第25話
全てを話し終え、リザリーは改めて『カフェテリア・ギャレイル』の女性オーナー……クララ・クリスのことを思い出していた。
己とミモザが事情聴取を受けに騎士団本部へと赴いた時、カトレアは『ギャレイル』にデリバリーを頼んでいた。
自分たちがカトレアと共に居る様子を見たのは、バートンだけではない。
サンドイッチを届けたクララも知っていたのだ。
何より彼女の店はデリバリーを請け負っていた。
配達のために地理は頭に入っているだろうし、エルンストたちも自宅にサンドイッチを届けてもらったことがある。
住居を移したミモザ・マーティンも、外を出歩かないためにデリバリーを頼んでいたらしい。
警戒に警戒を重ねたことで、逆に犯人に居場所を知らせてしまったのだ。
今更後悔したところで彼女は帰ってこない、がもう少し気を付けていればという重いが頭を過ぎる。
リザリーが唇を噛み締めていると、しばらく呆然としていたバートンが「そうか」と呟いた。
「……盲点だったよ。見つからないはずだ。まさか女性だったとはね」
「男性だと思われていたんですか?」
「さっきも言っただろう。私を殺したあの男。彼は私と同じようにこの世界に来ていると」
もしかしたら彼の言っている人物と別人の可能性があるのでは?
そう考えたが口には出さなかった。
そもそもリザリーはバートンの魂が別の世界からやってきたと言う意見には懐疑的だ。
だがそれを真っ向から否定する根拠もない。
バートンは無言で自分を見るリザリーの疑惑に気が付いたのか、ただ肩を竦める。
やおらこちらへ向かって歩き出す。どうやら資料室の出口を目指しているようだった。
「何処へ行くんですか?」
「もちろん、カフェテリア・ギャレイルだよ。件のオーナーには会わなくてはね」
すれ違う瞬間問いかけると、男は肩越しに振り返って告げる。
眼鏡越しの瞳は逆光で見えない。だが恐らく先ほどと同じ、冷たい眼差しをしているのだと想像できた。
その表情にどこか危険なものを感じて、リザリーは彼が再び歩きだす前に声をかける。
「残念ですがクララ・クリスはいませんよ。数日前から行方がわからないそうです」
「そうか。まあそうだろうな」
答えるバートンの声は、意外なほど平坦で落胆した様子はない。
予想はついていたようだ。
何事か思案しているように見える横顔に、リザリーは矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「彼女が何処にいるかご存じなんですか?」
「まあね。彼の手紙は何通と読んだから、何となく今後どう行動するかわかるよ」
「彼女を見つけたらどうするつもりですか?」
それに再び男の視線がこちらを向いた。
今度こそはっきり見えた彼の瞳が、氷のような温度でリザリーを射抜く。
「君は復讐を望まない性質(たち)かい?」
「え……?」
「ミモザは彼女の策略にはまって死んだんだろう?それに、エルンストも」
二人の名前を出され、リザリーの心が凍る。
恐らく男の方を向いている顔にも、その揺れ動きが映ったことだろう。
くっとシニカルに唇を歪めたバートンは、諭すように柔らかい声でリザリーの名を呼んだ。
「君は友人を殺された。私は前世、生命を奪われた。これはじゅうぶんに復讐するに値するのではないか?」
「なに、を……」
「まさか君は復讐を否定し、罪を許してやるべきだ……などと陳腐なことを言わないだろうね」
バートンの声は真っ直ぐでよどみない。
彼が心からクララ・クリスに、否、前世『ファンレター』を送りつけてきた相手に憎しみを抱いているのがわかる声色だった。
その迫力に押され僅か半歩後ずさると、男は隙を逃さぬ狩人のように笑みを深めて言葉を続ける。
「クララを同じ目に、いや、それ以上に惨たらしい目に合わせてやりたくないかね?ざまあみろ、と嗤ってやりたくないかね?」
「……っ!」
「お察しの通り、リザリー。私は奴に復讐をするつもりだよ。惨たらしく、残酷に、命を奪うよりも恐ろしい目に合わせてやる」
語る姿に、あの気弱な新聞社編集長の面影はない。
まるで地獄の悪鬼がこの世界に姿を見せたのでは?そう思うほどの迫力に、リザリーは冷や汗が止まらなかった。
人間はこれほどまで煮えたぎるような感情を、他者に抱くことが出来るのか。
殺意、憎しみ、悲しみ、それらを全て凝縮したような……そんなバートンの思いに触れて、リザリーは既視感に思い当たった。
自分はこの事件が起こってから、幾度もこの激情に触れた。
エルンストに、カトレアに、ミモザに、そしてリザリーに送られてきた『ファンレター』は、その感情の塊だったではないか。
それに煮え立つような思いは、自分の中にだってある。
ミモザのことを思うと、胸をかき乱されるような激情が支配する。
この思いは恐らくクララ・クリスがしたように、相手にぶつけること以外に行き場はない。
───だがそれでも。
「いいえ、同意できません」
きっぱりとリザリーは首を横に振った。
「絶対に、許すことは出来ません。復讐は法に触れます。仇討ちや決闘が賛美されていた時代とは違うんです」
世間的には賛美されるかもしれない正論に、しかしバートンはつまらなそうに目を細める。
「君もしょせんは安易な許しを賛美する側か。復讐は何も生まないと語る人間だったのだな」
「いいえ、違います。許せないと思う貴方の気持ちは何も間違っていない」
ゆっくりとリザリーは首を横に振った。
復讐を願うバートンの思いは当たり前のものだ。
誰もが聖者になれるはずもなく、昇華出来ない憎しみを抱えて生きる人間もきっと多いのだろう。
それを許せと、治めろと言える資格は、リザリーには無かった。
「私だって許せない。自分勝手な思いでたくさんの人の人生を狂わせてきたクララさんが。出来るならこの手で……思いつく限りの罰を与えてやりたい」
初めて明確に見せた己の憎しみと言ってもいい敵意に、バートンの片眉が跳ね上がる。
では何故止める?そう言いたげだった。リザリーは今一度彼を見つめてはっきりと告げた。
「貴方の復讐を許してしまったら、騎士団が責任を取らされるからです」
「何だと?」
唐突に出てきた騎士団の存在に、再度バートンは驚いた様子だった。
僅かに目を見開いて、こちらの顔を凝視する。
そのまましばらく見つめ合い……やがてバートンは目付きを鋭くして己の瞳を覗き込みはじめた。
見透かすような視線だ。リザリーが何を言いたいのか、それを探っているのだろう。
いまだに彼からの圧迫感はすさまじい。
それでも怯むことはせず、彼の疑問に答えるように真っ直ぐに目を見てリザリーは続ける。
「カトレアは、そしてエルンストは私を信じてこの件を任せてくれました。私がこれ以上の被害を出さないために行動すると思いを託してくれたんです」
「……つまり、復讐を否定するのは二人のためだと?」
感情を抑えるように静かな声で問われ、こくりと深く頷いた。
「犯人と言えど貴方の殺意を許容したら、彼らを裏切ることになる。そんなことは絶対したくない」
瞼を閉じなくても、今まで己の身を案じてくれていた二人の姿を思い描くことが出来る。
今まで半人前扱いされていたことを不満に思っていたこともあった。
しかし、それが自分にとって相応の扱いだったのかもしれない。
今回の事件で、自分があまりにも頼りなく、情けないことは自覚した。
人は、命は、リザリーの手を簡単にすり抜けていく。
恐らく自分に出来ることなど、本当に数少ないのだろう。
だからせめて、彼らからの信頼は絶対に裏切りたくない。
これが今、リザリー・クラントンに出来る精いっぱいのことだった。
貴方がその拳を振り下ろしにいくなら、しがみ付いてでも止める……その意味を込め真っ直ぐに見据えていると、先ほどの己と同じようにバートンが半歩後ろへ下がった。
またしばらく、二人は無言で見つめ合う。
やがて唇を震わせ、先に口を開いたのは男が先だった。
「自分の行動の責任を、他者に転嫁させるのかい?リザリー・クラントン」
「そう思ってもらっても構いません。ですが、二人からの信頼は私にとって貴方を止める理由には十分すぎる」
変わらぬ己の態度にバートンはふと顔を上に向け、すぐにまたこちらを見た。
その瞬間には彼の表情はやや柔らかくなっており、肩を竦めながらリザリーに語り掛ける。
「やっぱり私は君のポテンシャルを舐めていたようだ。リザリー・クラントン。君のスピンオフを描いてみたかったな」
「……誉め言葉なんですか?」
聞きなれない単語に首を傾げる己に、バートンは「もちろんさ」と苦笑した。
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