第170話 アナスタシアの弟

 


「はっはっは! おい見てみろシロー、人がゴミのようだぞ!」


「メムメム、言いたくなる気持ちもわかるがやめてくれ……色々とマズいから」


 飛行機の窓から下界を眺め、悪役みたいな悪いを浮かべて高笑いするメムメムに注意する。


 そういえばこいつ、最近金曜日に放送されるロードショーで空に浮かぶ城のアニメ映画を見たばっかりだっけ。あれに触発されるのも無理はないだろう。


 メムメムの気持ちは十分わかる。

 高校の時の修学旅行でも、数人の男子がノリノリで叫んでいたもんな。俺も言ってみたかったが、恥ずかしくてできなかったよ。


 高い所に行ったり飛行機に乗ったりするとつい言ってしまいそうになるよな、あのフレーズ。

 が、気持ちはわかるけど叫ぶのはよくない。俺はハイテンションなメムメムに注意する。


「おいメムメム、あまり騒がしくするなよ。周りの人に迷惑だろ」


「ボクを侮るなよシロー。そんなのとっくに対策済みだ。静音の魔術をかけているから、ボクらの声は他の者には聞こえないよ」


「あっ、そうなの?」


 それならそうと言ってくれよ……。


 モスクワのシェレメーチエボ空港への飛行機は、無事離陸し水平飛行になった。到着するまでの間は、高度約一万メートルの空の旅を十時間過ごすことになる。


 さて、今のうちにナーシャに色々と聞いておくか。メムメムの魔術のお蔭で、声を出しても他の乗客に迷惑がかかる事はないし。

 俺は通路を挟んで隣にいるナーシャに話しかけた。


「なぁナーシャ、メムメムに何か頼んでいるそうだけど、ロシアには何しに行くんだ? 俺と灯里はメムメムに付いてきただけで、詳しい事情は知らないんだ」


「そうなの……うん、話す。メムメムには、ワタシの家族を助けてもらうために来てもらった」


「家族を助ける?」


「そう。ワタシのбрат……ダンジョンから救い出した弟のレオを、目覚めさせるために力を貸してもらうの」


「ダンジョンから救い出したって……じゃあナーシャも……」


「シローとアカリと同じ、ワタシも弟をダンジョンに囚われたダンジョン被害者だった」


「「ええ!?」」


 ナーシャの発言に、俺と灯里が同時に驚く。

 まさかナーシャも俺たちと同じダンジョン被害者だったのか。全然知らなかった……。


 でも、救い出したってことはなんらかの方法で弟は解放されたんだろうな。だからダンジョン被害者というのも過去形なんだろう。

 でも良かったじゃないか、弟がダンジョンから解放されただけでも本人としては安心できるだろうし。


 納得していると、俺の隣にいる灯里がナーシャに問いかける。


「まだ弟君は目が覚めていないってこと?」


「うん。もう一年以上も眠ったまま」


「一年って……それは長いな……」


「ねぇナーシャ、その話もう少し詳しく聞いてもいい?」


「わかった」


 灯里のお願いに、ナーシャは小さく頷くと身の上話を始める。


「ワタシとレオは、二人っきりの家族なの」


 ナーシャのご両親は五年前に不幸な事故で亡くなってしまったそうだ。

 当時まだ五歳の弟――レオニート・ニコラエル君を養っていくために、ナーシャは学校に通いながら夜はバーで働き、そのバーで時々歌も歌っていたらしい。


 レオ君もバーに連れて行って、店員や常連客に遊んでもらったりしていたらしい。レオ君は小さいながらも、仕事のお手伝いなんかもしていたそうだ。なんて健気で良い子なんだろう。


「楽しかった。レオやお店の皆と一緒にいて……だけど――」


 大変ではあるけど、小さな幸せを感じる充実した毎日。

 だが、その小さな幸せも長くは続かなかった。なにもかも奪われてしまったんだ、ダンジョンに。


「忘れもしない。あれは三年前の春の、凍てつくような寒さの日だった――」


 三年前に世界中に突然ダンジョンが現れ、多くの人がダンジョンに囚われてしまったが、その中には十歳のレオ君もいたんだ。


 ダンジョンに囚われたレオ君を自らの手で助けるためにも、ナーシャはバーを辞めて冒険者になることを決意する。彼女は俺や灯里と同じ境遇で、同じ手段を選んだって訳だな。


 冒険者として活動してから約一年後、ナーシャがダンジョン探索中にあるモンスターを倒すと、レオ君が光と共に現れる。彼女は唯一無二の家族であるレオ君を救い出すことができたんだ。


 だが、まだ一つ問題がある。

 それは、一年経った今でもレオ君は未だに目を覚まさないらしい。


 灯里の母親の里美さとみさんもそうだったが、ダンジョンから解放された人はすぐに目覚めず、最初の内は寝たきりの状態だ。


 ただ、時間が経てばやがて目覚めることは分かっている。日本のダンジョン被害者は今のところ目覚めていない人はいない。起きるまでの時間が明日なのか、一週間なのか、三ヶ月なのかは人によってそれぞれ違うけどね。


 何故眠っているかというと、ダンジョンに囚われた影響で体内の魔力循環が乱れているからとメムメムは言っていた。


 里美さんの場合は滞っていた魔力の循環をメムメムが整えたから目覚めたのだけど、本人曰く「何もしなくても自然回復でいずれは目覚めていただろう」とのこと。


 レオ君も、とっくに目覚めてもいいとは思うんだけどな。

 疑問を抱いた俺は、メムメムに聞いてみる。


「なぁメムメム、そんなに長い間眠っていることってあるのか?」


「症状がよっぽど酷ければあると思うよ。もしかしたら、“それ以外”の原因があるかもしれないけどね」


「そうか……」


 ダンジョンから救い出したとはいえ、一年経っても起きないのはナーシャも心配だよな。


「それでメムメムにお願いしたの?」


「そう。彼女に聞いたら、自分なら目覚めさせられるかもしれないって聞いて」


「へ~、でも二人はいつの間にそんなやり取りをしていたんだ?」


「DAがシローたちとコラボした時に聞いた。あの時はワタシもまだ日本語が上手く喋れなかったから、詳しく説明できなかった。だから、別れる時にワタシの連絡先を教えたの」


「なるほど」


 コラボが終わってDAと別れる際にメムメムとナーシャが一言二言話していたのは、連絡先を教えていたって訳か。


 それと本人から言われて今更気付いたんだけど、確かにコラボした時はまだカタコトっぽかったが、以前よりもナーシャは日本語を流暢に喋っているな。


 きっと頑張って日本語を覚えたんだろう。

 凄いなぁと感心していると、メムメムはナーシャと肩を組んでドヤ顔を浮かべながらこう言ってくる。


「ボクとナーシャは今じゃメル友なんだぜ、どうだシロー羨ましいだろう」


「それはまぁ……うん」


 自慢してくるメムメムはウザイが、羨ましくないとはとても言えない。

 だって相手はロシアの歌姫、そして日本で現在一番人気のアイドルグループDAのメンバーなんだぞ。


 たとえ彼女のファンでなくても、メムメムの立場を羨ましく思うのが普通だろう。もしファンが知ったら発狂もんだと思うよ。


「ぁ痛っ!」


「ちょっと士郎さん、それはどういう意味かな?」


 突然腕を抓られたと思ったら、灯里が恐い笑顔で問いかけてくる。


 おぉ……灯里のこの顔を見るのは久しぶりだな……ってそんな場合じゃない、早く弁明しないと。

 俺は慌てて、小声で灯里に告げる。


「いやだってさ、本人の前で羨ましくないとは言えないだろ?」


「それはまぁそうだけどさ。本当にそうなの~?」


「本当だって」


 疑わしい眼差しでじ~っと見てくる灯里。

 彼女の追及の目から逃れるため、俺は話をかえようとナーシャに尋ねた。


「でもさ、DAって現在いまサマーイベント中だったろ? そんな大事な時に来て良かったのか? 違う日とか、それこそもっと早くに言ってくれても良かったのに」


「しょうがない。予定に関してはメムメムに任せていた」


「メムメムに?」


「ボクも一応オウマに聞いてみたんだけどさ、二人だけでロシアに行くのはダメって言われたんだ。シローがついていないとダメってね。でもシローにも会社があるから、あまり迷惑をかけるなって注意もされたよ。だから、シローの会社が長期休みに入るこのタイミングしかないと思ったんだ」


「そうだったのか……」


 最初はナーシャと二人でロシアに行こうと、合馬大臣に連絡を取っていたのか。

 へぇちょっと意外、メムメムなりに俺に気を遣ってくれたんだな。それでDAのイベントと重なっても、ナーシャは仕方なくこの日にしたってことか。


「DAのメンバーには本当に申し訳ないと思ってる。でも、レオを助けられる可能性があるのなら、ワタシは迷わずこっちを選ぶ」


「うん……ナーシャの気持ち、私にも分かるよ」


 ナーシャの想いに、灯里も同意する。

 そうだよな、灯里もダンジョンに囚われた家族を助けるためになりふり構わず愛媛を出て東京にやってきたんだし、ナーシャの気持ちは痛いほどわかるよな。


 灯里はナーシャを真っすぐ見て、両手をぐっと握り締める。


「大丈夫だよナーシャ、メムメムならきっとレオ君を目覚めさせられるよ! ねっ、メムメム」


「まぁ、ボクは自分のできることをやるだけさ」


「アカリ、メムメム、スパシーバ。勿論シローも」


「うん」


 今回俺にできることはほとんど無いからな。メムメムに付き添うことぐらいしかできない。


 レオ君が無事に目覚めるといいんだけど……でも、きっと大丈夫だろう。

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