第70話 楓の誘い
「ねえあの二人って……」
「いつもいるよね。やっぱり付き合ってるのかな」
「あのクールな五十嵐さんがあんな風になるなんて思わないよね~」
「許斐さんも会社では地味めだけど、動画の中ではイケてるよね」
食堂で楓さんと一緒にお昼ご飯を食べていると、周りにいる同僚――主に女性社員――が、こちらをチラチラ見ながら小声で話をしている。
喋るオーガで有名になってから誰かの視線が付きまとうようになったが、ここ最近さらに注目されている気がする。
俺は落ち着かずそわそわしているけど、目の前にいる楓さんはどうでもいいと言わんばかりにうどんを啜っていた。
「気になりますか?」
「うん……まあね。楓さんは気にしないの?」
「慣れましたね。私の場合は男性社員からのエロい目線が多かったです。その中にはドヤ顔で『お前Mなんだろ? 俺がイジメてやろうか?』と誘ってくる勘違いな馬鹿も多かったです。全てあしらいましたけど」
「うわぁ……」
それを聞いて同情してしまう。
楓さんは入社当時から男性社員に人気だったもんな。そんなクール美人な彼女が、ダンジョンではモンスターに攻撃されて恍惚な笑みを喜んでいる。
それを見た社員が、“本当のお前を知っているのは俺だけだ”とか言って迫ってきたのかもしれない。
まあ確かに、楓さんの二面性を知ってしまったら誘いたくなるのかもな。
自分で言うのもなんだけど俺は草食系だからそういうことは考えないが、肉食系の男性から見たらワンチャンいけんじゃね? と期待してしまうのだろう。
「まあ最近は、そういうのもないですけど。それもこれも、士郎さんと付き合っているという噂が流れているからなんですけどね。士郎さんには感謝しています」
「え……いつの間にそんな噂流れてたの。えっと、楓さんはなんて答えてるんだ?」
軽い気持ちでそう問いかけると、彼女は口角を僅かに上げて、
「士郎さん的には、どう答えて欲しいんですか?」
「え……」
「ふふ、士郎さんをからかうのは面白いですね。私はプライベートなのでノーコメントでと答えています」
「そ……そうなんだ」
ってあれ? それって結局答えを濁してないか?
まあいいか、それで楓さんへの変なアプローチがなくなるのなら、彼女の好きにさせてあげよう。
(とか言って、誰かが楓さんにアプローチするのを俺が嫌なだけかもしれないけど……)
彼女とは別に付き合っているわけではないけど、男性から誘われていると聞いて少し嫉妬してしまった。
楓さんの気持ちをないがしろにしている俺に嫉妬する資格なんてないんだけどな。
「ところで、士郎さんは今日予定がありますか?」
「いや、何もないよ。普通に帰るだけかな」
「それなら、仕事終わりに呑みませんか。昨日の件も気になりますし、久しぶりに士郎さんと呑みたいなと思いまして。灯里さんの許可は取ってあります」
「そうなの? まあ、俺はいいけど」
急だな……っていうか、わざわざ灯里に許可を取ったのか。
俺も一応灯里に連絡しておこう。料理とか作ってもらってちゃ悪いしな。
楓さんはにこやかに微笑むと、最後にこう言った。
「では、仕事が終わりましたら連絡してください」
「分かった」
こうして俺は、急遽楓さんと呑みに行くことになったのだった。
◇◆◇
「すみません、お待たせしました」
「大丈夫、全然待ってないよ」
社内の休憩室でダンジョンライブを見ていると、慌てた様子で入ってきた楓さんが謝ってくる。俺の方が先に仕事が終わってしまい、彼女の方が長引いてしまったのだ。
――行こうか。
――はい。
そんなやり取りをして、俺たちは会社を出る。
どこで呑むのかと尋ねたら、内緒ですと言われてしまった。表情は変わっていないけど、どことなく楽しみにしている声音。
歩道を並んで歩いている時、ふと思ったことを口にする。
「そういえばさ、会社から出てスーツを着たまま誰かと呑みに行くなんて初めてだよ」
「そうなんですか?」
「まあね。俺って元々暗かったし、とくに誘われたこととかなかったな。楓さんは?」
「私は男性社員からしつこく誘われていましたね。全て断っていましたが。ただその所為で、女性社員からもお高くとまってると思われてしまい、誘われることがなかったです」
「うわぁ……やっぱりそういうのあるんだ」
女性社員の中でも裏ではそういうのがあるんだと知ってヒいていると、楓さんは「何を言ってるんですか」と呆れた風に続けて、
「女性社員こそ常に周りを気にしていますよ。派閥同士で陰口の言いあいがデフォルトです」
「こわぁ……」
「そういうことで、会社終わりに誰かと出かけるのは私も初めてです。お互い初めて同士ですね、士郎さん」
(うっ……可愛い)
笑顔を向けながらそう言ってくる楓さんにキュンとしてしまう。
絶対今の言い方は確信犯だよな。男が言われて嬉しいツボを熟知してるわ。まあ、それがわかってても引っかかるのが童貞の
何も言い返せないでいると、楓さんはふふっと微笑み前を向く。
なんだか既に彼女の手のひらで転ばされているような気がした。
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