第28話
エルンスト・ローゼンの生還。
それはリザリー・クラントンの思いつきと、自分自身の持つ運と、奇跡が上手くかみ合ったことで引き起こされた。
炎が次第に強くなる中、リザリーはぐっと顔を引き締めると抱えていた少年を一度床に下ろした。
そして衣装ダンスの下敷きになっていたエルンストの足を、勢いよく引きずりだす。
強く痛みが走って僅かに顔を歪めたが、「リザリー、逃げろ……!」と再度彼女に忠告した。
が、リザリーは構うことなく、周りに散らばっていた服をかき集め、袖と袖を結び始める。
「エルンストも手伝って!服を結んで縄替わりにするの!」
「何だって!?」
訝し気な顔をしてエルンストは、彼女の手元とまだ炎に包まれていない窓とを交互に見つめる。
リザリーが何をしようとしているのか理解してしまい、つい眉間にしわが寄る。
「これを命綱にして、窓から下に降りるつもりか?」
「私たちは階段を降りていく。窓から逃げるのはエルンストだよ」
「いや、しかし……」
無謀だ。と胸中で呟き、リザリーを見る。
部屋の主は衣装持ちでこだわりがあったのか、数は豊富で生地も丈夫だ。ロープにするには十分だろう。
だが炎は今まさに部屋を包み込まんとしている。
気を失った少年も早く医者に見せなければならない。リザリー自身も、これ以上ここにいては命に係わる。
エルンストは彼女の顔を覗きこみ、子供を諭すように優しく告げた。
「リザリー、もういいんだ。僕はもういいから、君は……」
「諦めないで……!」
炎が燃え盛る音にも負けないほど声を張り上げ、リザリーは叫んだ。
目に薄っすらと涙が浮かんでいたが、それは決して煙のせいではないだろう。
絶対に零れ落ちないように力を込めるように、リザリーは服を固く結び付けていく。
「諦めないでよ!難事件を解決してきたエルンスト・ローゼンでしょ!可能性があるならせめてあがいてよ!私の前でもう誰も死なないで!!」
後半はもはや子供の駄々のようだった。
生還率を考えるなら、少年を抱えて二人でアパートメントを飛び出していった方がいいことは、彼女自身も理解しているはず。
しかし可愛らしい後輩だと思っていた彼女の真摯な叫びに、エルンストの胸がざわめく。
巻きあがる炎に照らされる勇敢なリザリーの横顔をしばらく見つめていた彼は、やがてぐっと奥歯を噛み締めた。
「まったく、情けない。後輩に喝を入れられるとは……」
「エルンスト?」
「リザリー。後は任せろ。僕もすぐに降りていく。結びつけるなら僕の方が力が強い」
そう告げた己に、リザリーの瞳が不安げに揺れる。
恐らく自分が彼女らを助けるために、嘘を言っているのだと考えたに違いない。
しかしエルンストは、ここでリザリーたちのために命を捨てる気はなかった。
むしろその逆で、思ってくれた彼女のために何としても生きてここを出なければとすら考えていた。
真っ直ぐにリザリーを見つめ、いつもの大胆不敵なエルンスト・ローゼンの笑顔で微笑む。
「必ず、生きて出る」そう言った己に、後輩はようやく安心したようだった。
その後エルンストはリザリーが少年とともに外へ駆けて行くのを見送りながら、素早く服のロープを完成させた。
一番丈夫で大きいコートに体を結び、ロープの端はまだ燃えていない鉄の窓枠へと強く縛り付ける。
片足で移動するのには骨が折れたが、己を信じてくれるリザリーを思うと苦痛では無かった。
アパートメントが完全に燃え尽き崩れ落ちる前に地面に降りれたのは、本当に奇跡であった。
───その時のことを思い返しながら、エルンストはクララ・クリスを睨みつける。
「本当にリザリーには感謝しているよ。そして、貴女はそのリザリーを侮り過ぎた」
クララの顔が、さらに青くなる。
憎しみのこもった目がリザリーからエルンストに向いた。
「……この病院に|この女(カトレア)が警備についたのも、僕をおびき寄せるため?」
「そうだ。貴女は僕が死んだと考えていたからね。敵はカトレア一人だと油断していると思ったよ」
全てはエルンストとリザリーの考えていた通りになった。
カトレアには無理して囮になることはないと忠告したのだが、彼女は「二人が体を張ったのだから」と安全圏にいることを望まなかったのである。
だがクララが何処から入り込むかは読めなかったため、危ない目には合わせてしまった。
が、どうやらカトレアは気にしていないようで、リザリーに手を貸されて立ち上がる。
「貴女が襲った二人の騎士団も、今緊急手術を受けています。傷は深いですが、命に別状はないと言われています」
「……っ」
「クララさん、貴女の計画は失敗したんです」
リザリーにきっぱりと事実を突きつけられ、クララ・クリスの顔は酷く歪んだ。
しばらく彼女は震えて一同を見回していたが、やがてがくり、とその細い方が力を無くす。
諦めたのか。
カトレアと視線を交わし合ったあと、そっとクララに近づき、その肩に手を置いた。
「クララ・クリス。ジョナス・クリーバリー殺害及び、アルヴィン・ダンへの傷害。ミモザ・マーティン誘拐における容疑者として、騎士団本部までご同行願おう」
そう告げたエルンストに、クララは抵抗する様子は無かった。
無言のまま俯き、そのまま動こうとはしない。
彼女を促し、歩き出そうとしたエルンストだったが、ふと違和感を感じて立ち止まる。
下を向いたクララはじっと地面を見つめているのかと思ったが、違う。
顔は下を向いたまま、視線はじっと前を───屋上の端に取り付けられているフェンスの向こうの夜景を見据えている。
嫌な予感がしてエルンストがその肩を強く掴もうとした、刹那……!
クララ・クリスはその手を振り払って走り出した。
「あっ!」
「待て……!」
怪我をしているエルンスト、満身創痍のカトレアの手を、クララはするりと抜けていく。
彼女が目指す先は、間違いなくフェンスのある縁。
飛び降りる気だと察したエルンストは、杖をつきながらクララの背中を追いかけた。
「この物語が駄目ならば、次に!次に生まれ変わったときにはミモザを『ローゼンナイト』のヒロインにしてみせる!!」
叫ぶクララの、言葉の意味を理解していたものは三人の中にはいなかっただろう。
わからずとも必死で手を伸ばすが、甲高く哄笑をあげる彼女の背に追いつけない。
クララは喜悦に染まった目でこちらを見つめた。
勝利を確信した笑顔のまま、勢いよくフェンスに乗り掛かりその身を空へと躍らせ、落下していく。
───はずだった。
「させないっ!!」
張り詰めた声とともに伸ばした手が、ふわりと落ちて行こうとしたクララの手を引っ掴む。
それはエルンストではない。カトレアではない。
自己満足でしかないクララの死を阻止したのは、騎士団よりもずっと華奢で細い腕。
この事件で彼女に傷つけられたはずのリザリー・クラントンが、必死の形相でクララを支えていた。
「離せ!端役!!モブのくせに、モブのくせに……!!」
恨めし気な顔で身をよじらせるクララ。
ずるり、と僅かにその体が下にずり落ちるが、リザリーは歯を食いしばって耐えている。
「馬鹿にしないで!端役だって人の命くらい助けられるの!絶対に、貴女の思い通りになんて、動くもんか!」
遅れて走り寄ったエルンストとカトレアもリザリーの体を支え、クララ・クリスを引き上げる。
女生徒はいえ宙づりの人間を持ち上げるのは重労働で、一同は大きく肩で息をしていた。
カトレアが心から呆れた様子で、自殺が失敗に終わり、地面にへたり込むクララを見つめている。
「貴女、最後まで迷惑をかけてくれるわね」
「黙れ売女が!!お前が出しゃばらなければミモザはもっと出番が増えて……!エルンストと結ばれたんだ!!」
「相変わらず何を言っているかわからないわ。ミモザさんとエルンストをくっつけたかったの?」
訝し気にカトレアはクララを見て、こちらに視線を投げかけた。
ミモザ・マーティンとは読者と作者の関係でしかなかったエルンストは、肩を竦めて首を横に振る。
クララ・クリスの中では、いったいどんな『物語』が組み立てられるはずだったのだろう。
その疑問が解決することは恐らくないとエルンストが考えていると、いまだ怖い顔をするクララの前にリザリーが立った。
「クララさん、貴女の『物語』はもう終わりです。この世界のどこにも、貴女に自由にできる『キャラクター』なんていなかったんです」
非常に静かな声で、後輩は告げる。
クララはぎろりとリザリーを睨みつけていたが……再び抵抗する様子は無かった。
ただ彼女が反省することもないのだろう、とエルンストは苦く思う。
首都クルツを騒がせていた事件は、こうして幕を閉じた。
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