第122話 恐怖

 


「上がったよ」


「うん……なぁ灯里、お願いがあるんだけど」


「なぁに?」


「今日、一緒に寝てもらえないか?」


 震えた声音でそう聞くと、灯里は柔らかい顔を浮かべてこう答えた。


「うん、いいよ」



 ◇◆◇



 灯里を助けてから少し経った後、倉庫の中にスーツを着た人たちがぞろぞろと入ってくる。

 新たな敵かと警戒したけど、彼らは合馬大臣が寄越してくれた政府の人たちらしい。


 彼等は俺が気絶させた敵の兵士たちを次々と車に運んでいく。丁度その頃に、メムメムが転移魔術で戻ってくる。

 逃げた敵兵をどうしたのかは聞かなかった。別に彼がどうなろうと知ったことではなかったからだ。


 合馬大臣の部下である柿崎に車で家まで送ると言われたが、一刻も早く家に帰りたかったので断る。

 俺たちはメムメムの転移魔術で家に帰ってきた。たった少ししか出ていなかったのに、随分長く離れていた気がする。


 灯里を心配して色々と話しかけたが、意外と彼女は平気そうだった。

 俺に心配かけまいと平気なふりをしているのだろうか。例えそうであっても、恐い目に遭ったのはかわらない。今日はできる限り傍にいて、彼女のケアを心掛ける。


 夕時になると、灯里がご飯を作ろうとする。

 今日ぐらいは出前を取るか、俺が作ると言ったのだけれど、彼女は頑なに自分で作ると言ってきかない。本人がそう言うならと、好きなようにさせてみた。


 鼻歌を口ずさみながら、灯里は料理を作っていく。その姿はいつも通りで、とても拉致された人間のテンションではなかった。


 でき上がった料理は、ハンバーグに肉じゃが、サラダにさんまに漬物に味噌汁と、手の込んだものばかり。どれも美味しくて、俺は夢中になって食べていく。


 よっぽどお腹が空いていたのだろう。あっという間に完食してしまった。そういえば今日は何も食べていなかったのを思い出す。

 朝から合馬大臣に連れていかれて、灯里を助けに行って、お昼には帰ってきたけど、とてもご飯を食べる気分でもなかったし。


 それはメムメムと灯里も同じだったのか、珍しくご飯をおかわりしていた。

 一つ残さず平らげて完食した後は、一緒に皿洗いをして、リビングのソファーに座ってテレビを流しながらゆっくりしていた。テレビの内容は全く頭に入ってこなかったけど。


 その後は風呂を沸かし、俺から先に入って、次に灯里が入る。

 髪を乾かし終えた彼女に、今日は一緒に寝て欲しいと頼んだのだ。


「「……」」


 夜。チクタクと時計の針が鳴る音が、静寂な空気に木霊する。

 俺と灯里はベッドの上に、拳一つ分空けて横になっていた。話しかけようとしたのだが、何故か口が開かなかった。なにを話せばいいのか分からなかったのだ。


 そんな時、灯里が俺の手をそっと握ってくる。


「士郎さん……」


「ん?」


「私、恐かった。士郎さんとメムメムが助けに来てくれると信じてたけど、やっぱり恐かったよ」


「灯里……」


 そうだよな……恐くないわけがないんだ。まだ高校生の女の子が、武装した人間に攫われて、目を覚ましたらあんな暗い場所にいて、両手を縛られて、衣服を切られて、脅されて、恐くないはずがない。


 もし俺が灯里の立場だったら、その場で発狂していたかもしれない。助けられても、恐怖が蘇って部屋から出られなかっただろう。それだけ恐い体験をしたんだ。

 それだけの恐い思いを、彼女にさせてしまった自分が許せない。


 もぞもぞと、灯里の身体がこちらを向く。

 俺も身体を動かして向くと、灯里は泣きそうな表情を浮かべていた。

 もう灯里に恐い思いはさせない。そう口にしようとする前に、彼女はこう言ってきた。


「でもね……それ以上にね……私を助けようとする士郎さんの顔を見て、凄く悲しかった」


「――っ!?」


 それは、できるだけ考えないようにしていたことだ。

 メムメムの魔術で倉庫に転移した時、一番最初に灯里の姿が飛び込んできた。その瞬間、俺の頭は自分でもわからないぐらい熱く煮えたぎって。

 目の前が真っ白ではなく、真っ黒に染まった気がする。


 そして気が付けば、鞘から刀を抜き出して敵兵に飛びかかっていた。

 灯里にこんなことをしたあいつらが、ただただ許せなくて、力任せに刀を振るっていた。そこに躊躇など一切ない。炎魔術ですら無意識に使っていた。

 下手したら殺してしまうかもしれなかったのに。


 これまでの人生で一度も喧嘩をしてこなかった俺が、なんの躊躇ためらいもなく人を殺せるほどの暴力を振るっていたんだ。

 そんなことを平気でしてしまった自分が……ただただ恐ろしかった

 あの時、いったい俺がどんな顔をしていたのか、知りたくなかった。


 気付きたくなかったんだ。一度気付いてしまえば、俺は自分自身に恐怖を抱いてしまうと思ったから。

 だから考えないようにして、灯里の心配だけをしていたんだ。


 灯里に握られた手をぎゅっと握り返して、情けない俺は弱音を吐き出す。


「許せなかった……灯里にあんなことをしたあいつらを許せなくて、気付いたら魔力を使って刀を振るっていた。殺してしまうとか……全く考えなかったんだ」


 なんで俺は平気で力を振るったのだろうか。振るえたのだろうか。

 ここはダンジョンの中ではない。現実の世界だ。殺してしまったら、その人は二度と生き返ることはない。


「灯里を助けるためとはいえ、そんなことをしてしまえる自分が……恐い」


 俺の手が、身体が震えていた。

 今になってあの時のことを思い出し、恐くなってしまったのだ。少し間違えたら人を殺してしまったかもしれないということと、平気で暴力を振るえてしまえる自分のブレーキの甘さに。


「大丈夫だよ」


 暖かい声音でそう言いながら、震える身体をぎゅっと抱き締めてくる。


「士郎さんは優しい人だよ。人殺しなんかじゃない。だから自分を恐がらなくていいんだよ」


「でも……俺は……」


「大丈夫、大丈夫だから。士郎さんは悪くない。悪いのは、士郎さんにあんなことをさせたあの人たちと、捕まった私なの」


「そんなっ……灯里が悪いなんてことは絶対ない」


「ううん、悪いよ。だから士郎さんがあの人たちのことで気に病む必要なんてないよ。お願い、自分を恐がらないで。士郎さんはそのままでいて」


 灯里の言葉が、心に浸透してくる。

 震えていた身体が、ピタリと止まった。


「士郎さん……助けてくれてありがとね。士郎さんが来てくれた時、本当に嬉しかった」


「……」


 灯里の手が、俺の頭を優しく撫でる。

 俺はされるがままになっていた。


 それがなんだか凄く安心できて、徐々に意識が遠くなっていく。今日の疲れが一気に襲いかかってきたのだろう。瞼を閉じてしまうと、眠気に耐えられず。


「今度は私が、士郎さんを守るから」


 灯里の胸の中で眠る寸前、最後に彼女の言葉を耳にした後、俺は眠りについたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る