第26話

 怪我をし、病を患うものたちがいるせいだろうか、病院という場所は何処となく憂鬱で物悲しい気分にさせる。

 それが夜ともなればなおさらだった。


 闇と静寂が支配する世界となったとき、その場所は人間の恐怖の常識を塗り替えるように恐ろしく変化する。

 入院患者のほとんどが眠り、医師や看護婦も少ないこの時間に、エンドル王国騎士団は病院に足を踏み入れていた。


 目的はミモザ・マーティンに指の小包を送った調本人にして、一連の事件の重要人物、アルヴィン・ダンの警護。

 そしてすべての元凶───クララ・クリスの確保であった。


 件の男の病室の前で、カトレアは気を研ぎ澄ませて暗い廊下を警戒している。

 僅かに距離を開けて隣には、騎士団の仲間……同期の青年がいる。


 「エルンストじゃなくて頼りないよな」と苦い笑みを浮かべた彼に、「同じ騎士団なら頼りないということは無いわ」と激励したのも記憶に新しい。


 静かな場所で二人はじっと警護を続けていたが、やがて怖さを紛らわすように同僚が話しかけてきた。


「カトレア、奴は来ると思うか?」

「可能性は高いと思うわ。今までのことを振り返っても、彼女は行動したいときに我慢していない性質のように見えるもの」


 奴というのは無論、クララ・クリスのことである。

 騎士団が彼女を逮捕しに行ったときその姿は既になく、次に現れるならアルヴィン・ダンのところではという推測がなされていた。


 ミモザとリザリーを誘拐した犯人たちは、彼への接触も認めている。

 本来ならミモザ誘拐の犯人としてダンを据えようとしていたらしいのだが、彼が逃亡し病院に保護されたゆえに失敗。


 代わりにダンを発見したリザリーを犯人にと考えたらしいが───後のことは知っての通りである。


 お粗末な計画だと思うが、これは実行犯たちの独断だったらしい。

 本来なら彼らを始末したかろうが、今は騎士団の留置場に入れられているためそれが出来ない。


 ならば他に証拠を握ることとなった人間……いや|自分が気に入らない人間(・・・・・・・・・・・)をクララは始末しに来るだろう。

 そうカトレアには奇妙な確信があった。


「……俺、『ギャレイル』のファンだったよ。飯はうめえし、クララも可愛かった」

「そうね。同感だわ……」


 同僚は僅かな哀しみが混じった声で、もうあの店は開くことが無いと呟く。

 『カフェテリア・ギャレイル』は魅力的な店だった。彼の言葉に頷きながらカトレアはふっと息を吐く。


(こんなことをする人間には、決して見えなかった)


 事件の起こし方、そして自分たちの元に送られてきた『ファンレター』。

 それらから推測すると、クララは感情をコントロールするのが苦手な人物なのではとすら思う。


 しかしオーナーの彼女は非常に好印象な人物だった。

 誘拐犯たちがそろって名前を出さなければ、誰もクララが事件に関わっているとは信じなかっただろう。


 そして他にも人心を操る能力に長けているようだ。

 誘拐犯たちが心を壊し、彼女を恐れているのが何よりの証拠である。


「オーナー、熱狂的なファン、恐ろしい支配者。どれが本当の彼女なのかしらね……」

「さてなぁ。あとそれと……お前、本当に大丈夫か?」

「何が?」


 問いかけの意味をわかっていながらも首を傾げる己に、同僚は言いづらそうに顔をしかめた。


「確かにクララはダンに殺意があるだろうよ。しかし俺は奴よりカトレア、お前の方が危ないと思う」


 不安げにこちらを見る同僚に、カトレアは苦笑する。

 彼以外にも、幾度も幾人にも言われたことであった。


 クララ・クリスの殺意の標的には、ダンだけでなくカトレアも入っているだろう。

 お前は本部で待機していた方がいいと、本部長にも同僚にも忠告されている。


 しかしカトレアはその全てに唇に笑みを浮かべ、ゆっくり首を横に振ってこう言ったのだ。


「エルンストが命を張って導いた答えだわ。私だって体を張るべきなのよ」

「いや、しかしな……」

「ここで安全な場所で保護されたままになっているだけなんて、私はきっと一生後悔するわ。それに部屋に閉じこもってきりじゃ、爆発してしまいそうよ」


 自分の心が静かな怒りに燃えていることを、カトレアは気付いている。

 同僚もその言葉に並々ならぬ執念と熱気を感じたのだろう。


 そうか、と頷いてその後何かを言うことはなかった。

 己の心情を慮ってくれたのだろう彼に礼をいい、カトレアは再びふっと息を吐く。


 心の中で燃えている炎は、あの日友人二人が巻き込まれた火事のものによく似ていた。


(クララはリザリーとエルンストを傷つけた。矜持も体も、命さえも何もかも。絶対に許しておけない……)


 この事件に巻き込まれてから、どれだけあの可愛らしいリザリーが泣いている姿を見ただろう。

 顔を青くして震え、さらに目の前で親しい人間を亡くしてしまった彼女を思うと、叫びだしたいほどに苦しい。


 そして何より……アパートメントとともに巨大な炎の中へと消えた己の相棒、エルンスト。

 彼は取り残された少年を救うために、果敢にも火事に挑んだ。


 しかしあれはエルンストを、もしくはリザリーを亡き者にするための罠だった。

 どうしてあの日自分はもっと早く彼の元へ駆けつけなかったのか、幾度も後悔した。


(囮なら喜んで身を差し出すわ……。何が何でも捕まえてみせる)


 決意も新たに視線を鋭くし、カトレアは薄暗い廊下を見据える。

 向こうから静かに足音が響いてきたのは、それからしばらく後のことだった。


 フラッシュライトの明かりを頼りにこちらに歩み寄ってくるのは、騎士団の制服を着た二人組である。

 暗い院内が怖いのか、はたまたここ最近の疲労がたまったか、その顔は妙に暗い。


 だがそれ以上に、何かがおかしく見えて思わず首を傾げる。

 違和感の原因をカトレアが探ろうとしたとき、前を歩いていた団員が二人に声をかけた。


「やあ、お疲れ様。そろそろ変わるよ」


 穏やかそうな青年の声である。

 唇に笑みが灯り、カトレアを見つめている。

 だがやはり奇妙さは拭えず片眉を跳ね上げたと同時に、同僚が「ああ」と頷いた。


「もう交代か?じゃあ休憩室で仮眠でもするか」

「……待って」


 何かおかしい。そうカトレアが同僚を押しとどめようとした時、ふと気が付く。

 声をかけてきた青年の背後にいる団員の制服の裾が、僅かに余っている。


 動きを邪魔されないためにも、騎士団員たちは制服は体に合ったものを着用することが義務付けられているはずだ。

 それなのに───まさか!


「ぐ、う……」

「っ!」


 可能性にカトレアが気付いた瞬間、前を歩いていた団員が唐突に呻き、体勢を崩す。

 加速する予感。ぎくりと背中が冷える。


 目を見開く己の前で、団員の膝ががくりと折れ、ゆっくりと倒れていく。

 流れる赤。地面に倒れた彼の背中には……大ぶりのナイフが深々と突き刺さっていた。


「あっ!」

「おい!」


 ぎょっとして駆け寄り、その体を同僚と支える。

 一体何がともう一人の団員を見上げると、その顔がゆっくりとカトレアの方を向いた。


「クララ・クリス……!」

「……」


 見覚えのあるその顔にカトレアは叫ぶ。瞬間こちらを見る瞳が歪んだように見えた。

 が、すぐに彼女は踵を返し、暗い廊下を駆けていく。


 慌てて立ち上がり、その後を追った。

 しかしいっかいのカフェテリアオーナーとは思えない素早さに、ちっと鋭い舌打ちが出る。


「私が追うわ!貴方は医者を!」

「おい!待て、カトレア!」


 焦った様子の同僚の声が背中にかかった。が、気にかける余裕は無い。

 彼はきっと、これが罠であることを危惧しているのだろう。


 無論それに気付かぬカトレアではない。

 だが今は己の身の危険よりも、クララを止めなければという強迫観念にも近い使命感が胸の中に渦巻いていた。


(クララは、人を刺すときに、何のためらいも無かった……)


 恐らくクララに脅され、ナイフを突きつけられながら前を歩いていたのだろう団員。

 彼が刺されてうめき声を上げるまで、カトレアはその殺気に気付かなかった。


 人は人を攻撃するとき、一瞬のためらいや怯え、そして覚悟が見える。

 それなのに彼女は、『普段通り』であった。

 まるで瞬きをするような自然な動作で、青年の背を刺した。


 彼女は人の命を奪うことを、罪だとも思っていない。

 それを実感しカトレアは、これ以上クララをこの病院内に野放しにしておくことが出来なかった。


「待ちなさい!何処へ行く気……!?」


 叫び声はしかし、虚しく暗い廊下を突き抜けていく。

 ただ階段を駆け上がっているらしいブーツの音が、カトレアの耳に届いていた。

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