第171話 空の器

 


「やっと着いたぁ。長かったな~」


「日本より全然涼しいね」


「いや~、船に比べて飛行機は快適だったね」


 飛行機から降りて、ロシアの大地を踏みしめながら各々が感想を零す。

 約十時間にも及ぶ空の旅を終え、俺たちは無事にモスクワのシェレメーチエボ空港に辿り着いた。


 最初のうちは新鮮で楽しかったけど、流石に十時間も飛行機の中だと飽きてしまう。席が快適なのもあって、俺はほとんど眠ってしまっていた。


(それにしても、ここがロシアか~)


 生まれて初めて訪れたけど、想像していた通り日本と違ってかなり涼しい。気温もそうだけど、むしむししていないのが良いよな。丁度良い心地良さだ。


 そんな風に感動していると、ナーシャは俺たちにこう告げてくる。


「ようこそワタシの母国へ。本当は皆を色んな場所に連れて行ってあげたいけど……ゴメン、今はできない」


「気にするなよ、今回は観光に来た訳じゃないしさ。まずはレオ君を目覚めさせる事が先決だ。それでナーシャ、これからどうするんだ?」


 今後の行動を尋ねると、ナーシャが説明してくれる。


「ここから電車でヴェデンハー駅に向かって、駅の近くにあるレオが入院している病院に行く」


「わかった、じゃあ行こうか」


 とは言ったものの、俺たちは土地勘がないしロシア語だって話せないから全てナーシャ頼りだ。絶対に逸れないようにしなきゃな。迷子になったりしたら最悪だし。


 先導するナーシャの後をついていき、電車に乗り込む。それから二、三十分電車に揺られ、ヴェデンハー駅に到着する。駅から歩いて十分ほど歩くと、レオ君が入院しているであろう大きな病院が見えてきた。


「この病院にいるのか」


「うん、こっち」


 ナーシャに連れられ、病院の中に入る。彼女が受け付けで見舞いの申請を済ませた後、皆でレオ君の病室に向かった。

 コンコンとノックをして病室に入る。レオ君の病室は綺麗な個室だった。


「ただいま……レオ。お姉ちゃん帰ってきたよ」


(この子がナーシャの弟か……)


 久しぶりに再会した弟に挨拶をするナーシャ。

 ベッドで眠っているレオ君は、ナーシャに似て銀髪の可愛らしい男の子だった。


 しかし顔に生気がなく、頬はこけていて、身体も痩せ細ってしまっている。腕に繋がっている点滴のチューブが、痛々しく見えてしまった。


 ダンジョンから解放されたとはいえ、一年も寝たきりの状態なんだ。身体が衰えてしまうのも無理はないだろう。


 優しいお姉ちゃんの顔でレオ君の頭を撫でていたナーシャは、切実な想いでメムメムに頼んだ。


「メムメム、お願い……レオを」


「皆まで言うなよ、ボクと君の仲じゃないか。どれ貸してごらん、診てみよう」


 ナーシャの肩に手を置きながら、安心させるような声音で告げるメムメム。こういう時のメムメムって、マジで頼もしいんだよな。

 ナーシャと立ち位置を交換したメムメムは、レオ君の額に手を添えて原因を調べていく。


 すると――、


「――これはっ!?」


「どうした!? 治りそうか!?」


「レオは、レオは平気なの!?」


 目を見開いて驚くメムメムに、俺とナーシャが問い詰めるように尋ねる。

 そんな俺たちに対しメムメムは神妙な顔を浮かべると、両手の人差し指を一本ずつ立てた。


「良い話と悪い話があるけど、どっちから聞きたい? いや、これはどっちみち悪い話だけどね」


「勿体ぶらずに教えろよ」


「はぁ……結論から言うと弟君の身体は既に治っている。調べたところ、魔力に異常も見当たらない」


「じゃあ、何でレオ君はまだ起きないの?」


 灯里の質問に、メムメムはこう答えた。


「それはこの子の器に魂がないからさ。身体が回復しても魂がなければ、そりゃ起きるはずもないよ」


「「――っ!?」」


 はっ? ……魂がないだって?

 それっていったいどういうことなんだ? 訳が分からず混乱していると、ナーシャがメムメムに掴みかかる。


「ねぇメムメム、それってどういうこと!? わかるように教えて!」


「教えてって言われても、そのままの意味だよ。確かに弟君の身体はこの場にあるが、あるべきはずの魂が存在しないんだ。ボクはうっすらと生物の魂が視えるんだけど、弟君のからだには魂が宿っていなかった」


 魂が視えるって……メムメムはそんなこともできるのか。

 あっ……そうだ、そういえば合馬大臣と初めて会った時、念話している最中にそんな話をしていた気がする。


『とぼけるなよ。姿形は人間のものだが、魂までは誤魔化せない。お前の魂は魔王のものだ』


『はっ、やはりエルフという種族は厄介極まりないな。魂まで視られるとなると、流石に誤魔化せないか』


 あの時は突然頭の中で会話が始まったのに困惑して内容とか聞いてなかったけど、思い出してみれば確かにメムメムは魂が視えるような発言をしていた。


 レオ君が未だに目を覚まさない原因は、身体の異常ではなく魂がないからだったのか。


「じゃあレオ君の魂はどこにあるんだ?」


「さぁ、ボクにはわからないね」


「レオ君はこのままずっと目を覚まさないの?」


「魂がないのだからそうだろう。目を覚まさないどころか、弟君は今とても危険な状態だ。魂と器が離れている状態がこれ以上続くと、魂が戻ったとしても定着しなくなる恐れがある」


「それって……どうなるの?」


「死んでしまう、ということだよ」


「そんな……レオ、レオーーーー!!」


 メムメムの話を聞いたナーシャは泣き崩れてしまう。


 ……こんなことってあるかよ! メムメムに魔力の乱れを治してもらえば目を覚ますと思っていたのに、身体に魂がないなんて! そんなのどうすりゃいいんだ!


 レオ君の手を強く握り締めながら泣き叫ぶナーシャを見ていると、胸が痛んでしまう。

 メムメムという希望を連れて母国に戻ってきて、やっとレオ君の目を覚ませると思っていたのに、魂がないから目は覚めない。


 それにこのままだと死んでしまうって……そんなのあんまり過ぎるだろう!

 俺は藁にも縋る思いで、メムメムに問いかけた。


「なあメムメム、どうにかならないのか? レオ君を助ける方法はないのか?」


「ない……ことはない」


「本当か!?」


 煮え切らない返事だが、希望はあるってことだよな。

 やっぱりメムメムは凄いな。流石、世界を救った勇者パーティーの魔法使いなだけはあるよ。


「これはボクの仮説に過ぎないが、弟君は肉体と魂をそれぞれに別々に分離させられ、ダンジョンに囚われてしまったのだろう。一年前にダンジョンから解放されたのは、身体のほうだったんだ」


「という事は、レオ君の魂はまだダンジョンの中ってことか?」


「ボクの仮説が正しければ、そうなるだろうね」


「そんな……」


 メムメムの話を聞いて俺たちは絶望してしまう。

 ダンジョンに囚われてしまった人が解放される確率は限りなく低い。レオ君が解放されただけでも奇跡に近いのに、魂のみがまだ囚われているなんて……。


 このままじゃレオ君の身体が危ういっていうのに、ダンジョンから魂を解放する時間なんてないじゃないか。

 言葉を失くしている俺たちに、メムメムは「慌てるな」と言って、


「諦めるにはまだ早いよ。ナーシャ、弟君の身体を取り戻した時の状況を詳しく教えてくれないか」


「……ダンジョンを探索している最中に、二体の異常種と遭遇したの。なんとか一体だけは倒せたんだけど、そしたらドロップとしてレオが出てきた」


「そうか。よし、ならまずはそこに行ってみよう。弟君の身体を連れてね」


「はっ!?」


 それって、レオ君を連れてダンジョンに行くってことか?

 いくらなんでもそれは危険過ぎるだろ。レオ君は冒険者どころかただの子供で、それも寝たきりの状態なんだぞ。レオ君を連れてダンジョンに入るなんて無謀じゃないか。


「ねぇメムメム、どうしてレオ君をダンジョンに連れて行かなきゃならないの?」


「その方が、囚われている弟君の魂を救う確率が上がるからだ。肉体と魂は本来一つ、肉体が近くにあれば、魂も引き寄せられるだろう」


 メムメムは「さらに」と話を続ける。


「これも単なる予想に過ぎないが、弟君の魂は倒せなかったもう一体の異常種に囚われていると思うんだ。なれば、シローの出番だろ?」


「俺……?」


「ああ。幸か不幸かシローはダンジョンに好かれている。すでに異常種と二回も遭遇しているしね。その自覚はあるだろ?」


「それはまぁ……」


 メムメムに尋ねられた俺は、しぶしぶ肯定する。


 ここまで色々あったからなぁ。

 ダンジョンに好かれているかどうかは分からないけど、流石に意図的なものを感じている自覚はあるよ。


 っていうか、好かれているというよりダンジョンは俺を殺そうとしてないか。どっちかというと危険事に巻き込まれている気がするんだけど。


弟君の身体とシローを合わせれば、異常種と遭遇する確率は高くなると思うんだ。せっかくロシアここまで来たのに何もできなかったじゃ忍びないからね。ボクらでできる限りのことはしてみようじゃないか」


「そうだな……メムメムの言う通りだ。レオ君を助けに行こう!」


「うん! 行こうナーシャ!」


「ボクらは力を貸すだけだ。決めるのは君だよ、ナーシャ。さぁ、どうする?」


 メムメムが問いかけると、ナーシャは涙を拭って立ち上がり、覚悟を決めた顔を浮かべながら口を開いた。


「メムメム、シロー、アカリ、スパシーバ。お願い、皆の力をワタシに貸して! レオを助けたい!」


 力強い声音でそう告げるナーシャに、俺たちは「うん」と頷く。


「よし、そうと決まれば早速ダンジョンに行こう」


「今気付いたんだけど、私たちってロシアのダンジョンに入れるのかな? あと防具だってないし……」


「あっ」


 そうだ、助けに行くのに夢中ですっかり忘れていた。

 ダンジョンに入るといっても、俺たちの防具は全部日本のギルドに預けているんだった。


 武器は収納空間に仕舞っているから使えるけど、防具なしでモンスターと戦うのは厳しい。


 それに、俺たちってロシアのダンジョンに入っていいのだろうか?


「それなら大丈夫、シローたちもダンジョンに入れるよ。ワタシも日本のダンジョンに入ってるし。防具もワタシが全部用意するから心配しなくていい」


「なら問題ないね。善は急げだ、早く行こうじゃないか」


「「うん」」


 そんな感じで俺たちはレオ君の魂を救い出すため、ロシアのダンジョンに向かうことになったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る