第89話 人事異動
「許斐君、五十嵐君。君たちの事情は把握している。政府からもできるだけ協力して欲しいと言われている。だが、今の所に君たちがいては他の者の業務が差し
「「はあ」」
「君たちがわが社で働いていることは、すでに世間が周知している。お蔭で最近は売り上げが過去最高に達しているよ」
「「はあ」」
「そこでだ。君たちは今いる部署から宣伝部の方に異動してもらう」
「人事異動しろと? 私たちを
「そう固く考えないでくれ。お互いウィンウィンの関係を築いていこうという話じゃないか。君たちは広告やCMに出てくれるだけでいいし、それでわが社は利益が出る。良い話だと思わんかね?」
「「……」」
「悪いがこれは決定事項だ。よろしく頼むよ」
そういう事で、会社の方針により俺と彼女――五十嵐楓さんは今日付けで宣伝部に移動することになった。
◇◆◇
「まさか宣伝部に移動とはな。許斐君にとって良いことなのか悪いことなのか判断できかねるが、ひとまずおめでとうと言っておこう」
「はい、ありがとうございます」
俺と楓さんは、四日ぶりに会社に出社した。
いつもの部署ではなく、急に社長室に呼ばれてしまう。そこで社長から言い渡されたのは、宣伝部への人事異動だったのだ。
理由は社長が言った通り、他の従業員への配慮と、会社の利益を考えての異動であった。
俺と楓さんは一旦自分の部署のデスクに戻り、異動の準備を行っている。
四年使っていた自分のデスクと別れとなると、なんだか急に寂しい感情に襲われてしまった。
(懐かしいな~、これ入社当時に貰った資料だ)
デスクを片付けていると、四年間分の資料が出てきて懐かしんでしまう。
ずっとこのデスクで働くと思っていたのだが、まさか別れるとは思いもしなかったな。
昼前に一通り片付けを済ませ休憩していると、上司の倉島さんに声をかけられ、休憩室で話をしていた。
彼はポケットからタバコを取り出し、カチカチっとライターで火をつけると、すぅ~と吸って煙を吐いた。
「君には助けられていたのだがな。真面目だし、こちらの厳しい要望にも応えてくれていたし、残業もやってくれた」
厳しい要望を押し付けていた自覚はあったのね。
でもまあ今となっては、そのお蔭で技術とか忍耐力とかついた気がするけど。
「俺の方こそ、倉島さんには凄くお世話になりました」
本当に、この人には色んなことを教わった。
社会人としての常識や、仕事のこと、時には理不尽なこともやらされたりしたけど、思い返してみればタメになるようなことばかり教えて貰ったような気がする。
当時は嫌な上司としか思っていなかったけど、いざ別れるとなったらそれも思い出の一部なんだと思った。
それと、なんとなくだけど気にかけてくれていた気がする。
部内で孤立していた俺に、倉島さんは良くも悪くも声をかけ続けてくれたんだ。
「まあ、部署が変わっても全く顔を合わせないという事はないんだ。なにか困ったことがあったら、気軽に相談してくるといい。それでどうにかなるわけではないけどな」
「はい、その時はよろしくお願いします」
倉島さんと軽く話をした後、最後に同じ部署の社員たちにもお世話になりましたと挨拶をして、俺は荷物を持って宣伝部に向かった。
◇◆◇
「製造部の許斐です、今日からよろしくお願いします」
「販売部の五十嵐です、今日からよろしくお願いします」
午後、宣伝部に異動してきた俺と五十嵐さんは、宣伝部の社員たちに向けて挨拶をしていた。
二人の挨拶が終わると、社員たちが一斉に大きな拍手で迎え入れてくれる。
先頭にいる五十代の優し気な初老の男性が、にこやかに口を開いた。
「宣伝部部長の
「はぁ……」
「社長から話は伺っている。今日は君たちが使うデスクを案内するから、自分の使いやすいように整理をしてくれてかまわない。仕事については来週から教えていこう」
「「はい、よろしくお願いします」」
部長って聞いて緊張したけど、日下部さんはほっこりするような雰囲気があるな。
背も小さくて小太りな感じで、体育会系の倉島さんとは正反対のような人だ。
他の社員も嫌な顔はしていないし、これなら宣伝部でもやっていけそうだ。
そんな風に胸中で安堵のため息を吐いていると、日下部部長は「それから……」と続けて、
「二人以外にも、今日付けで宣伝部に配属された者がいるんだ。入ってきてくれ」
(えっ? 俺と楓さん以外にも宣伝部に配属?)
二人同時に移動だけでもあまり無く珍しいのに、他にもまだいるのかと驚いていると、ドアが開かれて一人の女性が入ってきた。
「ハ~イ! ワタシ、エマ・スミスって言いまーす! みなさん今日からよろしくオネガイシマース!」
元気に挨拶をしてきたのは、グラマラスな金髪欧米人女性だった。
さらりと靡く金の長髪に、澄んだオーシャンブルーの瞳。目鼻立ちがクッキリした綺麗な顔つきに、ボンキュッボン(死語)な外国人らしいダイナマイトボディ。
胸が大きいのか、スーツの下のワイシャツがはち切れんばかりにパンパンだった。
まさかの外国人女性の登場に誰もが驚いている中、日下部部長がにこやかに説明する。
「彼女はわが社のアメリカ支部の宣伝部にいたんだけど、我が社の社員と一時的に交換出張することになったんだよ」
「ニホンの技術を教えてもらいに来ました! よろしくオネガイシマス!」
「ということで、今日から新しく三人が宣伝部にやってきた。みんなで盛り立てていこうじゃないか」
誰もがシーンと口を閉じている中、スミスさんだけが元気に「オー!」と手を上げていたのだった。
◇◆◇
「士郎さん、あらためてよろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしく頼むよ」
俺のデスクの隣は楓さんだった。
まさか彼女と隣同士で働けるとは思わなくて、なんだか不思議な感じだ。
だけど楓さんは優秀で心強いし、毎日彼女と顔を合わせられると思うと嬉しくなってしまう。
まあ……今までも食堂で一緒にご飯を食べていたんだけどね。
「ハイ! シロー、ヨロシクネ!」
「う、うん。スミスさんもよろしくお願いします」
「ノンノン。スミスはファミリーネームです、エマと呼んでください! それに敬語もいらないです!」
「う、うん。エマもよろしくね」
楓さんと逆のデスクは、交換出張でやってきたエマさんだった。
両隣に美人がいるって、なんだか落ち着かない。
はたから見たら両手に花状態だけど、俺的には少しだけ居心地が悪かった。
まあ、慣れれば平気なんだろうけどさ。
「カエデも、よろしくお願いしますネ!」
「ええ、よろしくお願いします」
明るく挨拶をするエマとは違って、楓さんはドライな対応だ。
まあ元々彼女は最初から他人と仲良くするタイプではないだろうけど。
新しいデスクを整理したりパソコンでチェックをしていると、あっという間に終業時間が訪れた。
帰りの仕度をしていると、隣のエマが声をかけてくる。
「シローにカエデ、これからお食事いかがですか? 今日一緒に移動してきたのもナニかのエンです。友好を深めましょう!」
「申し訳ありませんが、今日は予定が入っているので遠慮します」
「俺も今日はちょっと……ごめんね、また今度」
夕食に誘われた俺と楓さんが断ると、エマは分かりやすく落ち込んでしまう。
「ソウデスカ~ザンネンです。では次はいきましょうね!」
「うん」
俺と楓さんは他の社員たちに挨拶して、一足先に帰宅することに。
因みに楓さんはマスクをしてカツラを被っていて変装をしていた。バレると困るからだそうだ。
俺はメムメムに認識阻害の魔術をかけてもらっているから、変装したりはしていない。
楓さんも明日あたり、メムメムにかけてもらったらいいと思う。
最寄り駅まで一緒に歩いていると、楓さんはなぜか険しい表情を浮かべて忠告してくる。
「士郎さん、エマさんには気をつけてください」
「え……なんで?」
「このタイミングでアメリカからの出張は怪しすぎます。私たちとメムメムさんと関係を持とうとしている政治絡みの匂いがします」
「本当? いくらなんでもそれはないんじゃない? スパイ映画の見すぎだよ」
「別に勘違いならいいんです。士郎さんはとにかく、エマさんに誘惑されても絶対に踏み込まないでください。今日みたいに、彼女の胸を見て鼻の下を伸ばさないでくださいね」
えっ……俺ってそんな顔してたのか?
確かにエマの胸すげーなーって何回か見ちゃったというか、視界に勝手に入ってくるんだから仕方ないじゃないかと心の中で言い訳をしていると、楓さんはこう言ってくる。
「どうせなら、彼女ではなく私だけを見ていてください」
「……ねえ、かなり無理してない? 顔赤いよ」
「――ッ!? もう、茶化さないでください。はぁ……やっぱり私にこういうのは性に合いませんね」
「いやいや、中々可愛いかったよ」
「……本当にあなたって人は……罪な人ですね」
「ん? 何か言った?」
「いえ、なんでもありません」
「そう?」
帰り道で他愛ない話をしながら、俺たちは夜の街を歩いていたのだった。
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