第119話 崩壊
「ぅ……」
静かに目を覚ます灯里。
頭が重く、思考が混濁している。瞼を微かに開けて、視界に映る光景に驚愕した。
灯里がいる場所は薄暗く、二階の窓から差し込む光のお蔭でなんとなく視認できるくらいの明るさだ。空間はだだっ広く、そこかしこに使われていない工具などの残骸が放置されていた。
恐らくだが、使われなくなった倉庫か何かだろう。
(ここは……私、いったい……)
状況が一切飲み込めない。何故、自分はこんなところにいるのだろうか。
未だに覚醒しきれず、頭にモヤがかかった状態で気を失う前のことを思い出そうとする。
確か士郎とメムメムと合馬大臣を見送った後、掃除をしようとしていたんだ。
その時、どこからか丸い形の機械が床に転がって、機械から白い煙が噴出する。その煙を吸ってしまった後、急激に眠くなってしまった。
(そうだ、私……眠らされたんだ!)
やっと回復してきた思考により、灯里は自分に襲いかかった窮地に気付く。
白い煙を出した
そして自分は眠らされ、誰かに攫われてしまい、こんなところに連れて来られてしまったのだ。
(早く逃げなきゃ――えっ!?)
己の置かれている状況を把握した灯里が身体を動かそうとするが、手首が固定されていて動けない。首だけ振って背後を確認すると、壁に二本の杭が刺さっており、その杭についてある手錠に両手首が固定されてしまっていた。
今の灯里は両手を上げた状態で、手首が固定され、
完全に、逃げる手段を失われてしまった。
「あれ、もう起きちゃったのか? 半日以上は眠っているはずなんだけどな」
「――っ!?」
すぐ近くで誰かの声が聞こえる。
驚いた灯里は声がした方に視線を向けると、そこには漆黒の戦闘服に身を包んだ『黄泉』の兵士がいた。
いや、一人だけではない。薄暗いのと黒い服が溶け合って判断し辛いが、気配的には最低でも四人はいるようだ。
この者たちが自分を攫った者たちだろうと、灯里は息を呑んで警戒する。
「気分はどうだい、灯里ちゃん」
そんな彼女に、兵士の一人が近づいてきた。
ヘルメットを被っているので顔は伺えないが、声で男性だということが分かる。それと言葉も通じることから、日本語で喋っているようだ。
灯里は心の中で大きく深呼吸をして、目の前まで近づいてきた兵士に問いかける。
「なんで私を攫ったんですか。目的はメムメムですか」
「おお~すげーなこいつ。なんでそんな冷静でいられるんだよ。本当に一般人か?」
灯里の堂々とした態度に、兵士はひゅうと口笛を吹いた。
驚いたのは灯里に声をかけた兵士だけではない。この場にいた『黄泉』の兵士全てが灯里の様子に驚愕する。
普通、目を覚まし自分が攫われたと認識したターゲットは、すぐに慌てふためき、暴れ周り、泣き叫んだりするまでがデフォルトだ。自分が拉致られる可能性があると事前に分かっている要人ならば、状況を察して大人しくしているが、灯里は一般人の女の子である。
一般人の女の子が、起きた瞬間に自分が置かれた状況を把握して冷静でいられることなんてできるだろうか。ましてや、自分が攫われた理由が
他の兵士たちはただ驚くだけだったが、リーダーを担っている兵士だけは、灯里への警戒度を上げる。
返答がないので、灯里はもう一度続けて問いかけた。
「私をどうするつもりですか」
「さぁ~、そこのところは知らねぇなぁ。俺たちは灯里ちゃんをここに連れてこいって命令されただけだからなぁ。あとは雇い主様に引き渡すだけなんだよ。その後はよく知らねぇが、多分船で遠いどこかに連れてかれちまうんじゃねぇのかな~」
「――っ!?」
「おい、余計なことをベラベラ話すんじゃない!!」
「いいじゃんかよボス~。俺さ~灯里ちゃんのファンなんだぜ~。少しくらい喋らせてくれよ~」
「ていうか、やっと星野灯里だと分かったわね。これ一体どんな仕組みなのかしら」
目の前にいる兵士が後方にいる兵士と何かを話しているが、聞き取ることができなかった。確実に日本語ではないが、喋り方からすると中国や韓国といった国の言葉だろう。
(狙いはメムメムじゃなくて、私……?)
兵士の話に、灯里は怪訝な表情を浮かべる。
てっきりメムメムのための人質として攫われたのだと思っていたのだが、どうやらこの連中の狙いは自分らしい。
何故自分が狙われたのか理由は全然分からないけど、それなら話が早い。自分さえこの場から逃げてしまえばいいのだから。
灯里は瞼を閉じ、己の中に眠る魔力を循環させる。
身体強化魔術を使えば、両手を捕らえている手錠を強引に壊してそのまま逃げられるはずだ。
しかし――、
(ダメ……魔力が上手く練られない!)
身体強化を行おうとするも、魔力を十全に操作することができなかった。
恐らく、催眠薬の効果がまだ身体に残っているのだろう。集中しようとしても上手くいかず、魔力を操ることができなかった。
打つ手がなくなった灯里に、目の前にいる兵士がズボンの裾からナイフを抜いて見せびらかすように近づいてくる。
凶器を目にしてびくっと怯むも、灯里は強い心を保って無表情を貫いた。
「お~いいね~その顔、健気ですんげ~そそるわぁ。なぁ灯里ちゃん、俺は気に入った女の顔が、絶望に染まった瞬間が一番大好きなんだよぉ。ファンとしてはさ~、是非灯里ちゃんのそんな顔が見たいんだよなぁ」
「……ッ」
兵士が勝手なことをしているのを見て、一人の兵士がリーダー格の兵士に尋ねる。
「ねぇ、放っておいていいの?」
「あいつもプロだ、弁えてはいるだろう。依頼主が来るまで少々時間がある。退屈凌ぎの余興としてはいいんじゃないか」
「ボスって意外と甘いわよね」
「時には飴も必要だろう」
二人が話しをしている間、灯里に接近する兵士はナイフを顔の前でぶらつかせ、脅えさせようとする。しかし灯里は毅然としていて、兵士の顔を睥睨していた。
その顔が気に入らなかった兵士は、ナイフの刃を灯里の顔に当てようとする。
「ほらほらぁ、その綺麗な顔に傷つけちゃうよぉ」
ナイフの刃が灯里の頬に当たる、その瞬間だった。
バチッと火花が舞い散ると同時に、強烈な衝撃波が兵士に襲い掛かる。
「――ガハッ!?」
衝撃を受けた兵士は、身体をくの字に曲げながら後方に吹っ飛ぶ。
地面にバウンドしながら転がる仲間を気にせず、他の兵士たちは一斉に銃口を灯里に向けた。
「何をした!?」
「……」
思わぬ反撃に驚愕する兵士が怒号を上げるが、当の本人も何が起きたか分かっていない様子だった。両手を縛っている手錠も壊された形跡がなく、攻撃した気配が見当たらない。
そもそも、兵士たち全員が灯里のことを注視していたが、彼女が怪しげな行動や攻撃行動を取ったところは目撃できなかった。
ならば何故、突然ナイフを持っていた兵士が吹っ飛ばされたのか。
灯里も困惑していたが、心当たりはあった。
(もしかして……メムメムの魔術?)
その考えは正解だった。
メムメムは灯里に、防御魔術を施している。その魔術は、明確な敵意があって灯里が害されようとした時に発動し、敵に衝撃波を繰り出す魔術だった。普通に触れたりすることはできるが、今のように外傷を与える危機に陥った場合に発動する仕組みである。
どうやって灯里が攻撃したか戸惑う中、一人の兵士が口を開いた。
「今の……なにかしら?」
「わからん。だが様子を見る限り本人も意図していないようだ。考えられるとすれば、メムメムの魔術とやらかもしれん。今まで発動しなかったということは、こちらが攻撃した瞬間にトリガーが引かれるタイプかもしれんな」
「へぇ……魔術ってそんなこともできるんだね。でも良かったわね、私たちは別に星野灯里を殺すわけじゃないし、作戦に支障はないわ」
「そうだな。眠らせられたのは僥倖だった。もし抵抗されていた場合、捕獲するのは難しかっただろう」
リーダーの見解に、他の兵士たちは同意するように首肯する。
こちらの作戦は既に完了している。後は引き取りにくる仲介人を待っていればいいだけの話だ。だから灯里に対しアクションを起こす必要はない。
しかし、それを許さない者がいた。
「クソったれがぁ! よくもやってくれやがったな!」
衝撃波で吹っ飛ばされた兵士が、起き上がりながら怒声を吐き散らす。
肋骨が数本折れているはずだが、怒りによって痛みは感じられていなかった。
本来、防御魔術を喰らった一般人は今の一撃で昏倒している。ギリギリ死なないように、メムメムが威力を調整していたからだ。
しかし、『黄泉』の兵士は耐久性が高い戦闘服を身に纏っているので、一撃で昏倒することができなかった。
怒り散らす兵士は、ズンと踏みしめながら灯里に接近する。
ヘルメットを脱ぎ捨て、備えているナイフを取り出した。
「おい、またやられたいのか」
「うるせぇ、ようは身体に触らなきゃいいんだろうが!」
一人の兵士が注意するが、怒る兵士は意外と冷静だった。
なにより、リーダーが止めようとしない。ならば問題はないだろうと、他の兵士たちも静観していた。
「よぉ灯里ちゃ~ん、よくもやってくれたじゃねぇ~か。めちゃくちゃ痛かったぜ~」
「……」
「この代償は高くつくぜ。絶対に泣かしてやっから」
「きゃ!」
兵士は舌で唇を舐めまわすと、ナイフで灯里の胸元を斬り裂く。
はらりと前がはだけ、桃色の下着に包まれた胸があらわになった。
「おお~たまんないねぇ。やっぱり灯里ちゃんのお乳は最高だわぁ」
「……ッ!!」
「その顔そそるねぇ~。俺は強気な女がやめてと懇願してくるのが大好きなんだよ。さ~て、灯里ちゃんはいつまでもつかなぁ~」
下卑た顔をより一層悍ましくさせ、兵士はナイフで灯里の下着を斬ろうとする。
(士郎さんッ――)
ぎゅっと瞼を閉じ、灯里は士郎の顔を思い浮かべる。
――助けて。
そう願うも、士郎がこの場に来るはずはない。それは分かっているが、やはり助けを求めてしまう。こんな奴等に、こんな男に弄ばれたくなどない。
「ほ~ら、切っちゃうよ~」
兵士のナイフが下着に触れた――その時。
「なに者だ!?」
突然、兵士の一人が声を荒げながら背後を振り向く。
それに釣られるように、全ての者が振り返った。
「おい、嘘だろ……」
「どうやってここに……」
突如現れた“二人の人間”に、兵士たちが狼狽する。
なんの気配もなく、忽然と現れた二人の人間。
その二人は、ターゲットの仲間である許斐士郎とメムメムだった。
「士郎さん……」
士郎を目にした灯里は、心の底から安堵する。
助けに来てくれた。来てくれると信じていたけど、本当に来てくれるとは思っていなかった。
想い人の顔を見た瞬間、恐怖と緊張が解け、灯里の瞼から一筋の涙が零れ落ちる。
その涙を見た瞬間――バキっと。
士郎の中で何かが壊れる音がしたのだった。
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