第121話 野望

 

(クソッ……最悪だ!!)


 胸中で悪態を吐く『黄泉』のリーダー。

 依頼を失敗してしまった。その上仲間も見捨てて自分だけ逃げてしまったので、組織には二度と戻れない。戻ったところで“上”から殺されるだけだ。


 ――どうしてこうなった。


 任務は上手くいっていたはずだ。

 星野灯里を拉致し、何事もなく引き渡し場所までたどり着くことができた。後はターゲットを引き取りに来る仲介人を待てばいいだけだった。それで依頼は達成されるはずだったのだ。


 だが、最後の最後でしくじってしまう。

 それも、訳もわからない方法でだ。


 どうやって居場所を突き止めた。どうやって忽然と気配もなくその場に現れた。ターゲットを攫ってからそれほど時間は経っていないのに。

 まさか、離れている者を探す魔術や、一瞬で移動できる魔術が存在するとでもいうのか。


 メムメムの魔術は十分警戒していた。

 しかし、襲撃事件や記者会見のような“戦闘用魔術”しか使えないだろうと高を括ってしまっていたかもしれない。


 でも、そんなの仕方ないじゃないか。

 特定の居場所を把握し、その場所に一瞬で移動できるなど、人知を超えた荒業を使えるなんて誰も想像もつかない。


 誤算があったのはメムメムだけではない。許斐士郎にしてもそうだ。


 人間の身体能力を遥かに越えた動きに、右手から放たれた火炎。魔術を使える者は、メムメムだけではなかった。


 恐れるべきは身体能力だけではない。直観も並外れていた。完全に不意をついた攻撃が全て躱されてしまった。しかも、一度も攻撃する方を見ないでだ。


 まるで、“攻撃されることが分かっている風”だった。

 そんな化物相手に、どうやって戦えばいい。


 灯里を人質にした兵士に注意が削がれた時が、逃走する絶好の機会だった。

 士郎とメムメムが登場した時点ですでに依頼は失敗している。後はいつこの場から逃げるかのみを考えていた。


 全員の注意が兵士と灯里に注がれた時、リーダーは一目散に逃走する。念のため逃走ルートを確保していて助かった。

 お蔭で、バケモノ共から逃げられることができた。


「はぁ……はぁ……撒いたか」


「本当に撒けると思ったのかい?」


「――ッ!!??」


 背後から声が聞こえ振り向くと、そこには倉庫にいたはずのメムメムが悠然と立っていた。

 何故だ? なんで居場所がバレた? どうやってここまで来た? かなり距離を稼いだはずなのに!


 目の前に現れたメムメムに狼狽するリーダーは、それでも瞬時に拳銃を放った。


 ダンッダンッダンッダンッ。弾が切れるまで撃ち尽くしたが、一発もメムメムには届いていなかった。


 まるで見えない壁に埋まっているように、銃弾が空中に留まっている。やがて銃弾は、パラパラとメムメムの足下に落ちてゆく。


銃弾こんなものでボクを殺そうと思ったのかい?」


「くっ!」


「頭が高い」


「ぐおっ!?!」


 リーダーは銃をメムメムに向けて投げ捨てると同時にナイフを取り出しながら駆ける。

 しかし、上から大岩でも降ってきたような衝撃を受け、強引に地面に叩き潰されてしまった。

 完全に抑えられている。身動きを取ろうとしても、指一本動かない。


「ちょっとボクの愚痴を聞いてくれないかい」


 ひたひたと、死を彷彿させる足音が近づいてくる。その声音には、静かな怒りが秘められているのが理解できた。


「キミたちを潰す役目はボクだった。シローにはアカリのフォローをしてもらうつもりだったんだよ。だけどさ、真っ先にシローがキミたちに飛びかかってしまった。それも、ボクの想像を越えた能力で戦闘のプロを圧倒してしまったんだよ」


 ああ、そうだ。

 例え魔術を使えたとしても、ただの一般人が銃を持った傭兵に敵うはずがないんだ。


「ちょっと前まで碌に魔力を操れなかった子が、無意識で達人レベルのことをやってのけてしまったんだよ。それを見ていたボクは、柄にもなく興奮してしまってね。つい止めるのが遅れてしまった」


 ひゅんっと、風を裂くような音が鼓膜を震わせたと同時に、リーダーの右足が綺麗に切断され吹っ飛ぶ。


「がぁっ!?」


「それが失敗だった。もっと早くに気付かなければいけなかったんだ。元々シローは優しくて、お人よしで、平気で誰かを傷つけるような人間じゃない。そんな彼が一切躊躇することなく凶器を振り翳した。どれだけ怒ったんだろう。いや……最早怒るどころじゃないかな」


 リーダーの悲鳴を一切無視し、メムメムは目の前にある頭を踏みつける。


「彼の大事なものを壊してしまった。シローに“あんな顔”をさせてしまったお前らと、ボク自身を許せない。だからこれは、単なる憂さ晴らしだ」


「ぐあああああああああああああああ!!」


「どれ、君の頭を少し視させてもらうよ」


 氷のように冷たい声音で言うと、メムメムはリーダーの頭に手を乗せる。その瞬間、脳内をスプーンで掻き混ぜられているような気持ち悪い感覚に落ちてしまう。

 メムメムは口元を三日月のようにさせ、魔術師のように嗤った。


「“へぇ、君も下っ端に過ぎなかったのか”」


「――ッ!?」


「もう君に用はない。ボクの愚痴を聞いてくれてありがとう」


 その言葉を最後に、リーダーの意識は闇に落ちたのだった。

 メムメムはその場から動かず、誰かに話しかけるように口を開く。


「こいつのことは任せるよ、オウマ」


「ああ、よくやってくれた」


 メムメムの言葉に、合馬秀康が答える。

 突然その場に現れたのに全く驚きもせず、メムメムは振り返って合馬を睨めつけた。


「お前、わざとアカリを攫わせただろ」


「なんのことだ?」


「すっとぼけるつもりならそれでもいいさ。ただし、この落とし前はキッチリつけろよ。それと、もしまた“こういったこと”をすれば、ボクがお前の首をくびり殺すからな」


「肝に銘じておこう」


 言いたいことは言ったのか、メムメムは「ふん」と鼻を鳴らして転移魔術を発動する。

 膨大な魔力殺気を放出していた魔術師が消え、異世界の元魔王は胸を撫で下ろすように息を吐いた。


「死ぬかと思った」



 ◇◆◇



「しくじったぁ~~? ったく、これだから弱小組織は当てにならんのだ」


 その夜。

 中国に存在する巨大組織、中国マフィア『夜蛇』の首領ドンワン 張静チャンジンは、部下から知らされた報告に悪態を飛ばす。


 異世界の住人メムメムの捕獲計画の第一段階として、彼女と共に暮らしている星野灯里を拉致しようと、いくつもの仲介を経て『黄泉』に依頼したのだが、拉致に失敗してしまった。

 それも失敗に至ったのはメムメム本人によってだとか。


 弱小組織といっても――『夜蛇』と比べたら――『黄泉』は歴とした傭兵のプロ集団だ。それらを使っても失敗するということは、メムメムの力は想像以上に厄介らしい。


「ふん、ならば早く次の手を打て。いいか、必ずメムメムを手に入れるのだ」


「仰せのままに」


 次はもっと大きな組織に、入念に準備を整えさせて計画を行わせよう。金はいくらでも払ってやる。あの力を手に入れられるならば、金どころか中国全土……いや、世界すらも手中に収められるのだから。


 王が苛立ちながら部下に命令すると、部下は踵を返して部屋から立ち去ろうとする。

 その寸前――突如部下の首が刎ね飛ばされた。


「はっ?」


「やっと本命に行き着いたようだな」


 忽然と、その場に一人の人間が現れる。

 大柄な男だった。巨躯の男は黒いスーツを身に纏い、真っ赤なネクタイを垂れ下げている。しかし、得られる情報はそれだけだった。


 人として判別する重要な顔の部分が“認識できない”。ヘルメットやマスクで顔を隠しているわけでもないのに、モザイクがかかったように分からなかった。


 謎のスーツ男――合馬秀康の登場に、王は一瞬狼狽するもすぐに落ち着きを取り戻す。これくらいで取り乱すほど『夜蛇』の首領は間抜けではない。こんなものは闇の世界で生きる者なら日常茶飯事だ。


「何者だ。ここがどこで、誰を相手にしているのか分かっての襲撃だろうな」


「名乗るほどでもないさ。少し野暮用で来たんだ。貴方と話をしたくてね」


 中国語だ。しかも意外と流暢に喋っている。

 同国の者だろうか? 他のマフィアの回し者か? だが暗殺者にしては堂々としている。何が目的だろうか。

 王は警戒しながらも、「ふん」と鼻を鳴らして頬杖をつく。


「聞こう。だが心して話せよ。我の気分を害した瞬間命は無いと思え」


「これ以上星野灯里や、メムメムに関わらないでもらえるか」


 バレている。

 星野灯里を襲撃した大本が『夜蛇ここ』であると、確実にバレている。


 どうやってバレた? バレないようにいくつも仲介を挟んだはずだ。どうやったってここにたどり着くことは不可能なはずだ。情報源はどこから得た?

 王は心の中で思考を巡らせながら、一切表情を変えずすっとぼける。


「さぁ、なんのことかわからないな」


「ありがとう。それを聞けて安心したよ」


「はっ?」


 合馬がひょいと手先を振る。刹那、王の右手が前触れもなく切断された。


「がああああああああああああ!!??」


「「首領!?」」


「殺れぇぇええええ!!」


 失った右手を抑え、怒りながら王が指示を下す。

 両端に控えていた部下の二人が、携えているマシンガンを合馬に向けて発砲した。

 ダダダダダダダダッと銃撃音が広い部屋に鳴り響く。


 しかし、合馬はなんとでもないといった風にその場に佇んでいた。

 銃弾が効いていない。撃ち尽くした二人の兵士は、銃を投げ捨て合馬に襲いかかる。


 彼らは暗殺術、格闘術の達人だ。その実力が『夜蛇』の中でも上位に位置するからこそ、首領の護衛という誇りある任についている。

 王の首を狙った襲撃者を殺したのは数知れず。

 “人間の中でも”最強格の二人が、凄まじい速度で合馬に肉薄する。


 だが――、


「前世に比べたら私の力はかなり衰えてしまってね。今やメムメムにすら遅れを取ってしまう。しかしメムメムに勝てないだけであって、人間きみたちを踏み潰す程度は息を吸うのと同じくらい容易なのだよ」


「ぐがっ」


「ぐぅぅ」


 合馬の肉体から“闇”が蠢く。

 それは物体となって護衛の二人を捕らえ、身動きを封じていた。闇は徐々に二人の身体を侵食していき、全てを覆い隠していく。絶望に顔を染める兵士の悲鳴が漏れる前に、圧殺した。


 びちょ……びちょと、黒い物体から赤い血が垂れ、高価な絨毯を汚していく。


(なんだ……こいつは……)


 得体の知れない合馬に、さしもの王も心が穏やかではなかった。

 自慢の護衛が一瞬で倒されてしまった。それも、どんな力を使っているのか見当もつかない。

 額に冷や汗をかく王へ、合馬は朗らかな表情で近づく。


「わ、わかった……メムメムにはもう手を出さない。約束する! だから殺さないでくれ!」


「そうか。わかってくれて嬉しいよ」


(バカが! この借りは絶対に返してやる! 貴様を徹底的に調べ上げて親族諸共嬲り殺してやるからな!!)


 この場は言うとおりに従ってやろう。

 だが『夜蛇』の誇りにかけて、受けた屈辱は何倍にしてでも返してやる。

 そんな王の心を見透かすように、合馬は軽やかな口調でこう告げた。


「ああ、言っておくが君の駒は私の方で潰させてもらった。『黄泉』も、それを仲介した組織も、『夜蛇』の構成員も。君が使える駒はもういない。例えこの場を生き残ったとしても、力を失った『夜蛇』は他の組織に喰われてしまうだろうな」


「はっ?」


「全く、用意周到な男だよ。お陰で大分手間を取らされた」


 この男は何を言っているんだ?

 そんなことできるわけないだろう。どれだけの数がいると思っているのだ。ハッタリだ。たった一人の力でどうこうできる次元じゃない。


 だが、何故だろう。

 この男の言っていることが嘘でないと、これまでの経験が訴えてくる。


「貴様……いったいなんなのだ」


 その問いに、合馬は「ふむ」と考える仕草をしながら答えた。


「強いて言うのなら、魔王かな?」


「魔王……だと」


 ふざけた言葉なのは分かっている。

 だが、あながち間違いでもなかった。この男から放たれる重圧は、これまで相まみえてきたどんな大物よりも深く、重かった。

 まるで悪魔……いや、魔王と呼んでも過言ではないほどに。


「なに、殺しはしないさ。ただ、もう二度と歯向かえないように怖い思いをするだけだよ」


「ひっ! く、来るなぁぁああああ!!」


 恐怖に絶叫を上げる王は、近くにあった拳銃を手に取り銃口を向ける。

 しかし、発射する前に合馬によって頭を掴まれ、壁に叩きつけられてしまった。

 昏倒する王を投げ捨てると、合馬は王が座っていた豪奢な椅子に深く腰を下ろした。


「さて、これで邪魔者はいなくなった」


 一仕事終えた合馬は、ふぅと息をつく。

 士郎宅を何者かが狙っているのは分かっていたし、捕らえるのは容易かった。しかし尻尾を捕まえたところで尻尾切りをして逃げられては、また同じことの繰り返しになってしまう。


 面倒なことは一度で終わらせたい。

 だから敢えて泳がし、星野灯里を餌にして獲物を釣ったのだ。


 見事に食いかかってくれて助かった。しかもその中の一人――『黄泉』のリーダー――は有益な情報を持っていた。

 まぁ、リーダーをメムメムから引き渡された時は少々肝を冷やしたが。


 彼女もまた、合馬の囮作戦を事前に分かっていた。分かった上で乗ってくれたのだろう。だからリーダーをこちらに引き渡し、落とし前をつけろと伝えてきたのだ。

 汚れ役を買って出ろという意味で。


 合馬はリーダーの記憶を漁り、『黄泉』の本拠地に転移する。全て半殺しにしてから位の高い者から記憶を漁り、また次の仲介組織のもとに転移する。

 それを繰り返していくと、大元である『夜蛇』にたどり着いたのだ。


 流石の合馬も疲れてしまった。なんせ『夜蛇』は周到で、仲介していた組織が二桁に届きそうなくらいの数があったのだから。


 だが、その甲斐あって全て終わらすことができた。あの襲撃事件も『夜蛇』によるものであったし、これ以降は大っぴらに士郎たちを狙う組織は出てこないだろう。


「邪魔者は片付けた、これで当分は政治に集中できる。とはいっても、現時点ではあの狸爺はどうにもならんな。星野君を囮にするのもバレていたし……化物め」


 らしくもなく、愚痴を零す。

 総理大臣菱形鉄心には、灯里を囮にする合馬の作戦が筒抜けだった。この作戦は誰にも伝えていない。一番信頼のおける柿崎にすら伝えていなかった。全部自分一人で仕組んだことだ。


 だから情報源はどこにもないはずのだ。

 にもかかわらず、総理の部屋で合馬が士郎たちに灯里が拉致されたと告げただけで、菱形総理は合馬の作戦を一瞬で見抜いた。その慧眼は恐るべしと言えよう。


 いや、菱形総理だけではない。

 日本の政界には、重鎮を始め途轍もない大きな“闇”が蠢いている。他人の弱点を探し、蹴落とすことなど日常茶飯事だ。合馬でさえ、何度もハメられてしまっている。


 異世界の魔王だった己が、赤子を捻るが如く軽くあしらわれてしまう。それほどまでに政界で生きていくことは難しい。


 そんな闇が蠢く中で、総理トップに立った菱形鉄心は化物中の化物だ。その腹の中には、何が潜んでいるのか皆目見当もつかない。今の合馬では、いや……どれほど経験しても菱形鉄心の首元に刃を届かせるビジョンは浮かばなかった。


 力だけが全てであった魔界とは何もかも違う。政界でのし上がるためには、狡猾な頭を持っていなければならない。


 正直言って、魔力を使えば上に上がることは容易いだろう。

 が、それでは面白くない。郷に入っては郷に従え。人間同士の戦いなら、人間の力のみで立ち向かっていく。その方が絶対に面白い。


「メムメムには嫌われてしまったし、今度お菓子でも持っていくか。私が上に上がるには、現状あいつの力が頼りだしな」


 元異世界の魔王、合馬秀康の野望。


 それは――、


「やれやれ、いつになったら手に入れられるやら」


 日本の総理トップに立つことだった。

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