プロローグ7

 


『A、お前に課せられたミッションは凍結された。すぐにこちらへ帰還しろ』


「……はぁ!?」


 電話越しに告げられた内容に、エマ・スミスは驚愕の声を上げた。

 長期夏季休暇も残り僅か。高級マンションに一時的に仮住まいしているエマは、夜も耽っている頃にバスローブに美しい身体を包みながら年代物のワインを嗜みながら寛いでいた。


 良い具合に酔ってきたと思っていたら、突然スマホに電話がかかってくる。

「こんな時間に誰よ、折角良い雰囲気に浸っていたのに台無しじゃない」と悪態を吐いて苛立ちながら確認すると、着信相手は仕事の同僚であり、彼女の連絡係だった。


 何かあったのか? と怪訝そうな表情を浮かべながら電話を取ると、連絡係は開口一番に突飛なことを言ってきたのだ。

 ミッションの凍結に帰還。余りにも唐突過ぎる内容に、エマは眉間に皺を寄せて問い質す。


「ミッションの凍結ってどういうことよ!? 私に課せられたミッションは長期的に見る筈じゃなかったかしら? それが急に帰ってこいってどういう訳なの。理由は何?」


『お前の気持ちも分かるがそう怒るな。こっちだって急に“上”から言われたんだ』


「上から……?」


『ああ。Aに課せられたミッション、『ターゲットである許斐士郎このみしろうに近付き、友好的な立場から異世界人メムメムと接触を図る』は、お前が言ったように元々長期的なミッション“だった”。

 しかし、どうにも事情が変わったみたいだ』


「事情が変わった……?」


 連絡係の話にエマは訝しんだ。

 今回のミッションは重要かつ長期的に計画されたものだった。それが覆されて凍結という話が出てくるとしたら滅多な事情なのだろう。

 険しい表情を浮かべるエマが「何があったの?」と問うと、連絡係は答えず逆に質問してきた。


『許斐士郎とメムメムがロシアに行っていたのは知っているか?』


「ロ……ロシアですって!? 何でそんな事になってるのよ!?」


『やはり知らなかったようだな……』


 知る筈がないじゃない、と内心で吐き捨てる。

 士郎の予定は長期夏季休暇に入る前から事前に本人に窺い、確認を取っていた。愛媛に旅行に行くことと、それ以外の休みは恐らくダンジョンに入るだろうと。だが、ロシアに行くだなんて話は一切聞かされていない。


 どういうことだ、と爪を噛むエマ。

 急に予定が入ったのだろうか? しかし、そこら辺に行くのとは訳が違う。急な予定で国内日本を出て、国外ロシアに行けるものだろうか?


 それとも最初からロシアに行く予定があり、自分は嘘を吐かれていたのだろうか?

 考えてみれば自分の予定を全て話す必要はない。わざわざ言う必要のない要件や、言い辛いことだったら伏せおくのは何もおかしなことじゃない。人間誰しもやっていることだ。


 でも……あのお人好しの士郎が、果たして自分エマ・スミスに対して嘘を吐くだろうか? そこだけが引っ掛かる。

 思考を巡らせるエマは、連絡係に情報の出所を聞き出す。


「どうして“そっち”が、シロー達がロシアに行っていることを把握しているのよ。どうやって知ったの?」


『どうしても何も、既に世界中の人間が知っているぞ。許斐士郎とメムメムは、さっきまでロシアのオスタンキノタワー・ダンジョンに入っていたんだからな』


「はぁ!?」


 士郎がロシアのダンジョンに入ったと聞いて驚愕するエマは、「確認するわ」と伝えるとすぐにパソコンを操作してYouTubeを開く。「許斐士郎」と検索すると、一番上に最新の動画がアップされていた。


 メムメムがホワイトウルフの上に足を組んで座り、まるで映画の爆発のワンシーンのようなカットのサムネをクリックして動画の内容を確認していく。


「シローに星野灯里ほしのあかりにメムメム……歌姫のアナスタシア=ニコラエル……それに英雄アレクセイ=アレクサンドロフまでいるじゃない!? いったいどうなってこんな濃いメンツでダンジョンに入っているのよ!?」


 信じられない光景に目を疑ってしまう。

 流れる動画には、シローと灯里とメムメムがいた。そこまでは理解できるが、どうしてナーシャとアレクセイと一緒にパーティーを組んでいるのかが全く理解できない。

 士郎たちとこの二人になんの繋がりが……? と考えていると、連絡係が説明してくる。


『動画の流れから察するに、アナスタシアの弟であるレオニートはダンジョンから救出されたがいつまでも目覚めなかった。それを解決する為にアナスタシアがシローとメムメムに助けを求め、ロシアに向かったのだと思われる』


「その解決方法が、異常種であるホワイトウルフキングを倒すってことね。でもよくそんな方法を思いついたわね……流石は異世界の魔術師ってところかしら。それで、アレクセイの方は?」


『そっちは把握していない。大方、交流があったアナスタシアが攻略の手伝いに呼んだのだろう。ロシア最強の冒険者である英雄ならば百人力以上だからな』


「なるほどね……」


 連絡係の説明と、動画の内容から何故士郎たちがロシアに赴いたのか把握したエマは、ようやく本題に取り掛かる。


「シローとメムメムがロシアに行ったのは分かったけど、それが何故ミッションの凍結になるのかしら?」


『お前らしくないな、Aよ。日本ジャパンに居て平和ボケでもしたか?』


「茶化すんじゃないわよ、さっさと言いなさい」


『突如世界中に現れたダンジョンもそうだが、この未来さきこちらの世界に何が起こるかわからない。その時に頼れるのは、異世界人であり、長命エルフでもあり、魔法という絶対的な力と異世界の知識を有しているメムメムだ。

 異世界人メムメムの存在は各国が重要視しているのも承知しているだろう。各国はメムメムとどうにか接点を作ろうと、友好を結ぼうと躍起になっている。それは我が国もそうだ』


 そんな事はわざわざ言われなくても知っている。

 だからこうして対人関係のエキスパートである自分がはるばる海を越え、名前を変えてスパイ活動をしているのだ。

 それも今のところはかなり上手くいっている。士郎や近くにいる五十嵐いがらしかえでとの関係は良好だ。長期的なミッションと考えたら、ペース的には十分である。


 だからエマは言うのだ。

 友好を結ぼうと近づいているのに、ミッションも順調なのに、士郎たちがロシアに行っただけで何故突如ミッションが凍結されなければいけないのか。

 その質問に、連絡係はこう返す。


『ロシアに行ったことがそもそも問題なんだ。いや、ロシアというより“外国へ出たことが問題だ”』


「あっ……」


『ようやく理解したようだな。正直、許斐士郎たちがロシアに行ったと知った時は肝が冷えたぞ。“先を越されたとな”』


「でも、の国がシローたちと接触したかどうかは分からないじゃない」


『そこは問題じゃない。いや、問題ではあるが本質は違う』


 本質が違う? それはどういう意味だ?

 その意図を確認する前に、連絡係が続けて話す。


『さっきも言ったが許斐士郎たちが外国へ出たことが問題なんだ。我々や他国に対してもそうだが、日本政府は頑なにメムメムとの会談、話し合いの場を設けることはしなかった。その理由は本人が「嫌だ」と拒否しているから、こちらも強くは言えない。だから仕方なくまどろっこしいミッションをしている訳だったのだが、今回の件でそんなことをしている場合ではなくなった、というのが上の判断だ』


「こっちが少しずつ友好を深めようとしていても、シローたちが自ら他国に行ってメムメムと接触されたら結局遅れを取ることになるわね」


『そういう事だ。正直なところ、我々は日本政府……とくにメムメムへの唯一の窓口である合馬大臣が許斐士郎とメムメムの他国への外出を許可するとは思っていなかった。これまでの行動から、許斐士郎たちは日本で厳重に管理されていると考えていたからな』


 しかし、今回のロシア行きでそういう事ではないと世界が判断しただろう。

 制限はあるかもしれないが、士郎たちが国外に出ることはある程度許されている。であるならば、他国が自国に来てくれるようにあらゆる方法を使うかもしれない。

 我が国より先に、奇遇を装って接触を取りつつ友好を結んでしまう恐れがある。


 これまでは他国の介入する余地が無いと判断していたので、エマを使って遠回りに長期的なミッションに取り組んでいたが、ロシアの一件から悠長にしていられる場合ではなくなってしまった。

 それが連絡係、というより“上”の判断なのだろう。


「はぁ……私のこれまでの努力が全部無駄に終わったって訳ね。やってくれるじゃない」


 眉間に皺を寄せながらため息を吐くエマに、連絡係は『いや、そうでもないぞ』と言い続けて、


『兎に角、お前はすぐに帰還して新しいミッションが下りるまで待機だ』


「了解、すぐに準備するわ」


 上からの命令なら仕方ない。こちらはYESと言って従うだけだ。

 そう言って電話を切ろうとするエマだったが、その前に連絡係が『そういえば』と言って、


『Aは許斐士郎との関係は良好なんだよな?』


「今さら何を言っているのよ。私は対人関係のエキスパートよ。この短い期間だけでもシローとの仲は良好で、それなりの信頼も得ていると自負しているわ」


『そうか……“それが聞けて安心したよ”。では、こちらで待っているぞ』


 それだけ言うと、連絡係は通話を切った。


「……」


 エマは怪訝そうな顔を浮かべながら、通話が切れたスマホを見つめる。

 最後の質問の意図が分からない。士郎との関係は定期連絡で知っている筈だ。なのに何故、改めて関係を聞いてくるような真似をしたのだろうか。

 それも、わざわざ「そういえば」と今気付いたようなフリをしてまで。


「まぁいいわ……」


 考えたところで答えが出る訳ではない。エマはスマホをベッドに投げ捨てると、バスローブを脱いで裸になり、窓ガラスから見える東京の夜景を一望しながらぼやく。


「今日でエマ・スミスも終わりね」


 ミッションを与えられ日本に訪れた時の頃を思い浮かべる。

 士郎の会社と同じ社員として潜入した。士郎や楓と仕事をする時は平和そのもので、それなりに悪くない日々でもあった。


 だが、その日々も今日で終わりだ。名残惜しくないと言えば嘘になるかもしれないが、自分の恋人は母国であり、とっくのとうに己の心臓は捧げてある。ならば、つべこべ言わず下された命令に従うのみ。


「グッバイ……シロー、カエデ」


 呟くように別れを告げると、エマ――いや“彼女”は、帰還の準備に取り掛かったのだった。

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