第29話
閉鎖されたカフェテリア。暗く人気の無い店内を、窓越しにリザリーは見つめる。
つい半年前まで、ここは愛想のいいオーナーが切り盛りする中央区でも人気の高い場所だった。
数多のファンを作った名物サンドイッチは、もう二度と誰かの舌を楽しませることはない。
静まり返っている店内かは当時の活気を想像することも出来ず、リザリーは何ともいえない気持ちになった。
「おおい、リザリー」
しばらく佇んでいると、にわかに背後から清廉な声が己を呼ぶ。
憂鬱な思考の海を漂っていたリザリーは、はっと我に返り振り返った。
そこにいたのは、想像通り本日の待ち合わせの相手である。
騎士団の制服を着こんだ金髪の青年……エルンスト・ローゼンがこちらに向かって手を振っている。
リザリーも手を振り返し、道を歩いてくる彼に駆け寄った。
「すまないな、待ったか?」
「ううん、私も今来たところ。エルンスト、足はもういいの?」
ここ数か月、お互いに忙しく会うことも出来なかったために、後輩と先輩は久しぶりの邂逅となっている。
最後に会った時、彼はまだ杖をついて歩いていたようだが、今はすっかり健康体のようだ。
「おかげさまでね。入院中にも書類仕事が回ってきたくらいだ」
「……それは、お疲れ様だね」
ようやく騎士団も慌ただしくなくなってきたとぼやく彼に、リザリーは苦笑する。
数か月前首都クルツを騒がせた『ミモザ・マーティン誘拐殺害事件』は、数多の方面に多大な余波を与えていた。
新聞社に勤めていたリザリーも、その忙しさに揉まれた一員である。
当時は本当に休む暇も無かったが、おかげで酷く落ち込むこともなかったから結果的には良かったのかもしれない。
時間が経ったおかげかあの事件を……ミモザ・マーティンの死のことを、ようやく受け止められるようになってきていた。
エルンストとともに中央区の道を歩きながら、リザリーはミモザの最後の様子を思い返していた。
「ミモザさんにまだファンからお悔やみの手紙が届いているみたい。本当に人気の人だったんだね」
「ああ。……彼らのためにも、守ってあげたかった」
「……うん」
低く呟くエルンストの青い瞳には哀しみが濃く浮かんでおり、リザリーは静かに頷く。
しばらく二人はそのまま、無言で歩道を歩き続けた。
受け止められるようになったとはいえ、ミモザ・マーティンのことは深く記憶に刻まれたままだ。
自分も、彼も、そしてカトレアも、力不足を嘆く日々は恐らくまだ続くのだろう。
やがてたどり着いたのは、騎士団近くの交差点。
空気を切り替えるように口を開いたのは、リザリーが先だった。
「バートン編集長は、今日付けで新聞社を辞めたよ」
静かに告げるリザリーに、エルンストは「そうか」と小さく頷いた。
自らをこの世界の『作者』と名乗った男、ロジャー・バートン。
一応事件の関係者として騎士団で取り調べは受けたが、そのほとんどが調書に残していいか疑問の残るものだったという。
彼の言い分のほとんどが夢物語のようだし、妄言と捉えられてもおかしくない。
エルンストやカトレアはもちろん、リザリーもいまだバートンの『異世界転生』の話を信じ切れていなかった。
しかし彼は騎士団しか知らないはずの事件の情報を持っていたり、逮捕されたクララ・クリスも同じようなことを証言したので、嘘とも言い切れないのが現状である。
「……前世や転生、創作物の中に人の魂が入ってくるなんてこと、本当にあるのかな?」
「さてな。それを確かめる術は僕たちにはないからね」
「まだ、私たちの『物語』を読んでいる人が、どこかにいるのかな?」
言いながらリザリーはふと上空を見上げる。
首都クルツの晴天の空はいつもと何も変わらず、温かく自分たちを見下ろしていてくれる。
───しかしこの空の向こうに、世界を超えた第三者の目があるとしたら……。
ぞくりと背筋が震えてしまい、慌てて視線を大地へと戻した。
今までこんなことを考えることは無かった。
転生者と名乗るあの二人の言葉は、何よりも己の心に傷を残したのかもしれない。
顔を青くしたリザリーを見つめ、エルンストはふっと息を吐いて歩調を速くした。
「考えるなリザリー。考えても仕方のないことだ」
「うん……」
「物語であろうとなかろうと、僕たちは自分たちに出来ることをする。やるべきことを成すだけだ」
その口調は嫌にきっぱりとしており、仰ぎ見る横顔は僅かに強張っている。
もしかして彼自身も恐怖をぬぐい捨てているのかもしれないとリザリーは思った。
確かに『転生』『前世』『物語』。
今までの自分の基盤が覆りそうな、考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうな話ばかりだった。
(……でも、それでも)
───出来ることをする。やるべきことを成す。
確かに彼の言う通り。己に出来ることはそれだけだ。
そしてそのために頼れる人たちも、そばにいる。
リザリーは深く頷き、先を歩く彼の隣に並んだ。
「そうだね、やるべきことをやろう。それしかない。そのために私も頑張ったんだから」
「ああ、そうだったな。……リザリー」
言って、エルンストがこちらを振り返る。
彼の瞳は細められ、先ほどまでの暗い雰囲気が嘘のような笑顔を浮かべていた。
「騎士団試験突破、おめでとう。君のことが本当に誇らしい」
告げられたその言葉は、心からの賛辞である。
ここ数か月間忙しかったのは事件のこともあるが、何より新聞社に辞表を出し、再び騎士団試験を受けていたからだった。
そして結果はエルンストの言った通り。
何よりも尊敬する先輩からの言葉に、リザリーは破顔する。
「ありがとう。またエルンストたちの後輩になるね」
「ああ、よろしく頼むよ。さて、そろそろカトレアが首を長くして待っている頃だろう。急ぐか」
「そうだね、怒られちゃう」
彼の言葉に、ようやく軽やかな気分になれたような気がして、リザリーは歩き出す。
これから尊敬する彼らとともに憧れの職へ付けることが、本当に楽しみだった。
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