ? でもさ、私達は血が繋がった兄妹なんだからそこまで心配する必要なくない? お兄ちゃんのことは好きだけど、“その時は”別に恋人になりたいとか全然思ったことないしさ」


「だからこそ心配なのよ、夕菜。士郎の親は、血が繋がった兄妹で結ばれたのよ」


「あっ……」


「“あの親”の子供なんだから、絶対にないとは言い切れないじゃない。現にそうなった例が身内で起こっている。夕菜と士郎が結ばれるなんて馬鹿げているけど、あなた達は凄く兄妹仲が良かったし、もしもの事があるかもしれない。それが凄く恐かったのよ」


「っ……」


 母さんが不安を抱くのも仕方ない。

 仲が良い俺と夕菜を見ていて、気が気でなかったのだろう。俺の両親、愛斗と優花里は血が繋がった同士で結ばれているし、自分の娘がそうなってしまうんじゃないかと危惧するのも十分わかる。


 言葉を失って俯いている夕菜に代わり、今度は俺が問う。


「最後に……これだけ聞かせて欲しい。俺の本当の両親、篠宮優花里と愛斗はどこに居るんだ」


 恐る恐る尋ねると、母さんは首を横に振って、


「分からないわ」


「分からない!? 何でっ」


「私も聞いた話だから詳しくは知らないけど、士郎が産まれたすぐ後に、二人は突然消えてしまったそうなの」


「消えた!? 消えたってどういう意味だよ!?」


「そのままの意味よ。誰にも何も言わず、産まれたばかりの赤ん坊を置いて、忽然と消えてしまったそうよ。多分篠宮家も日本中捜しまわったと思うけど、見つかったって連絡が未だにこないっていうことは……」


「そんな……」


 信じられない、信じたくない。

 母さんの話が本当なら、俺は両親に捨てられたんだ。邪魔な赤ん坊の俺を置いて、二人でどこかに行ってしまったんだ。


「ふぅ……ふぅ……」


 キツい……余りにもキツ過ぎる。

 両親が俺を置いて消えたというのなら、俺は実の親に望まれて産まれた訳じゃなかったんだ。


「くっそっ」


 こんな……こんなことってあるかよ!!

 捨てて逃げるくらいなら、最初から産むんじゃねえよ!! クソったれ!!


 ゴッと拳を膝に叩きつける。

 顔も知らぬ両親に激しい怒りが湧き上がっていると、母さんが申し訳なさそうに俺にこう言ってきた。


「今まで黙っていてごめんなさい。士郎を引き取った時、誰にも口外するなと篠宮家から言い渡されていたの。恐らく向こうも、優花里と愛斗に関することは全て隠し通しているはずよ」


「そりゃそうだろうな。愛人の息子と娘にできた子供を他所様に話せる訳がない。名家の篠宮家からしたら俺という存在は汚点なんだ。そのまま家に置いておいてもよくないから、父さんと母さんに厄介払いしたんだろう」


「私達が黙っていたのは、篠宮家から他言無用されたからだけじゃない。真実を話すのは士郎にとって余りにも酷だからだ。できるなら、最後まで教えたくはなかった」


「そうだね……父さん。もし俺が子供の頃にこの話を聞いていたら、何をしたか分からない」


 グレるどころじゃないだろう。

 最悪、自殺していたかもしれない。俺はそんなに強い人間じゃないから、子供の頃に真実を知ったら何をしでかしたか分かったもんじゃない。

 そう考えると、今に至るまで黙っていてくれていたのは逆に良かったのかもしれない。


「ごめん、一人にさせてくれ」


「「士郎!」」


「お兄ちゃん!」


 許斐士郎という人間の全てを知った俺は、椅子から立ち上がって仮初の家族に背を向ける。扉に手をかけた時、俺は振り向きながら父さんと母さんにこう言った。


「父さん、母さん、これだけは言わせて欲しい。本当の子供じゃないのに俺を育ててくれてありがとう。全然構ってくれないとか、冷たくて寂しい思いもしたけど、何不自由なく育ててくれてありがとう。感謝してる」


「「士郎……」」


 両親にそれだけ伝えると、俺はその場を立ち去ったのだ。

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