第71話 据え膳食わぬは男の恥

 

 電車を乗り継ぎ、やってきたのは東京タワー付近にあるタワーマンションだった。


 D・Aの事務室とはまた違う場所である。高く聳えたつマンションを呆然と眺めていると、楓さんに催促される。


(まさかここって……! 楓さんの家か!?)


 どこかのバーか居酒屋に連れてかれると思っていたので、突然タワーマンションに連れてこられて驚いてしまう。


 まさかこんな場所に飲食店なんてあるわけないので、考えられるとしたら楓さんの自宅ということだ。


 そう考えると心臓が破裂しそうなくらいドキドキして、混乱しながらエレベーターに乗り込む。グングン上に上がり、ピンポーンという機械音とともにドアが開いた。


 後についていくと、楓さんはカードキーを翳してドアを開けた。


「どうぞ」


「え、あ、お、お邪魔します」


 躊躇しながら、部屋に入る。


 玄関からもう広くて、その先のリビングはさらに広かった。めちゃくちゃデカいテレビに、その周りには多くのゲーム機とソフトが仕舞ってある棚。大きなソファーに、長方形の透明テーブル。部屋の隅にはお掃除ロボットが待機してあった。


 あまり余計なものは買わないタイプなのだろう。

 生活必需品を除けば余計なものはなく、だからか空間が凄く広かった。


 薄々感じてはいたけど、楓さんって凄いセレブなところに住んでるんだな……。


「部屋は片付けましたが、あまりジロジロ見られると流石に恥ずかしいです」


「ごめん、失礼だったね、ちょっと驚いちゃってさ。一応聞くけど、楓さんの家ってここ?」


「はい」


「マジか……こんなタワマンに住んでるんだ。家賃っていくらぐらいなんだろ……」


 つい頭で考えていたことがポロっと出てしまうと、楓さんはなんともないような顔で答えた。


「この部屋は住む時に買いました。因みに〇×万円です」


「買った!? 〇×万円!?」


 驚きのあまり大声を出してしまう。

 月々家賃を払うわけではなく、部屋ごと買ったのか……それも〇×万円で。


 まだ若いのに、なんでそんなお金持ってるんだよ……と呆然としていると、楓さんが説明してくれる。


 大学時代に行きまくっていたダンジョンで稼いだお金が溜まり過ぎて、どうせならと買ってしまったんだとか。他の冒険者と違って豪遊とかしないから、どんどんお金が溜まっていたらしい。


 大学時代の仲間からパーティーを追放され、フリーの間でもかなり稼いでいたそうだ。


「す、凄いね。なんで会社で働いてるの?」


 当然の疑問だ。

 そんなお金があったらわざわざ働かなくても、専業でやっていた方がよくないか?


「ダンジョンは“いつなくなってもおかしくありませんから”。もしそうなった時に困らないように、一般企業で働いていた方がいいと考えたんです」


 なんて堅実な考えなんだろうか……。


 そう言われてみると、確かにダンジョンがこのままずっとあり続ける保証なんてどこにもない。そうなって慌てないようにしっかりと会社員として働くという保険をかけておくのはいい考えだと思った。


 まあそれでも、楓さんなら今の時点で遊んで暮らせる貯蓄はあると思うんだけど。


「ソファーにおかけください。今酒とおつまみを用意しますので」


「手伝おうか?」


「大丈夫です、レンジで温めるだけですから。本当は何か作ろうと思ったのですが、単純に呑みたいなと思いましておつまみを買っておきました。士郎さんはビールでもいいですか?」


「うん、大丈夫」


 言われた通りフカフカのソファーに座って待っていると、楓さんが枝豆や焼き鳥などのおつまみを皿に移しかえてもどんどん持ってくる。


 最後にビールの六缶セットを持ってくると、俺の隣に一人分開けて座った。ビールを渡されると、カシュっとプルタブを開ける。


 俺たちはビールをコツンとぶつけると、


「「乾杯」」


 と言って、同時にビールに口をつけた。


 ゴク、ゴク、ゴク。

一度に半分くらい飲む。喉が焼け、五臓六腑が染み渡る。


「「かーーーーー!!」」


 ビールを飲んだ後って、こんな声を出しちゃうよね。おっさん臭いけどやめられない。


「久しぶりに飲むと美味しいね」


「私は毎日飲んでいますが、毎日飲んでも美味しいです。おつまみもどんどん食べてください」


「ありがとう」


 催促されたので、枝豆や焼き鳥や豆腐などをパクパク食べる。おつまみ料理って、なんでこんなにビールに合うんだろうな。どっちも止まらなくなってしまう。


「それでなんですけど、灯里さんの件を聞いてもいいですか?」


「ああうん、そうだね」


 そう尋ねられたので、俺は昨日のことを話しだす。


 D・Aのマネージャーに連れられ、タワーマンション内にあるD・Aの事務所に連れていかれたこと。

 そこには何故かD・Aのメンバーであるカノンがいたこと。


 灯里が超好条件でD・Aにスカウトされたこと。

 そのスカウトを、灯里が断ったことなどだ。

 大体の内容をかいつまんで説明すると、楓さんは「そうだったんですね……」と呟いて、


「D・Aのマネージャーと聞いた時は灯里さんがスカウトされると思いましたが、やはりそうだったんですね。灯里さんは私から見ても天使と思うくらい輝いていて可愛いですから。でも灯里さん、よくその条件を蹴りましたね。普通の女の子なら絶対に断りませんよ」


「俺もそう思ったんだけどね……俺たちと別れたくない、一緒に冒険がしたいんだってさ」


「そう言ってくれると凄く嬉しいです。ですが、なんとなく灯里さんならそう言うと思ってました」


「俺も、なんとなく思ってたよ」


「でもそれは、本当に私“たち”と別れたくないからなのでしょうか?」


 ――どういうこと?


 しらばっくれながらそう問うと、彼女は強い眼差しで俺を見据えて唇を開く。


「本当は、“士郎さん”と離れたくなかったんじゃないですか?」


「……」


 俺は無言を貫いた。

 そんなことを聞かれたって、どう答えればいいのか分からなかったからだ。すると、楓さんは小さなため息をつきながら、


「灯里さんが羨ましいです。自分の気持ちに素直になれて……。私も少し、素直になってみてもいいですか」


「えっ?」


 そう言うと、楓さんが突然ワイシャツのボタンを外していく。


 その瞬間、黒のブラジャーに包まれた形のいい胸があらわになった。彼女の奇行に驚いて目を見開いていると、立ち上がってこちらに近づいてきた。


「えっちょっ何して!?」


 混乱していると、楓さんはトンと俺の身体を押してくる。

 身体はソファーに倒れ、腰の上に楓さんが乗っかってきた。


 馬乗りの状態だ。十八禁風に例えると騎〇位だ。

 視界に映る胸を見ないように、楓さんの顔を見上げながら尋ねる。


「じょ、冗談だよね?」


「冗談で私がこういうことをすると思いますか?」


 そう告げる彼女は、眼鏡を外してテーブルに置いた。


(可愛い……)


 眼鏡を外した楓さんの顔を見たことがなかった俺は、この状況で呑気に見惚れてしまった。


 とんっと、彼女の両手が俺の頭の両サイドに置かれる。艶やかな黒髪が俺の首筋にかかる。楓さんの美しい顔が、すぐ目の前にあった。


 これ……やばくないか?

 完全にソノ雰囲気だよな?

 セッ〇スする流れだよな?


 やばいと感じた俺は、緊張で閉ざされていた口をこじ開けた。


「やめようよ」


「ここまでした女に恥をかかせる気ですか?」


「うっ……」


 楓さんは一瞬で敗北した俺の右手を取り、自分の左胸に持っていく。

 手のひらが、ふにょんとした柔らかい感触に包まれる。


「――ッ!?」


「どうですか? 灯里さんほど大きくはないですが、私も実はそこそこあるんですよ」


 楓さんの胸は思ってたよりも大きかった。

 普段はスーツや鎧に包まれていて、どちらかというとスレンダーな体系だと思っていたが、普通にDカップぐらいはあると思う。Dカップがどれくらいの大きさなのかはよく分かってないけど。


 されるがままになっていると、楓さんの身体がしだれかかってくる。

 そのまま抱き付かれ、彼女が俺の耳を甘くかじってきた。


(――っ!?)


 その瞬間、全身に言い知れぬ快感が襲ってくる。身体中の血管が沸騰し、ズボンが苦しいほど下半身が固くなった。


 酔いも合わさり、思考がぐちゃぐちゃになっていく。楓さんはそのまま俺の首筋に唇を落として軽く吸うと、顔を上げた。


「「はぁ……はぁ……」」


 俺と彼女の瞳が重なる。お互いの吐息が肌に伝わる。

 俺達は間違いなく、これ以上ないくらい興奮していた。


「抵抗しないんですか?」


「……」


「それなら私は、遠慮はしませんよ」


 艶やかな声音でそう告げると、彼女は顔を近づけてくる。


 そして、俺と楓さんの唇が重なろうとした――寸前。


 突然俺の頭に、灯里の顔が浮かんできた。


「――っ!!」


 俺は楓さんの両肩をぐっと掴み、遠くに離した。

 その瞬間、彼女は切な気な表情を浮かべる。そんな顔をさせてしまったのは、俺のせいだった。


 俺は彼女の瞳を真っすぐ見ながら、一言だけ、かすれるような声音で告げる。


「ごめん」


「……据え膳食わぬは男の恥という言葉を知りませんか?」


「……ここで君を抱かないのは男としてチキン野郎だ。けど俺は、それでも君を抱けない」


「灯里さんですか?」


「……」


 その問いに無言で答えると、彼女は起き上がってため息を吐く。


「私が卑怯でした。お酒の力を使って士郎さんを襲ったんですから。折角の楽しい呑み会を台無しにしてしまいましたね。今日のことは忘れてください」


 いつものように平然とした態度で、だけど悲しい顔をしている楓さんに居ても立っても居られず、俺は彼女の腕を強く引いた。


「きゃっ!?」


 女の子らしく可愛い声を上げる楓さんと位置を交換して、今度は俺が馬乗りになる。

 驚いて目を見開いている彼女に、俺は自分の気持ちを伝えた。


「楓さんの気持ちに、今は応えられない。だけど俺も楓さんのことは好きだから、今日はこれで許して欲しい」


 俺は彼女の前髪をかき分け、額にキスをする。

 すると楓さんは、金魚のように口をパクパクさせていた。何か言いたいけど、言葉が出てこないのだろう。


 俺はソファーからゆっくり立ち上がり、呆然としている楓さんにこう言った。


「今日は帰るよ。呑み会楽しかった、またやろう」


 そう告げて、会社の鞄を持って部屋を出る。これ以上ここに居たら、今度こそ間違いを起こしてしまうかと思ったからだ。


 ガチャリとドアが閉まると、俺はドアに背中を預け、天を仰いだ。


「はぁ……俺って、クズだな」

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