第153話 頼む

 


 その日の夜。

 神社の祭りから帰ってきた俺たちは、明日に備えて早めに寝ることにした。というのも、明日の十一時頃にはフェリーに乗って東京に帰宅するからだ。


 愛媛ここから徳島の沖州のりばに行くには大体三時間ぐらいかかる。余裕を持って行動しようと考えると、この家を朝六時頃には出たかった。寝坊しない為にも、早めに寝ておくことにしたのだ。


 神社でお腹一杯になるほど出店の料理を食べたので、夕ご飯は遠慮させてもらう。ぱっと風呂に入って軽く汗を流した後、客間に敷いてある布団に入って寝ようとしていたところで、突然襖が開いた。


「おい、ちょっといいか」


「はい……なんでしょう」


「ちょっと来い、話がある」


「わ、わかりました」


 襖を開いて声をかけてきたのは清さんだった。淡々とした声音でついて来いと言われたので、返事をして立ち上がり、彼の背中を追いかける。


 急になんだろうか……清さんが俺一人に用事があるなんて今までになかったよな。話があるって言っていたけど、どんな内容なんだろうか。


(まさか、『灯里に手を出してねーだろうな!?』と尋問されるんじゃ!?)


 清さんに問い詰められる想像が浮かんでしまう。あり得ない話でもないだろう、清さんには何度も忠告されているからな。別れる前に、もう一度念を押しておこうってこともある。

 う~ん、なんだか変に緊張してきたぞ。


「入れ」


「はい」


「座れ」


「はい」


 清さんと幸子さんの寝室しんしつと思われる部屋に通されると、言われた通りに畳に座った。雰囲気の重さになんとなく正座してしまったが、きっとこれで正解だろう。


 少しの間、二人の間に沈黙が生まれる。俺から話しかけるのも違うと思うので黙って待っていると、やがて清さんの口がゆっくりと開いた。


「向こうで、灯里はどうだった? 元気にしてたか?」


「はい、元気でしたよ。時には落ち込むこともありますけど、いつも笑顔で、何事も一生懸命に取り組んでいます。正直言ってしまうと、灯里には凄く助けられています」


「そうか……ならよかった」


 本心から伝えると、清さんはどこか安堵したように微笑んだ。

 どんな話かと戦々恐々としていたが、灯里のことだったのか。そりゃそうだよな、清さんにとって灯里は大事な孫娘だ。どんな様子なのか気になるのも無理はない。


「灯里は無理していなかったか?」


「無理……ですか」


「ああ。灯里がこの家に来た時は、そりゃー酷ぇもんだった。ダンジョンっつう訳がわからんものに里美と父親を奪われたあいつは、死んだ魚のような目をして、話かけてもうんともすんとも言わねぇ。死人同然で、ず~っと家に引き籠っていた。とても見ていらんなかったよ」


「……」


 それはそうだろう……としか言えない。

 東京タワーに家族で遊びに行って楽しいひと時を過ごしていた筈なのに、いざ帰ろうとした瞬間、目の前で両親をダンジョンに奪われてしまったのだ。言葉も出ないほど悲しむのは当然だろう。


 その時の心の痛み、辛さ、悲しみは灯里本人にしかわからない。俺も含めて、当事者ではない他人では絶対に計り知ることは不可能だろう。


「無理していなかった……とは言えません。出会った時の灯里は、両親を早く助けたいと焦っていました」


「やはりな……」


「で、でも! それは最初の方だけで、色々とあってからは焦りは消えたと思います。それにお母さんを助け出してからは、気持ち的にも大分ゆとりができたと思いますし」


 出会った頃の灯里は、とにかく両親を助けたい一心で焦っていた。俺と一緒に冒険者になって欲しいと何度も頼んできたし、それがダメなら一人で暮らしていきながらダンジョンに入ろうと無茶をしようとしていたんだ。


 冒険者になってからも早く強くなろうと焦っていたが、俺がホーンラビットに刺し殺されて、二人でちゃんと話し合ってからは焦りも消えたと思う。

 それに里美さんを助け出してからは、灯里も一安心したことだろうしな。


 俺がそう伝えると、清さんは「そうか……」と頷く。

 そして突然、清さんは両手を畳みにつけて深く頭を下げてきた。


「許斐さん、本当にありがとうございます。灯里の我儘を聞いてくれて、あいつの力になってくれて。この恩は忘れません、いつか必ず返します」


「お、お爺さん……」


「だからどうか、灯里を守ってやってくれねぇか。あいつの力になってやってくれねぇか。図々しい話なのは承知の上だ。だけど年老いた爺の俺じゃあ、灯里の力になってやりたくともできん。だから代わりに、灯里を守ってやって欲しい!! この通りだ!!」


 真剣に、心の底から頼んでくる清さん。

 本当なら、彼は自分自身の手で灯里の力になりたいし、家族を助け出したかったんだろう。


 だけどご自身の歳やダンジョンという現代的なシステムはよく分からないと判断し、灯里の邪魔になってしまうのではないかと一緒についていかなかったんだと思う。


 そして清さんは、自分の代わりに俺を選んでくれた。それが何よりも嬉しい。だって、俺を信頼してくれているんだから。

 だから、俺は彼の気持ちに応えなければならない。


「どうか、頭を上げてください」


 俺は頭を下げ続ける清さんにそう告げると、彼の両手をぎゅっと掴む。以前別れる時は清さんから掴まれたけど、今度は俺から掴んだ。

 清さんの目を真っすぐ見つめながら、覚悟を乗せた言葉を放つ。


「灯里は俺が守ります。命にかけて誓います。だから安心してください」


「……ありがとう。どうか灯里を、よろしく頼む」


「はい」



 ◇◆◇



「灯里~そろそろ時間よぉ~。おかしいわね、ちゃんと起きていた筈なんだけど」


「俺が見てきますよ」


 一晩明かし、日が出る前に起きた俺たちは帰る準備を済ませていた。半分寝ているメムメムと一緒に外で待機していると、灯里が自分の部屋から降りてこなかった。


 どうしたのかと心配している里美さんの代わりに、俺が様子を伺いに行く。


「灯里、入るぞ」


 コンコンとノックをしても反応がなかったので、扉を開いて中に入ると、灯里はベッドに座ってぼーっと机を眺めていた。


「どうしたんだ? みんな待ってるぞ」


「士郎さん……少しね、思い出してたの」


「思い出してたって……なにを?」


「この部屋で、ずっと泣いていた時を。ダンジョンを恨んで、世界を恨んで、どうしようもなくて、ただ机の上で泣いていたことを思い出してたんだ。そしたら、ちょっと感傷的になっちゃって……ごめん、今いくね」


 苦笑いを浮かべながら謝ってくる灯里。

 俺はぐるりと部屋を見渡す。部屋の中にあるのはベッドと机だけで、とても年頃の女の子の部屋とは思えないぐらい簡素だった。


 彼女はここでどれだけ辛い日々を過ごし、涙を流したのだろうか。

 部屋を観察していたのがバレてしまい、灯里が自分から告げてくる。


「ここね、元々お母さんの部屋だったらしいんだ。それで私が使って、今はまたお母さんが使ってるみたい。なんか、変だよね」


 くすりと笑う灯里。ただ、その笑顔が心から笑っているものではないと分かってしまう。そんな灯里の瞳を見つめながら、力強くこう告げた。


「また来よう。灯里の父親も夕菜も助けて、全部元通りにして皆で来よう」


「うん……」


 俺と灯里は部屋を出て、待っている里美さんたちの下に向かう。


「灯里、元気でね。絶対に無理だけはしちゃダメよ」


「いつでも帰ってきてねぇ」


「うん。お母さん、お婆ちゃん、私頑張るよ。だから二人も元気でね」


「お世話になりました、凄く楽しかったです」


「ご飯美味かった。また食べにくるね」


「おい、早く行くぞ」


 最後に里美さんと幸子さんと別れの挨拶をしてから、清さんに催促されたので、車に乗り込む。車が発進するが、里美さんたちは見えなくなるまでその場に留まっていたのだった。



 ◇◆◇



「行っちゃったね」


「そうね、寂しくなるわ」


 士郎たちを乗せた車を見送った後、里美と幸子は寂しそうな顔を浮かべる。久しぶりに灯里の顔を見て嬉しかったが、また離れ離れになってしまうのが嫌だった。


 二人とも、本当は灯里が帰るのを引き留めたかった。里美も戻ってきたことだし、復学して最後の高校生活を送り、卒業して進路を決めてからでも、遅くはないのではないか。

 昨日の夜にそう話したら、灯里は首を横に振った。


『そんなに待っていられない。私は必ずお父さんを助ける』


 灯里の覚悟を聞いた里美と幸子は、もう何も言うまいと口を噤んだのだ。


「知らない間にあんなに大きくなっちゃって。なんだか寂しいわ、母さん」


「子供はそんなものよ。あんただってそうだったんだから。それに心配しなくても、灯里には許斐さんとメムメムちゃんがついてるから、安心しなさい」


「そうね。っていうか、灯里はもう許斐さんと離れたくないって感じだったよね。大きくなっても分かり易いところは変わらないんだから」


「ふふ、そこがいいところじゃない」


 二人は願う。

 どうか、灯里が無事に元気でいられますように、と。


「着いたぞ」


「お爺ちゃん、色々とありがと。またね」


「ありがとうございました」


「世話になったよ」


 車から降りる士郎たち。清はサイドガラスを下げると、彼等にこう告げた。


「何かあったらすぐに言ってこい。人に頼ることは、悪いことじゃねぇからな」


「うん! ありがと、またねお爺ちゃん!!」


 清と別れた士郎たちは、電車を乗り継ぎ三時間ほどで徳島の沖州のりばに辿り着く。少し時間に余裕があったのでお土産を買った後、フェリーに乗り込んだ。時間になると、フェリーが出発した。


「楽しかったな」


「うん。お母さんもお婆ちゃんもお爺ちゃんも、元気そうで良かった」


「また来よう、一緒に」


「うん!」


 徐々に離れていく島を、フェリーの甲板デッキで眺める士郎と灯里。

 次に来る時は家族を助け出し、胸を張って来ようと誓い合った。


 それからフェリーにいる間は、二人で暇を潰していた。船の中は来る時に一通り見て回ったのでする事はないし、東京に着くまでかなり時間があるので、YouTubeでダンジョンライブを見たりして暇を潰していたのだ。


 トランプでもしようかと思ったのだが、メムメムはゲーム――懲りずにやってまた船酔いしていた――で付き合ってくれなかった。


 船の中で一夜明け、士郎たちを乗せたフェリーは朝の六時頃に東京有明のりばに辿り着く。三人とも眠気が取れず、ふらふらとした足取りで上陸した。

 そこから電車に乗って移動し、久しぶりに我が家に帰宅したのだった。


「「ただいま~~」」


 三日ぶりの我が家。三人は荷物を玄関に置いたまま、リビングに行って倒れるように寝転がる。


「は~~、やっぱうちが一番だなぁ~」


「そうだね~、なんか帰ってきたって感じがする」


「最高だ~」


 三人揃って安堵の息を溢す。

 まだこの家に住んでから数か月しか経っていないが、この家が一番落ち着けると感じるぐらいには住み慣れていた。


 その日一日は、旅の疲労を癒そうとまったり寛いだ。荷物を整理したり、仮眠したり、各々自由に過ごす。


「ちょっと出かけてくるよ」


「どうしたんだ? お前が用事で出るなんて珍しいね」


 その日の夜。

 三人で夕ご飯を食べた後、リビングでゆっくりしていたら突然メムメムが出かけると言い出した。彼女が一人で家を出るのが珍しくて士郎が尋ねてみると、メムメムは「まぁね」と言って、


「大したことないさ。ちょっとした用事を済ませに行ってくる。すぐに帰ってくるよ」


「わかった。気をつけてな」


「はは、誰に言ってるんだい」


 軽く笑いながら、メムメムは家を出たのだった。



 ◇◆◇



「ここか?」


「ああ、ここに埋めておいた」


 士郎に用事があると言って家を出たメムメムは、ダンジョン省大臣、合馬秀康と共に愛媛にある山の中を訪れていた。


 短時間でどうやって来たのかといえば、メムメムの転移魔術を使用して一瞬で移動したのである。山から下りる前に魔力のマーキングを付けておいたので、移動することは容易だった。


 何故二人が山の中を訪れたかというと、昨日さくじつ現実世界に現れたゴブリンを合馬に見せたかったからである。


 合馬とメムメムは旧知の間柄だった。といっても決して親しい間柄なんかではなく、互いに殺し合う関係だった。合馬が転生する前は異世界の魔王であり、勇者パーティーのメムメムとは死闘を繰り広げている。

 まぁ、今は過去の遺恨を水に流し、互いに協力関係を築いているのだが。


「よっと」


 メムメムは魔術で地面に穴を開けると、保存してあるゴブリンの死体を浮かべて手元に持ってくる。

 真っ二つに切断されているゴブリンの首と身体を合馬が調べると、彼は淡々とした声音で告げた。


「間違いない。我々がいた世界のゴブリンだ」


「やっぱりか……これ、どう思う? 率直な意見が聞きたい」


 ため息を吐くメムメムが問いかけると、合馬は「ふむ」と顎を摩りながら、


「そう聞かれてもな、何もわからないとしか答えようがない。ゲートが開かれた形跡もなければ、こちらの世界に現れた方法もわからん。しかし、たかがゴブリンが異世界を飛び越えることは不可能だから、誰かが寄越したのは間違いないだろう。まぁ、誰かと言ってもそんな事ができるのは十中八九異世界の神だろうがな」


「ボクの考えも同じだ。このゴブリンはダンジョンを創ったであろう神と同じ仕業だと思っている。問題は、何故神がゴブリン――モンスターをこの世界に寄越したかだ。何を考えていると思う?」


「私に神々あいつらの考えが分かる訳ないだろ。ただまぁ、ろくでもない事を考えているんじゃないか? 世界中の塔をダンジョンに変えたようにな」


 メムメムの質問に、合馬は唾を吐き飛ばすような顔つきで応える。魔王時代によっぽど嫌なことがあったのだろう。神々への怒りがそこはかとなく感じられた。


「一先ず、ゴブリンの死体は私が預からせてもらうよ」


「ああ、元々そのつもりだったからね。今後の対応とかも、全部お前に任せるよ」


「何を他人事のように言っているんだ。これはただの前触れに過ぎんぞ、いつか本当にゲートを開いてモンスターの大群が押し寄せてきたら、対応できるのは私とお前しかいないんだからな」


 険しい顔を浮かべて忠告してくる合馬に、メムメムは「大丈夫さ」とニヒルに笑って、


「ボクたち以外にも、戦える者はいるよ」


「まさか、許斐君や星野君のことを言っているのか?」


「まぁね。それに、お前だって色々と準備はしているんだろ? 異世界の魔王が、何も考えていない訳がないからね」


「……ふっ、やはり私を苦しめただけのことはある。大魔術師には全て筒抜けということか。そうだな、いざという時の為に準備はしている。今回のことはきっかけに過ぎん、もうすぐ世界が荒れるぞ。私はやつらに一泡吹かせるつもりだ。メムメム、お前はどうする?」


 元魔王に問われた異世界の魔術師は、満天の星空を眺めながらこう答える。


「さぁ、どうしようかな」


 歯車は今も動いている。

 ダンジョンを中心として、世界が大きく動き出そうとしていた。

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