第150話 山の異変

 


「ふぅ~~食った食った。ごちそうさまでした、凄く美味しかったです」


「お口にあって良かったわぁ」


 お腹を摩りながら満足気に美味しかったと伝えると、幸子さんは柔らかく微笑んだ。


 朝ごはんをたらふく食べた俺。お米が美味しくて、つい三杯もおかわりしてしまった。

 ダメだ……ずっとここにいたら絶対に太ってしまう。ご飯が美味しいっていうのも罪なんだな。


「ほんと、お婆ちゃんの料理って美味しいよねぇ」


「灯里は少し食べ過ぎよ。っていうかあんた、そんなに沢山食べる子だったっけ? 昔は普通だった気がするけど……」


「だってお婆ちゃんのご飯が美味しいんだもん」


 里美さんが胡乱気な眼差しを送ると、灯里はそっぽを向きながら反論した。

 へ~、灯里って愛媛に来るまでは普通だったんだな。じゃあやっぱり、腹ペコキャラになったのは幸子さんが作る美味しいご飯の影響なのか。


「そんなに食べて太らないのも羨ましいわね。まぁその分、胸に栄養がいったみたいだけど。我が娘ながら立派に育ったもんだわ」


「ちょっとお母さん、どこ見て言ってるの!?」


 目を細め、ニヤリと口角を上げながらイジる里美さん。下卑た視線から隠すように、灯里は身体を翻した。

 昨日から感じていたんだけど、里美さんって結構明け透けに下ネタを出すよな……。それも娘に対しても平気で言うんだから凄いよ。


 まぁ言われてみれば、里美さんも胸は大きいほうだと思うけど――神に誓って厭らしい感情は抱いていない――、灯里の胸はさらに上回る大きさだ。


 これは単なる予想に過ぎないが、中学時時代の灯里はそれほど大きくなかったんだろう。三年ぶりにあった娘の胸が大きくなっていたから驚いたのもあるけど、だからって面白可笑しくからかうのはね……しかも俺がいる前で。これが星野家のスキンシップなら文句は言えないけどさ。


(でもそっか、灯里の胸が大きいのは幸子さんのご飯を沢山食べたからなんだな)


 心の中でうんうんと頷いていると、困っている灯里を助けるように幸子さんが今日の予定を尋ねてくる。


「許斐さんたちは今日はどうしますか? 午後から夜まで、近くの神社でお祭りがあるみたいですけど」


「祭りかぁ、そういえば久しく行ってなかったなぁ」


 子供の頃は、学校の友達と近所で開かれる小さい神社の祭りに遊びに行っていたが、中学生になってからは行かなくなってしまった。

 けど、大学の時は小さい夕菜を連れてまた祭りに行ってたっけ。まぁ、夕菜に嫌われ始めてからは行かなくなってしまったけど……。


「いいじゃん、行こうよ士郎さん。メムメムもさ」


「そうだな、久しぶりに行くか」


「ボクは構わないぜ」


「それじゃあ、着物を出しておきますね」


 神社の祭りに行くことが決定し、午後の予定が埋まった。後はそれまでの間何をするかなんだけど、二人に聞いてみたら灯里が「じゃあさ」と提案してくる。


「山の中に行ってみない? 久しぶりに行きたくなっちゃった」


「山? 急にどうして山なんだ?」


愛媛こっちに来てから、お爺ちゃんに連れてもらって山の中によく行ってたんだ。それでお爺ちゃんやお爺ちゃんの友達の猟師から狩りや弓の扱いとかを教えてもらっていたり、害獣を駆除する手伝いをしてたんだよ」


「ああ、なるほど」


「父さん……灯里にそんな危ないことをさせてたのか、後でキツく言っておかないと」


 そういえば以前、冒険者になったばかりの頃にそんなことを言っていた気がする。スライムと戦闘した時、弓を扱う姿が凄く様になっていて素人じゃないな~と思って聞いてみたら、知り合いの猟師に色々と教えて貰ったって言っていたな。


「折角帰ってきたんだし、久しぶりに行ってみたいなって思って。ダメかな?」


「ダメじゃないさ、一緒に行こうか」


「やった、ありがとう士郎さん」


 賛成すると、笑顔を見せる灯里。俺も灯里が育った山とか見てみたいし、愛媛にいる間は思い出の場所を少しでも行かせてあげたい。


「メムメムはどうする?」


「ボクも行くよ」


「へ~、珍しいな。外は暑いとか言って来ないかと思ったけど」


「家の中より山の中の方が涼しいからね。それに、ここはWi-Fiがなくてゲームができないんだよ。パケットも使い切りそうだし、暇でしょうがないんだ」


「あっ……そうですか」


 やれやれとアメリカン風に手を振るメムメム。

 ゲームができないのが本当の理由だろお前。そういえばこいつ、昨日今日とタブレットを弄ってなかったな。


 どうやら祖父母の家はWi-Fiを繋げていないらしい。電話やメールをする分にはWi-Fiがなくても困らないけど、ゲームをするのには必須だ。それで俺たちに付き合うと言ったのか。


「山に行くなら気をつけろ。今、山の様子が少しおかしい」


「あっお爺ちゃんおかえり」


 居間に入ってきた清さんが俺たちに忠告してくる。

 朝起きた時は清さんの姿が見えなかったんだけど、彼は朝早くから畑仕事に出掛けていたらしい。仕事を終えて今帰ってきたんだろう。

 山の何がおかしいのか気になった俺は、清さんに問いかけた。


「どんな風におかしいんですか?」


「少し前からのことだ。山を散策していた時、たまたま獣の死骸を見つけたんだが、それがどうにもおかしい」


「おかしいって、何が?」


「引っ掻いたような傷跡や、食い荒らされたような形跡があるんだ。それも一匹や二匹じゃねぇ、かなり多くの獣がやられてやがる。獣同士でも食い争うことはあるが、それにしては種類も様々だし、腑に落ちねぇこともある。山の中で何かが起こってるのは確かだ」


「そうなんだ……うん、気をつけるね」


 清さんの忠告に、気を引き締めるように頷く灯里。

 山の異変かぁ……素人からすると熊や何かが他の動物を襲っているんじゃないかと思うけど、山に詳しい清さんの考えでは熊の仕業じゃないと思っているそうだ。いったいなんの獣が喰い漁っているのだろうか。


 なんにせよ、俺たちが危険な目に遭う心配はないだろう。今じゃ俺と灯里も魔力による身体強化や魔術を扱えるし、なんといってもメムメムがいる。

 勇者パーティーの魔術師がいれば、何が現れても恐くはない。


「それじゃあ、あまり長居はしないようにしますね」


「行ってきま~す」


「昼はそ~めんを頼むよ」


「十分気をつけてね」


「沢山作って待ってますから」


 俺たちは外出する準備をして、灯里がよく行っていた山へと向かったのだった。



 ◇◆◇



「山に入ったのは久々だなぁ、なんだか密林ステージを思い出すよ」


「結構良いところでしょ?」


「そうだね。静かで涼しいし、やっぱり山や森の中は落ち着くよ。たまにはいいもんだ」


 俺たちは山の中を散策していた。

 メムメムが言ったように、山の中はマイナスイオンが出ているのかひんやり涼しく、物音も全くしない。あったとしても小鳥の鳴き声や、風がそよいで木の葉が揺れる音で心が落ち着くものだ。


 山には久々に入ったけど、たまに来るのもいいもんだな。最近ダンジョンでは孤島ステージの海辺ばかり探索していたけど、密林ステージを探索していた頃を思い出して懐かしくなった。


「山の中でね、お爺ちゃんや猟師さんに色々なことを教えてもらったんだ」


「へぇ~、灯里の逞しさはお爺さん譲りなのか」


 灯里の話によると、山菜の取り方や獣の習性など、山に関する知識を清さんから沢山教えてもらったらしい。


 それと清さんと知り合いの猟師は猟友会に入っていて、山から下りて畑や田んぼを食い荒らす害獣の駆除を時々しているのだが、灯里も一緒に同伴させて貰っていたそうだ。未成年で資格もない彼女は猟銃を使えないため、代わりに弓を使って狩りをしていたんだとか。


 灯里が弓の扱いに長けていたのは、二人から教えてもらい実践をこなしていたからだったんだ。それだけではなく、皮や肉の捌き方も教えてもらったらしい。

 なんて逞しいんだ……灯里なら原始時代に転生しても生きていけるんじゃないか?


 そんな馬鹿なことを考えていると、急にメムメムがその場に立ち止まった。

 怪訝そうな表情を浮かべているので、どうしたのか聞いてみる。


「どうしたんだよ、腹でも痛いのか?」


「いや……僅かだけど血の臭いがする」


「本当か!?」


「そうなの? 全然わかんないや」


 メムメムの発言に俺は驚き、灯里はスンスンと嗅ぐような仕草をして首を傾げる。俺も一応やってみるが、血の臭いなんてしてこなかった。


「ボクは結構鼻が利くほうなんだよ。キヨシの言っていたことも気になるし、行ってみよう。二人とも、付き合ってもらっていいかい?」


「「勿論」」


 メムメムを先頭に後をついていく。すると俺でも分かるぐらい、血生臭いが漂ってきた。

 そしてついに、臭いのもとを発見する。


「うっ……」


「これって……兎?」


「どうやらそのようだね」


 臭いの元は兎の死骸だった。顔や身体をぐちゃぐちゃに食われていて、かなりのグロテスクな見た目となっている。うっ……気持ちが悪くて吐き気がしてきたぞ。


 ダンジョンで多少は慣れているけど、ダンジョンのモンスターは倒したらすぐにポリゴンとなって消滅してしまうからな。目の前にある兎みたいに、生々しい死骸を見るのは初めてだった。


 灯里とメムメムは平気そうで、まじまじと死骸を見つめて話し合っている。うちの女性陣は本当に強いな……自分が情けなくなってくるよ。


「死体はまだ新しい、どうやら殺されたばかりみたいだね」


「うん……そうみたいだね」


「ひっかき傷からすると狐やイタチのような気がするけど、歯型が違う気がする。キヨシが言っていた異変というのも気になるし、このまま探ってみようか。幸い、血の臭いがまだ残っているから今ならまだ追いかけられる。二人とも、いいかい?」


「私はいいよ」


「お、俺も大丈夫」


「よし、じゃあ行こう」


 それから俺たちはさらに血の臭いを追跡し、山の中を歩いていく。すると突然、獣の悲鳴のようなものが聞こえてきた。


「「……」」


 俺たちは顔を合わせて頷くと、悲鳴がした場所まで走っていく。

 そこには、信じられない光景が広がっていた。


「そ……そんな……なんであいつが!?」


 目に映るものに驚愕する。

 眼前には、緑色の化物がイタチの首元に噛みついていた。その化物は俺たちに反応すると、醜悪な顔を向けてくる。


「ゲ……ゲヒャヒャ」


「なんでこいつが……ゴブリンが現実世界ここにいるんだよ!?」


 俺の目の前にいたのは、ダンジョンで幾度となく倒してきたモンスターのゴブリンだったのだ。

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