第1話出会い
「すまん許斐君、これもやっておいてくれないか」
「えっ、自分ですか……?」
「今日は家族に残業せず早めに帰るって言ってしまってな。悪いが頼んだよ」
「はぁ……分かりました」
上司は俺のデスクに書類を置くと、肩をパンっと叩いて自分の席に戻り、帰り支度を始めてしまった。書類を手に取り、パラパラと中身を確認する。
(うわぁ、これ結構時間かかる奴だ)
作業自体はそれ程難しくないが、データに打ち込む量が兎に角多い。突然追加された仕事によって、今日も残業が確定しまった。自分の仕事が順調で早く帰れそうなだけに、心の中で深いため息を吐く。
お先に失礼するよ。そう言って、みんながまだ仕事に取り組んでいるのにもかかわらず、上司は一人足早に帰ってしまった。
「倉島さん、まーた許斐に仕事押し付けて先帰りやがったぜ」
「あいつもイエスマンだよな。たまには断ればいいのに」
「ないない。だってあの人、“あっはい”とか“そうですか”とかしか喋らないもん。ロボットかって。マジ暗いよねー」
「何が楽しくて生きてるんだろ?」
「知らねーよ。アニメとか見てんじゃねーの」
上司が帰った途端、同僚達は陰でこそこそ愚痴をこぼす。そういうのはせめて、本人に聞こえない声量で喋ってほしい。まぁ彼等は、俺に嫌われたって構わないと思ってるから、聞こえるように話しているんだろうけど。
手元にある缶コーヒーを手に取り、口につける。中身は空で一滴垂れただけだった。
完全にゴミになった缶コーヒーを持ち立ち上がる。事務所から出て休憩室に入ると、自動販売機の隣にあるゴミ箱に空になった缶コーヒーを強めに入れた。
ポケットからスマホを取り出し、電子マネーで同じ缶コーヒーを買う。勿論ブラックだ。
がこんっと、落ちてきた缶コーヒーを取り出し、プルタブをかきゅっと開ける。
口につけて今度こそゴクリと飲むと、苦いけどコクがある風味が口一杯に広がった。
「ふぅー」
椅子に腰かけて、身体を背もたれに預ける。染み一つ白い天井を眺めながら瞼を閉じた。
俺の名前は
地元にいたくなくて、大学卒業すると逃げるように上京。バイトをしたことがなかった俺は、働くことが初めてで、何をするのも大変だった。
上司との縦社会、同僚との人間関係、慣れない仕事。どれもが大変で、初めの頃は何度辞めようと思ったか分からない。だけど折角入った優良会社だったし、仕事を辞めた未来を想像できなかった俺は、なんとか踏み留まった。
入社してから四年。仕事の方は慣れたが、人間関係は改善できなかった。元々コミュニケーション能力が不足している俺は、同僚と仲良くやるといったことが出来ない。他人に興味がないことも合わさって、最低限の仕事の内容しか話さなかった。
その結果、俺は部内一根暗で、上司にこき使われているイエスマンという評価が下されていた。何一つ間違っていないので、否定しようがない。
「なんだか……なぁ」
独りごちる。
食って寝て、仕事に忙殺される毎日。彼女もいなければ友達もいない。何一つ面白い味がない男だと自分でも思う。かといって彼女を作ろうとも全く思わないし、趣味を見つける気力も湧かない。現状に不満を抱きつつ、現状に満足している。
「……やりますか」
いつまでもダラダラとしていられない。早く終わらさないと、深夜に突入してしまう。
飲み干したコーヒーをゴミ箱に入れ、自動販売機で同じ物を購入する。缶コーヒーをデスクに置いた俺は、上司に押し付けられた仕事に取り掛かった。
◇◆◇
ガタンゴトン。
十時にもなるのに電車の席は満席で、俺はつり革に掴まり立っていた。みんな、俺のように残業してきたのだろうか。ほんの少しの親近感を抱きながら、手に持っているスマホに視線を落とす。
スマホの画面には、四人の冒険者が怪物と戦っている映像が流れている。
かっこいい武器で肉を裂き、ド派手な魔法が炸裂した。そこには、ファンタジー世界のバトルが繰り広げられている。
しかしこの映像は、ゲームでもアニメでもない。
“たった今、現実に起きていることだった”。
電車の窓から見える東京タワー。
スカイツリーが出来るまでは日本で一番高い塔の中で、彼等は剣と魔法を駆使して化物と戦っているのだ。
三年前の、2022年。
世界中のあらゆる塔は、ダンジョンへと変貌した。
アメリカのワシントン記念塔。中国の東方明珠塔、フランスのエッフェル塔、ロンドンのビッグベン、日本の東京タワー。
世界各国の塔が突然に、唐突に、なんの前触れもなく、ゲームやアニメで出てくるようなダンジョンに変貌した。
そのことに世界は震撼する。一体何が起きたのだと混乱した。
初めの一年は、各国の自衛隊や軍隊が塔に入って情報を入手するのに躍起になった。
その結果、色々調べて分かったのは塔の外見は全く変わっていないこと。しかし
ダンジョンには上に進むことが出来て、終わりが見えないこと。
倒したモンスターから、剣や鎧などの武具、または未発見物質がドロップすること。
未発見物質は魔石と呼称されることになり、一つだけで凄まじい電気エネルギーを保有していることが分かり革命が起きたこと。
魔石の確保に、各国は“冒険者”という職業を作り、一般人でもダンジョンに入れるようにしたこと。日本もダンジョン省を新たに創設し、一年後には一般人でも入れるようになった。
ダンジョンが出現してから、世界は慌ただしくなった。
たが、慌ただしくなったのはダンジョン関係者だけではない。
ダンジョンが出現して変わったのは、ただの一般人も同じだ。
その理由は、俺が今見ている映像にある。
世界一の動画配信サイトYouTube。
そのYouTubeで、ダンジョンの映像がリアルライブで視聴出来るのだ。
さらには、“ダンジョンに入っている全ての人間を見ることが出来る”。
例えば「日本 ダンジョン」と検索すると、東京タワーでダンジョンに潜っている人達が検索欄にずらーと出てくる。もっと詳しく見たければ「名前 ダンジョン」と検索すれば本人のライブを視聴することが出来るのだ。
一体誰が、どうやってYouTubeの動画をアップしているのかは不明だ。
投稿者の名前はなく、勝手にアップされ続ける。YouTube本社は動画を消そうとしたが、出来なかったようだ。噂ではYouTubeのサイト自体を封鎖しようとしたが、それも不可能だったらしい。なんらかの超常的な現象が起きていることは、疑いようもなかった。
世界中の人達は、興奮に沸いた。
そりゃそうだろう。本物の人間が、美しい幻想世界で見たことないモンスターと激しい戦闘を繰り広げている映像をリアルタイムで視聴できるのだから。見るなというのが無理な話だ。
そんな俺も、こうして暇があればダンジョンライブを見ている。
最早、ダンジョンライブを見ることが唯一の趣味といっても過言ではないだろう。
ダンジョンが出現してから三年が経った今でも熱は冷めず、世界中でダンジョンブームが巻き起こっている。
――自分でダンジョンに入ろうとは思わなかったのか?
確かに、入りたいと思ったことがないと言えば嘘になる。
だけど、凶悪なモンスターと戦うのは恐いし、未知の世界に入っていく勇気は出てこない。
こうして、他人の冒険をスマホの画面から見ているだけで、十分満足だったのだ。
◇◆◇
最寄り駅を下り、家賃八万円のアパートに帰宅する。
階段を上がって廊下を歩くと、違和感に気付いた。
(えっ誰……子供?)
俺の部屋のドアの前で、帽子を深めにかぶり大きなリュックサックを背負った子供が、地べたに体育座りをしている。
誰?何で俺の部屋の前にいるんだ?
疑問と恐怖を抱きつつ、恐る恐る近づいてみる。足音にも反応せず固まったままなので、もしかしたら寝ているのかもしれない。
四月に入って暖かくなってきたといっても、夜はまだまだ寒い。こんなところで寝ていたら風を引いてしまう。というか俺が部屋に入れない。なので肩を揺すり、声をかけた。
「ねえ君、大丈夫?」
「う……うぅん」
起きた子供は目をこする。意識がはっきりしてきたのか、俺を見た瞬間にはっとして立ち上がった。
「あの、もしかして許斐史郎さんですか!?」
「あ……ああ、そうだけど」
何で俺の名前を知っているんだろう。こんな子供、知り合いにいただろうか?
首を傾げていると、子供――いや少女は、突然こんな事を言ってきたのだった。
「お願いがあります、私とダンジョンに行ってください!」
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