第117話 ダンジョン産の装具



「私、総理大臣の菱形鉄心ひしがたてっしんと申します。よろしくお願いしますね」


(……本物の菱形総理だ)


 日本のトップを目の前に、俺は息を呑んでいた。


 菱形総理はパッと見、どこにでもいそうな優しいお爺ちゃんといった風貌だ。歳は七十代くらいで、眉尻や目尻も下がっていて柔らかい顔つきをしている。しかし彼の外見で一番特徴があるのは、背が低いことだ。多分百五十あるかないかぐらいの身長だろう。


 歴代の総理の中では割りと背が低いことや、強面ではないことから世間では“小さな総理大臣”と呼ばれている。俺は政治にそれほど興味がないため詳しくはないが、菱形総理が小さな総理大臣と呼ばれていることは知っていた。


 しかし、いざ対峙してみると実際の背よりも大きく見える。ニコニコと優し気な笑顔を浮かべているのだが、何故か彼に恐怖を抱いてしまった。


 任期は今年で三年目だった気がする。

 前総理大臣が、東京にダンジョンが出現してからの対処が余り上手くいかず、国民から不満が溜まり支持率が落ちて辞任し、新しく総理になったのが菱形総理だった。


 菱形総理はダンジョン省の合馬大臣と連携し、ギルド設立や冒険者という職業を作った手腕から、政界からも国民からも高く評価されていた。


 そんな物凄い人が、今俺の目の前にいることが信じられない。

 重たい唇を開き、頭を下げて挨拶を返した。


「……許斐士郎と申します。よろしくお願い致します」


「メムメムだ。シクヨロ」


 おいメムメム、なんだそのギャル風な挨拶は。総理に対して失礼だし、その上ネタが古いぞ。


「はっは、よろしくお願いします。さぁさ、立ち話もなんですからおかけください」


「は、はい。失礼します」


 菱形総理に催促され、俺とメムメムは高級そうなソファーに腰かける。うわなんだこれ、凄い柔らかい上に座り心地が最高なんだけど。身体にピッタリとフィットしてくるぞ。

 高級ソファーの性能に感動していると、菱形総理に尋ねられる。


「二人はお茶でいいですか?」


「総理、私がやりますよ」


「いいんですよ合馬君、こう見ても私、お茶を入れるのが好きでしてね。やらせてください」


「承知致しました」


「ボクはどうせならメロンソーダが――「はい、お茶でお願いします! 凄くお茶が飲みたいと思ってました!」


 メムメムが空気を読まずにメロンソーダが飲みたいと言い出す前にその小さな口を手で塞ぎ、慌てて答える。

 頼むから少しは大人しくしておいてくれよ、相手は総理大臣なんだぞ。お茶を入れるのが好きって言ってる前でメロンソーダ飲みたいなんて我儘言う奴なんていないだろ。


「ぷは、ジョークだよジョーク。そんなに慌てるなよ」


「あのなぁ、ジョークは言っていい時と悪い時があるんだぞ」


「はっは、お二人は中々に面白い方たちだ。合馬君が言っていた通りですね」


 えぇ……合馬大臣、一体俺たちのことをどんな風に伝えているんだろうか。なんか恥ずかしくなってくるな。


 菱形総理は湯気が立っているお茶を俺とメムメムの前に置くと、対面に静かに座った。合馬大臣はその後ろに立ち控えている。

 いただきますと言って、ズズっとお茶を飲む。味の良し悪しはあまり分からないけど、雰囲気で美味しい気がした。

 因みにメムメムは「あっち!」とベロを出している。


「美味しいです」


 月並みな感想を伝えると、菱形総理は破顔して、


「それはよかった。さて、改めてここまでご足労いただきありがとうございます。お二人と話がしたくて、合馬君に頼んで連れてきてもらいました」


「話……ですか?」


「ええ。新しい環境には慣れましたか?」


「はい。合馬大臣に頂いた家で楽しくやっています」


「なにか困ったことはありませんか。マスコミが五月蠅いとか、会社でのトラブルだとか」


「いえ、そういったことは今のところありません」


 そういえばすっかり忘れていたけど、記者やマスコミとか全然来たりしていないな。前のアパートは一瞬でバレてマスコミが押し寄せられたと聞いていたけど、新しい家になってからそれっぽい人は全く見かけていない。


 まだ居所がバレていないのだろうか。それとも合馬大臣がなにかしてくれているのだろうか。


 多分後者だろうな。マスコミってしつこい感じがしてどこにでもいるイメージだし、突き止められていないことはないだろう。しかしまだ一度も見かけていないということは、合馬大臣が俺たちに迷惑がかからないように取り計らってくれているのかもしれない。


 会社でも、部署が変わったこと以外は特に問題ない。俺的には記者会見でテレビに出たことからもっと騒がれたり、会社にマスコミが殺到して迷惑がかかると思ったのだが、そういったことも一切なかった。社員にも余りしつこく聞かれたりしていないし。


 もしかしてそこまでやってくれているのだろうか。流石にそれは考え過ぎか?


「それは良かった。メムメムさんはどうですか、こちらの世界は楽しんでおられますか?」


「そらもう最高に楽しんでるよ。ボクがいた世界は全然娯楽がなかったけど、こちらの世界はボクが生涯かけても消化しきれないぐらい娯楽が溢れてるからね。食べ物も美味しいし、漫画はあるし、生活基準が高い。不満なんて一切ないね」


「そうですか、こちらの世界を好きになってもらえて良かったです」


 それからも、俺たちと菱形総理は世間話を繰り返した。


 趣味とか、好みの人とか、総理の孫が可愛いくて仕方ない――孫の写メを見せられた――とか、本当に他愛もない話ばかりだ。


 てっきり政治についての話をされると思ったので、なんだか拍子抜けしてしまう。

 こうして話してみると、やはり菱形総理は優しいお爺ちゃんというイメージを抱いてしまう。とても日本を背負う総理大臣とは思えなかった。


 そんな風にほっこりしていた時、ほんの僅かに空気が変わった。

 菱形総理の纏う雰囲気が、やや重く感じられる。


「メムメムさんに、ダンジョンと異世界について少しお話を伺いたいのですが、よろしいですかな」


「いいとも、答えられる範囲なら答えよう」


「ありがとうございます。では早速ですが、ダンジョンはどうやったら消滅させられると思いますか?」


「――っ?!」


 菱形総理の質問に胸中で驚く。

 彼はダンジョンを消し去りたいのだろうか? 自分でギルドを創設し、冒険者という職業を作ったにも関わらず。


 ダンジョンから手に入る魔石は、今や世界的に新エネルギーとして使われており、経済すらも動かしている。ダンジョンを消すということは、それらから得られる恩恵を放棄するということだと思うけど、彼はそれでもいいのだろうか。


 菱形総理の問いに、メムメムはバッサリと答える。


「残念だが無理だね。ボクの考えだが、“あれ”はボクらの世界の神の仕業だろう。この世界の人間にどうこうできる代物ではないよ、ボク含めてね」


 メムメムは「ただ……」と言い続けて、


「ダンジョンの仕組みは、どうもこの世界でいうゲームに似ている。そしてゲームには必ずと言っていいほどエンディングがあるから、ダンジョンの最上層を攻略クリアすることができれば、ダンジョンが消滅する可能性は無きにしも非ずだと思うよ。それが一体どこまで伸びているのかは予測できないけどね」


「ゲームのクリアですか……」


 なるほど……そう言われてみればそうかもしれない。

 ダンジョンはステータスやレベルなど、まるでこの世界のゲームみたいな仕様になっている。そしてゲームであるならば、メムメムが言ったように終わりがあるかもしれない。


 ダンジョンを作った者がどういった意図でゲームみたいな仕様を取り込んだのかは分からないけど、この世界のゲームを題材にして作ったのならば、ゲームクリアという概念があってもおかしくはなかった。


「ありがとうございます、参考にさせていただきます。質問の連続で申し訳ないのですが、メムメムさんはこの世界には魔力があるとおっしゃっていましたね。この世界の人間でも魔術を使うことができるのでしょうか? もし使えた場合、どれほどの人間かずが使えるようになると予測されるでしょうか」


「安心してくれ、この世界の人間が魔術を使うことは不可能だ。だから魔術師を作ろうなんてことは考えないほうがいいぜ」


「そうですか。それを聞けて安心しました」


 メムメムはここでも本当のことは言わないんだな。まあ、俺も言わないほうがいいと思うけど。もし悪人が魔術を使えるようになってしまえば、多くの人々が犠牲になってしまう可能性だってある。


「ここだけの話ですが、他国で魔術師の仕業と思われる犯罪が起こっています。私共わたくしどもはその情報を知り、こちらの世界の人間でも魔術が使えるのではないかと危惧した次第です」


「へ~、それは興味深いね。もし本当に魔術師がいるなら会ってみたいものだよ。たださ、“魔術が使えるのは人間とは限らないよね”」


「へっ? それってどういう意味だ?」


 メムメムの話に引っ掛かりを覚えた俺がそう聞くと、彼女はニヤリと口角を上げる。


「“ダンジョン産の装備”があるじゃないか。レベルの低い装備だとただの重たいガラクタだが、中にはそれ自体が魔術を宿している装備もある。それさえ使えば、ただの一般人だって魔術を使うことはできなくもないよ。それに、魔力が大量に含まれている魔石を使えば充填だって可能だ」


「あっ」


 そうか、ダンジョン産の装備か!!

 確かに盲点だったかもしれない……。俺はまだ実物を目にしたことないけど、上位の冒険者の中には超レア装備を持っている人たちもいる。そして超レア装備は、それ自体が強力な武器なんだ。


「だからこの国や他の国がしている対策はとても良い判断だと思うよ。ダンジョンで手に入れた物は外に持ち出し禁止で、全てギルドに預けることになっているだろう? そうしないと、万が一魔力持ちの武器が使われてしまうかもしれないしね」


「おっしゃる通りです。我々はまさにそれを危惧しております。今のところ世界各地にある全てのダンジョンは国連で管理していますが、中には管理がずさんな国もあるのが現状です。そういった国からダンジョン産の装備が持ち出しされ、悪用されていることも考えられます。いや、恐らくすでになっているでしょう」


 マジかよ……ダンジョン産の武器が外に漏れることなんてあっていいのか?

 もしそうなったら、民間人はおろか警察だって太刀打ちできないんじゃないのか。


 正直言って、俺はそんなこと今まで一度も考えたことがなかった。ダンジョン産の装備は、ダンジョンに入っている間のステータス恩恵があるからこそ思う存分使えるのであって、現実世界の素の状態ではまともに振ることだって難しい。ぶっちゃけ持っていても邪魔なだけだ。そもそも刃物系は銃刀法違反で捕まるし。


 けどそれがもし、現実世界でも魔術を使えるようなレア装備だったならば、一般人だって魔術を使うことができる。さらに悪人の手に渡れば、どんなことに使われるか容易に想像できてしまう。


 ダンジョン産の武器について戦慄していると、菱形総理は険しい表情を浮かべながらメムメムに頭を下げる。


「そこで、メムメムさんにお願いしたいことが二つあります。国連の会議に一度だけ出席していただき、各国の首脳陣とダンジョンやダンジョン産の装備についてお話をしていただきたい。そしてもう一つは、国では対処できないほどの装備持ち犯罪者が現れた時、どうかお力を貸していただきたいのです。誠に自分勝手ですが、被害者を少なくするにも、専門的な知識とお力が必要なのです」


 総理大臣が頭を下げて懇願する中、メムメムは面倒臭そうに答える。


「断る」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る