第206話 許斐士郎 前編




「私とお兄ちゃんは、血が繋がった本当の兄妹じゃない」


「……」


 夕菜からそう言われた時、何故だか分からないけど俺はそれを受け入れていた。

 勿論、俺と夕菜が本当の兄妹ではないというのは凄く驚いたよ。が、“そっちじゃなくて、俺が父さんと母さんの本当の子供ではない”という方にだ。


『仕事で疲れてるの』


『すまないな、今日は用事があるんだ』


 心のどこかで、“もしかして”っていう気持ちはあった。

 物心ついた頃から、両親は俺に対して無関心ではないかと思うことがあった。その事を友達に相談したら、「実はお前、本当の子供じゃねーんじゃねーの。橋の下で拾ったとかさ」と笑いながら冗談を言われたのを覚えてる。


 だけど俺からしたら、冗談ではないのではないのか、実の親子ではないのではないのかと疑問を抱いていた。


 でも俺は両親に聞けなかった。

 恐かったんだ。もし本当にそうだったとしたら? 聞いてしまって、親子関係が更に悪くなるのではないか、捨てられてしまうんじゃないかと、恐くて聞けなかった。


 幸い、夕菜が生まれたことで両親も多少優しくなったし、俺も赤ん坊の妹に夢中だったからその疑問はすぐに忘れられた。


 だが、心の奥底に仕舞っただけで消えた訳ではない。

 俺が両親の本当の子供ではない、という疑問は。


「そうか……父さんと母さんは、そんな事を言ってたのか」


「その反応だと、やっぱりお兄ちゃんはまだ聞かされてなかったみたいだね」


「そうだな、知らなかったよ。俺と夕菜は、本当の兄妹じゃないんだな」


「うん……それを聞いた時、どうしたらいいんだろうってすっごくパニクっちゃってさ。本当の兄妹じゃないってこともそうだけど、それ以上にこのままじゃお兄ちゃんと離れ離れにされちゃうって不安で仕方なかったの」


 ああ……なんとなく分かってきた。

 夕菜が何故、突然俺に冷たい態度を取るようになったのか。ちゃんと理由があったんだ。そして、確かにその理由は俺に話すことはできないだろう。


「どうやってお兄ちゃんと一緒に居られるんだろうって考えた私は――」


「俺に冷たく当たったのか。父さんと母さんを誤魔化す為に」


「……うん。それでお母さんは私達のことを疑ったりはしなくなった。けど、そしたらお兄ちゃんが家を出て行っちゃった。そりゃそうだよね、あんな居心地悪い家なんかに居たくないよね」


 そうだ、あれ以上居ない人間扱いされるのは耐えられなかった。


「馬鹿だよね、私。自分のことばっかり考えて、お兄ちゃんの気持ちなんか考えてなかった。ごめんね、お兄ちゃん……」


 涙を溢れさせ、俯きながら謝る夕菜。

 俺は椅子から立ち上がり、夕菜に近付いて頭の上にポンッと手を置く。


「夕菜は悪くない。そもそも話が重いし、それを聞いた夕菜がそうするしかなったんだと考えたなら、仕方なかったことなんだ」


「でも……っ!」


「それに、俺だって夕菜を見捨てた薄情な兄だ。どっちの方が酷いっていうなら、俺の方が断然酷い」


「そんな事ない、そんな事ないよ。だって、お兄ちゃんは私を助けてくれたじゃん」


「三年かかって、だけどな」


 そう、三年もかかってしまった。

 夕菜にとって、失った三年間は途轍もなく大きいだろう。


「それでも、助けてくれたことにかわりはないよ」


「そうか、夕菜がそう思ってくれるなら俺はもう謝らない。だから夕菜ももう気にするな」


「……うん。じゃあ、許してくれる?」


「許すさ。ってか、俺は夕菜から本当のことを聞けて良かったよ。どうして夕菜は俺を嫌っちまったんだろうって結構悩んだからさ。夕菜が俺のことを嫌ってなかったんじゃないと知って、凄く嬉しいよ」


「お兄ちゃん……」


 黒く艶やかな髪を撫でながら、笑顔を浮かべて夕菜に告げる。

 ずっと気がかりだった。夕菜がどうして俺を嫌ってしまったのか。その理由も判明して、夕菜が俺を嫌ってなかったのだと分かって心に刺さっていた楔が一つ取れた。


(うん……待てよ?)


 俺がそう決めつけてるだけで、夕菜は本当に俺を嫌っていたんじゃないか?

 そういえば本人からちゃんと聞いてなかったな。あれ、どうしよう……マジで俺のこと嫌いだったら。


「な、なぁ夕菜。一応聞いておくけど、本当にお兄ちゃんのこと嫌いじゃないよな?」


「ぷっ! あはは、何言ってんのよお兄ちゃん。嫌いな訳ないじゃない。逆逆、すっごく好き」


「はぁ~~~。そっか、よかった」


 可笑しそうに笑いながら言う夕菜に、俺は深い息を吐いた。

 よかったぁ……これで俺のこと嫌いだったらそれこそショックで立ち直れなかったかもしれない。


「そういえばさ、一緒に暮らしたいって言ってたけど、本気だったのか?」


「うん、本気だったよ。東京の高校に入学して、お兄ちゃんの家から通うつもりだった。高校生になれば私もバイトできるし、家を出ちゃえばお兄ちゃんのことで親からあ~だこ~だ言われずに済むし、お兄ちゃんとずっと一緒に居られるしね」


「そんなこと考えてたのかよ」


「まぁね。でももういいんだ」


「ん? どうしてだ?」


 どうして急に考えが変わったのかと気になって尋ねてみるも、夕菜は無理矢理作ったような笑顔を浮かべて、


「う~ん、内緒」


「なんだよ、気になるじゃん」


「もういいの。それに、お兄ちゃんに許してもらえただけで十分だよ」


「夕菜……」


 そうだな。何はともあれ、兄妹のわだかまりが解けんだ。

 俺と夕菜が本当の兄妹じゃないってことには驚いたけど、そんな事はどうだっていい。夕菜にとって俺は兄で、俺にとって夕菜は妹だ。

 その関係は変わらないし、それでいいじゃないか。



 ――だけど、俺にはまだ知らなければならないことがある。



 と、その時。

 コンコンッと不意に病室の扉が叩かれ、ガララと音を立てて開かれる。


 病室に入ってきたのは二人の男女。

 娘が消えてしまった心労により、この三年で少し老けたように見える五十代の男性と、夕菜と似ている綺麗な顔立ちだけど頬がややこけた女性。


「「夕菜……」」


 俺の父、許斐和也このみかずやと。

 俺の母、許斐和沙このみかずさがそこにいた。


「夕菜!」


 ばっと、両親がこちらにやってくる。

 邪魔にならないようその場から離れ、三年ぶりに果たす“家族”の再会を見守った。


「あぁ夕菜、本当に良かったわ」


「ちょっとお母さん、痛いってば」


「無事でいてくれてよかった」


 夕菜を強く抱きしめる母さんと、安心する父さん。


 昨日の夜、夕菜を救出したことを電話で両親に伝えた。

 もっと早く伝えるべきだったんだが、夕菜のことで頭が一杯で両親に連絡することをすっかり忘れてしまったんだ。


 久しぶりに家に電話をかけるのは結構緊張したよ。

 最後に会ったのが“アレ”だったからな。電話相手が俺だと知ったら即切られるのではないかって心配もしたが、電話に出たのが父さんで良かった。


 夕菜が救出されたと伝えると、父さんは凄く驚いていた。

 そして明日の朝にすぐにこちらへ向かうと言い、一言二言話して電話を切ったのだ。


「お母さん、ちょっと老けた?」


「もう、誰のせいでこうなってると思ってるのよ。夕菜は全然変わらないわね、三年前のまま」


「仕方ないじゃん。ダンジョンって場所に閉じ込められてたみたいだし」


「そうね、夕菜は悪くないわね」


(……よかった)


 泣いて喜ぶ母さんの顔を見て、俺も素直に良かったと思う。

 もし俺が母さんの立場で、居なくなった娘が戻ってきたと知ったら同じように泣いて喜ぶだろう。


 ただ一つだけ考えてしまうのは。

 もし囚われたのが夕菜ではなく俺だったら、母さんは同じように泣いて喜んでくれただろうか?


 そんな“もしも”が頭に浮かんでいると、父さんが俺の肩にポンッと手を乗せてくる。


「士郎が夕菜を助けてくれたそうだな」


「……ああ、うん」


 夕菜を救出したのが俺だという事は、敢えて伝えなかった。

 そもそも俺が冒険者になったってことだって話してないし、余計なことは話さず簡潔に事実だけを伝えた方が混乱しないんじゃないかと思ったからだ。

 だが、どうやら父さんは夕菜を救ったのが俺だと知っていたらしい。


「なぁ父さん、こんな時にする話じゃないのは分かってるけど、聞かせてくれないか。俺の本当の両親は誰なんだ?」


「「――っ!?」」


(やっぱりそうだったのか)


 問いかけた瞬間父さんは目を見開き、夕菜と話していた母さんは俺の方を向いて驚愕している。

 確証はなかったが、二人の反応からして俺が本当の子供でないのは間違いないみたいだ。


「どうしてその事を……」


「さっき夕菜から聞いたんだ」


「夕菜が? 夕菜は知っていたのか?」


 父さんが夕菜の方を向いて聞くと、夕菜は「うん」と頷きながら口を開いた。


「中学に上がる頃、お父さんとお母さんの話を聞いちゃったの。お兄ちゃんが、私とは本当の兄妹じゃないって」


「……そうか。あの時の会話を聞いていたのか」


「お願いだ父さん、聞かせてくれないか」


「何もこんな時に話す必要ないじゃない。それに、その事は話したくないわ」


「ねぇお母さん、私も知りたい。お兄ちゃんのこと」


「夕菜……」


 母さんは話したくないと拒否したが、夕菜が助け船を出してくれる。

 確かに時と場所を考えない俺も悪いが、母さんは話すこと自体かなり否定的だ。それは何故だろうか。

 俯く母さんを怪訝な眼差しで見ていると、父さんが深いため息を吐いた。


「できれば最後まで隠しておきたかったが、知ってしまったのなら仕方ない。話そう」


「ちょっとあなた! 本当に話すの!? 家との約束は!?」


「知ってしまったら約束も何もないだろう。私達が話さなくても、士郎は一人でも調べるさ」


「だけど……」


 なんだ、母さんはどうしてそこまで話したくないんだ。

 家との約束ってなんなんだ。


「立ち話もなんだし、座って話そう」


「分かった」


 人数分の椅子を用意して、ベッドにいる夕菜を囲う形に座る。両親がベッドの横並びで、俺がベッドの正面の位置だ。

 未だに俯いている母さんの肩に手をやると、父さんは俺のことを話し始めた。


「士郎については、まず母さんの家のことを話さなければならない」


「母さんの家?」


「ああ、母さんの家――篠宮しのみや家は名家なんだ」


 名家だって……母さんの家が?

 全然知らなかった……まぁ聞かされてないから当たり前なんだが。


「私は自分の家が凄く嫌いだったわ。いえ、今も嫌いよ。両親から厳しく育てられ、やりたい事を何一つさせてもらえなかった。雁字搦めのつまらない人生。私の役目は、長女として篠宮家の血を絶やさないようにすることだけ。時代遅れの政略結婚もさせられそうになったわ」


「酷い……そんな漫画みたいことあるんだ……」


 母さんの話を聞いてドン引きする夕菜。

 驚いた……母さんがそんな辛い人生を送っていただなんて。


 でも、させられそうになったという事はしなかったという事だよな。

 現に父さんと結婚しているし。


「私の人生はずっと篠宮家に縛られていくと思っていたの。父さんと――和也さんと出会うまではね」


「お父さんと?」


「ええ、この人社交界でいきなりナンパしてきたのよ」


「母さんが余りにも綺麗だったから……つい」


(おいおい)


 ついって……父さんって意外とプレイボールだったんだな。

 待てよ……社交界で会ったってことは許斐家父さんもかなりの家柄だったのか? 父さんも母さんも名家の割りには、ウチは一般的な家庭だよな。


「和也さんとはすぐに意気投合したわ。二人とも名前に“和”が入っていて、運命だねって。この人と一緒になりたいと想うようになった。でも、私と和也さんも既に家が決めた結婚相手がいて、どうにもならかったわ」


「だから二人で駆け落ちしたんだ」


「「駆け落ち!?」」


 それはまた思い切ったことするなぁ、恋愛ドラマかよ。っていうかそんなサラッと言うことじゃないよ父さん……。

 でもだからか。二人共家柄が良いのに一般的な家庭だったのは。


「私達は家と縁を切ったわ。向こうも政略結婚を不意にして駆け落ちなんかした私達を勘当しているでしょうね。でも、私は篠宮家が大嫌いだったから離れられてとても清々しかった。やっと解放されたのよ」


「お母さん……」


「家を出て、凄く幸せな日々だったわ。和也さんと結婚して、今までやれなかったことを沢山やったし、行きたい所にも沢山行った。だけど……欲しかった私達の子供が中々できなくて、それに……」


「私が会社の事業を失敗してしまったんだ」


 明るく話していた母さんが段々と暗い顔になっていき、再び父さんがサラッとぶっ込んできた。

 事業を失敗って……俺が口を開く前に、夕菜が尋ねた。


「それって、お父さんの会社が倒産したってこと?」


「はは、そうなるな。まぁその時はまだ父さんじゃなかったけどね」


 いや笑いごとじゃないだろ。


「子供もできず悩んでいたところに、会社が倒産して多額の借金を背負うことになってしまったの。これからどうしようって悩んでいたその時、縁を切った筈の篠宮家から突然連絡が来たのよ」


「何でさ……いったい何の用で連絡してきたんだ」


「借金を肩代わりする代わりに、赤ん坊を引き取れってね」


「まさか……その赤ん坊って」


 母さんの口から出る言葉を予想して目を見開くと、母さんは予想通りの言葉を放ったのだ。


「そうよ、その赤ん坊が士郎……あなたなのよ」

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