第146話 ホテル

 


(やばいやばいやばい……頭がどうにかなりそうだ)


 シャーーと、風呂場からシャワーの音が聞こえてくる。その音が鼓膜を震わす度に、嫌でも妄想してしまう。今あそこで、裸の楓さんがシャワーを浴びているのだと。


 俺は先にシャワーを浴びていて、バスローブに着替えていた。

 ベッドの端にちょこんと座っていて、彼女が上がるのを大人しく待っている。この時間が凄く落ち着かない。ばっくんばっくんと、心臓の鼓動が五月蠅かった。


 何故こんな展開になっているのか。

 それはホテルの部屋を取ってくれたエマによるものだった。急遽撮影が明日に延期になったのだが、エマが日下部部長と相談したところ、帰らずに一泊していい事になった。

 それでエマが、近くのホテルの部屋を予約してくれたんだ。彼女は用事があるらしく、先に帰ってしまったけど。


 その後俺は、スタッフに変装していた風間さんに連れられ、ドライブしながら沢山話をした。楓さんも金本さんに付き合って、どこかに行っていたらしい。何をしていたのかはまだ聞いていない。


 そしてホテルにやってきて、チェックインしようとしたら予約してあるのは一部屋だけだと言われてしまった。一体どうなっているのかと楓さんがエマに連絡したところ、本人曰く「経費削減デ~ス」らしい。

 いやいやおかしいでしょ……エマは何を考えているのだろうか。俺が知らないだけで、外国の人はこれが普通なのだろうか?


 幾ら経費削減といえど、大人の男女が一緒の部屋で寝る訳にはいかない。なので俺は漫画喫茶とかでいいから、楓さんに部屋を使って欲しいと言った。しかし彼女は拒否して、結局二人で部屋を使う事になったのだ。


 ホテルの部屋は綺麗だった。

 空間は広いし、高いから眺めもいい。余りホテルに泊まったことがないけど、その中でも一番いいかもしれない。


 が、一つだけ大きな問題がある。

 その問題とは、ベッドが一つしかない事だった。それもキングサイズのベッドが、部屋のど真ん中にドンッと置かれてある。


 ベッドのサイズを見て思ったのだが、これって二人部屋なんじゃないのだろうか。一部屋は一部屋なんだけど、“一人部屋”ではなく“二人部屋”なんだ。それもベッドが二つではなく、キングサイズが一つ。そうなると、エマはわざと“こういう部屋”を取ったとしか考えられない。


「エマめ……なんでこんな部屋を取ったんだよ……」


 恐らく確信犯であろう彼女の行動に、俺は大きなため息を吐いたのだった。



 ◇◆◇



「はぁ……何でこんな事に……」


 シャワーを浴びながら、ため息を吐く。

 今日は驚きの連続だ。撮影は中止になるし、スタッフに呼ばれた士郎さんが中々帰って来なくて探しに行こうとしたら、何故かアルバトロスのメンバーである金本麗奈さんに声をかけられた。


「五十嵐楓さんですね。少し、お話いいかしら」


「貴女は金本さん……何でここに……」


「ここでは話すのもなんですし、場所を変えましょう」


「いえ……士郎……許斐さんを待っていますので」


「ああ……彼なら大丈夫よ。清ちゃんが連れてっちゃったから」


 連れて行った? 清ちゃんというのは、まさか風間さんの事だろうか。

 どうして風間さんが士郎さんを……というより、彼は緊急の用事があるのではなかったのだろうか。


 訳が分からず困惑していると、金本さんに「さぁ、こっちよ」と有無を言わさず連れていかれ、車に乗せられてしまう。

 車を走らせながら、金本さんは私に事情を説明してきた。


 どうやら緊急の用事というのは嘘で、撮影を中止させたのは風間さんの仕業だったらしい。

 何故そんな真似をしたのか。それは彼が、どうしても二人っきりで士郎さんとドライブをしたかったからだった。

 今日でなくてもよかったのではないかと聞いたが、どうやら全ての条件が揃っているのが今日だったらしい。


(撮影を中止させてまで、士郎さんと二人で話したかったんでしょうか……)


 そして風間さんが士郎さんの相手をしている間に、手持ち無沙汰になってしまう私の相手を金本さんに頼んだそうだ。という事は、彼女も巻き込まれた側だと言ってもいいかもしれない。


「お腹空いてません? レストランでもいきましょうか」


「私は構いませんが……」


 私達は近くのレストランに向かった。

 それぞれ料理を頼んで食べていると、金本さんが申し訳なさそうに謝ってくる。


「ごめんね~五十嵐さん。清ちゃんの我儘に付き合わせちゃって」


「いえ……それを言うなら金本さんも巻き込まれた側ではないんですか?」


「そうなのよ~困っちゃうわよね。清ちゃんにはいつも振り回されちゃうの。でもねぇ、それが楽しいといえば楽しいのよねぇ」


「あの、失礼かもしれませんが、風間さんと金本さんはどういったご関係でしょうか」


 その質問をしようと思ったのは、風間さんの事を話している金本さんの表情がただのパーティーに向ける表情じゃなかったからだ。

 恋人に向けるような、愛する人に向けるような特別な感情。


 それに、以前士郎さんと灯里さんを勧誘した時にも彼女はいたし、今回もわざわざ私の相手をさせる為に風間さんに頼まれている。

 ただのダンジョンパーティーとしては、距離がかなり近い気がした。


「私と清ちゃんは幼馴染なのよ」


「そうだったんですか……」


 金本さんは金本財閥のご令嬢だ。その彼女と幼馴染という事は、風間さんもそれなりの家系なのだろうか。

 でも気になるのはそこじゃない。メディアでは発表されていないけど、もっと深い関係なのではないだろうか。

 そんな疑問を抱いていると、察した金本さんがコーヒーを一口飲みながらこう言った。


「好きよ」


「えっ……」


「私は清ちゃんが好き。でも別に付き合っている訳じゃないわ。私の片想いなの」


「そうだったんですか……」


「彼はいつも何かに熱中していてね、付け入る隙がないのよ。今はダンジョンにお熱だし、困っちゃうわ。まぁ、そんなところが好きなんだけどねぇ」


 やっぱり、彼女は風間さんのことを……。

 すると金本さんは、どれだけの長い間、風間さんの事を想い続けているんだろう。叶わない恋を抱き続けて、辛くはないのだろうか。


「五十嵐さんは?」


「へ?」


「許斐君のこと、好きなんでしょ?」


「――っ!?」


 突然質問され驚いてしまう。

 まさかストレートに聞かれるとは思いもしなかった。何故分かったんだろうか……金本さんとは全然関わりが無い筈なのに。


 私は正直に自分の気持ちを言おうか迷ったが、話すことにした。

 金本さんは濁さず話してくれたのだ。私もその気持ちに応えたい。


「はい。私は士郎さんのことが好きです」


「やっぱり。じゃあ、お互い頑張りましょう」


「はい」


 その後も話に花が咲き、あっという間に時が経つ。

 金本さんは話が上手で、途切れることは一度もなかった。内容はダンジョンや芸能界のことだったり様々だが、ほとんどは風間さんへの愚痴という名の惚気。本当に幼馴染なんだということが窺える。

 キリのいいところで店を出て、金本さんにホテルの場所まで送ってもらった。


「今日は楽しかったわ。また一緒にご飯食べに行きましょ」


「はい、喜んで」


「それじゃあ、また明日ね」


 最後に挨拶を交わし、金本さんは去っていった。

 良い人だったな……金本さん。懐の深さに、柔らかい雰囲気。話している内に警戒心も解かれ、気を許してしまった。


 エマさんも人との距離を近づけるのは上手いけど、金本さんとはベクトルが違う。エマさんは巧みな能力で意図的に距離を詰めているけど、金本さんの場合はこちらが自然に心を開いてしまうんだ。それは恐らく、金本さんの優しく柔らかな性格によるものだろう。


「あっ、士郎さん」


 高級車から降りた士郎さんを見掛ける。

 彼は車の中にいる誰かと話していた。恐らく風間さんだろう。一言二言交わした後、車は静かに去っていった。

 士郎さんが一人になったところで、私から声をかける。


 そしてホテルにチェックインしようとしたら、スタッフから部屋は一つしか取っていないと言われてしまう。

 混乱する士郎さんを横目に、私はすぐにエマに電話をかけた。


『ハイ、カエデ。カエデから連絡してくるなんて珍しいデスね。どうしたんデスか?』


「どうしたも何もありません。何で部屋を一つしか取っていないんですか!?」


『オ~バレてしまいましたか。ワタシも悪いとは思っていますが、経費削減の為に仕方なくデスね』


「そんな訳ないでしょう、本当の事を言ってください」


『アハハ、これもバレてしまいましたか。カエデの為を思ってやったことなんデスよ』


「私の為……?」


『イエ~ス。前に言いましたよね? ワタシはカエデを応援するって。奥手なカエデは、こういった状況でも作らないと進展させませんからね。今日こそシローのハートを射止める時デス』


「その件は間に合ってますと言った筈ですよね!?」


『えっ、言ってましたか?』


 この金髪アメリカビ〇チが!!

 余計なお節介をしやがって!!


『恋は駆け引きデスよ。それじゃあ、幸運を祈ってますグッドラ〜ク


 最後にそう告げて、エマはブツリと通話を切ってしまう。

 あの女狐め、これだから陽キャは嫌いなんだ。こっちが慎重にやっているのに、あいつ等は平気でかき乱してくる。本当に余計なお世話だ。


 なんだって? と聞いてくる士郎さんに、私は表向きの事情を説明する。

 彼も有り得ないだろうと呆れかえっていた。空きの部屋もないらしく、士郎さんは自分が漫画喫茶を探すから、私に部屋を使って欲しいと言ってきた。

 その気持ちは嬉しいが、明日の仕事に響いてもあれだし、彼を一人にさせる事はあってはならないだろう。


(エマの策略に乗るのは癪ですが、こうなった以上仕方ないですね)


「私なら構いませんよ」


「えっ?」


「だから、士郎さんと同じ部屋でも構わないと言っているんです」


 そういう経緯があり、私は今夜士郎さんと同じ部屋で一夜を過ごすことになってしまった。


「ふぅ……」


 念の為、あくまでも念の為に身体の隅々まで綺麗に洗った私は、タオルで拭いてからバスローブを羽織った。

 そして、風呂場から出てキングサイズのベッドの端にちょこんと座っている士郎さんを目にする。

 その瞬間、心臓が破裂しそうなぐらい大きく動いた。


「上がりました」


 今夜、どうなってしまうのか、自分でも想像できなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る