第24話

 それはリザリー・クラントンが誘拐され、病院に搬送されていた数日前まで遡る。

 王国騎士団の本部、取調室にてカトレア・モリスは、うら若き二人の女性をかどわかした犯人グループの一人と対峙していた。


 営利目的でミモザ・マーティンを誘拐したのか?他にも仲間はいるのか?

 きつく問い詰めるがしかし、彼は首を横に振って「俺たちは背景だから」と呟くのみ。


 真っ青な顔でうつむき、膝元で拳を握りしめる男を真っ直ぐに見つめながら、カトレアは静かに質問を繰り返す。


「いつも背景と言っているけど、それは何なの?どうしてそう思うの?」

「そう言われたんだ。俺たちは役立たずだから」

「役立たず、と言うのもその人に言われていたのかしら?」


 次いで繰り出した質問にも、男はただうつむいて拳を握るのみ。

 どうやら彼らに指示を出していた頭が存在しているらしいが、その正体が語られることは無かった。


 頑なな態度に嘆息して、カトレアは僅かに向ける視線を和らげる。

 打ち解けやすい声色を心掛け、ゆっくりと彼に語り掛けた。


「その人を恐れているの?大丈夫、ここにいれば貴方の身の安全は保障されるわ。その人も貴方をこれ以上傷つけることは……」

「あの人からは逃げられない」


 言葉を切るようにきっぱりと言い切った男に、思わず目を見開く。

 彼の顔はことさら青くなっており、その体は僅かに震えていた。


 まるで今にも倒れそうなほど頼りなく見えるその様に、カトレアは片眉を跳ね上げて呆然と呟く。


「そんなに恐ろしい人なの?」

「……」


 返答は無い。男は黙り込んでしまった。

 しばらく彼の様子を観察し、やはりこれ以上の証言は聞き出せないと判断してカトレアは椅子から立ち上がり、部屋から出て行く。


 解放されるのかと男の緊張が僅かに解けかける……が、すぐに一枚のファイルを手にしてカトレアが戻ってきたのを確認し、再度硬直する。

 音もたてずに静かに隣に立った己に彼はさらに震えており、おずおずと視線をこちらに向けた。


 哀れな男に少しだけ同情する気持ちが溢れたが、抑えてカトレアは低い声で告げる。


「……実はその人の正体はすでに割れているわ」

「え?」


 あ然と男は顔を上げてカトレアを見つめる。

 震える唇は紫色に染まっており、まるで貧血を起こしたようになっている。


 それでも目だけはおろおろと己と部屋内をせわしなく見回し、落ち着かなかった。


「貴方たちが根城にしていた廃工場の、ごみ箱を調べさせてもらったの。非常に興味深いことがわかったわ」

「ご、ごみ箱?」


 そんなもので、一体何がわかるのかとでも言いたげな口調だった。

 ぺらりとファイルをめくり、男の前に広げる。


「ごみ箱には貴方たちが食べた朝食の包み紙が捨ててあったわね。デリバリーのサンドイッチのものかしら?」

「そ、それが何だって言うんだ?」


 広げたファイルの一番上、写真と共に記された文字を指で刺す。

 その一文を目で追った男が、「あ」と小さな声を出した。


「デリバリーのサンドイッチは『カフェテリア・ギャレイル』のものね。ソースの成分が一致したわ」

「……あそこのサンドイッチが好きなんだ」

「それは同感だわ。でも、北区にはほかに手頃な店があるのに、どうして中央区の『ギャレイル』を選んだの?」


 静かに問うカトレアに、男の肩がびくりと跳ねる。


「デリバリーをしてもらうには遠すぎるわ。買ってくるにしても時間がかかる。例え好きだとしても、わざわざそんな場所まで行くかしら?」

「な、何が言いたいんだ……」


 男の声が震えている。

 明らかに動揺していることが見て取れる姿をカトレアはじっと見据え、平坦な声で続けた。


「私たちはこう考えたの。『カフェテリア・ギャレイル』のサンドイッチがあったのは、都合が良かったからではと。例えば自分の店の商品を持っていけば、誰かに怪しまれる可能性は少ないんじゃないかって」

「……っ!」


 男の額には脂汗が浮いていた。

 もはや言葉を発することも出来ないのか、口を幾度もはくはくと開閉させている。


 カトレアは彼にとどめを刺すように、努めて冷淡に、そしてきっぱりと言い切った。


「貴方を『背景』と呼んだ人は、『カフェテリア・ギャレイル』の関係者……いえ、オーナーのクララ・クリスなのね」


 がくり、と男の肩が落ちる。

 そして握りこぶしをほどいて、頭を抱えるように手で押さえた。


 体はぶるぶると震えたままだ。その怯えは先ほどよりもずっと強く激しく……まるで恐怖の対象がすぐそばにいるかのようだった。


「話してくれるかしら?クララ・クリスとはいつ出会ったの?」


 男は答えない。

 カトレアは彼の目線に合わせて屈み、そっと肩に手を置いて慰めるように語り掛けた。


「必ず貴方たちのことは騎士団が守るわ。クララには二度と傷つけさせない。だから事件のことを話してほしいの」


 それでもしばらくは、男は頭を抱えて震えたままだった。

 だが辛抱強くカトレアが彼を慰めていると、じきに震えは収まり呼吸が整っていく。


 いまだ顔色は悪いが落ち着きを取り戻した男は、掠れた声でぽつりぽつりと話し出す。


「あの人に会ったのは、5年前だ。文通相手募集の記事で見つけて……小説好きで趣味が合うかと思ったんだ」


 手紙のやり取りを初めてすぐ、男はクララ・クリスに夢中になった。

 綴られた文章からわかるほど、彼女は快活で話が上手く、また小説の趣味も合う。


 すぐに直接会いたいと思い、クララもそれを承諾。町のとあるカフェテリアで待ち合わせをした。

 実際のクララも非常に愛想が良く魅力的な人物で、初めてあったとは思えないほど話が弾んだ。


 だがしかし、じきにその関係は歪になっていったと男は語る。


「彼女は口が上手かった。俺たちの心に入り込み、様々な情報を聞き出した。家族関係や恋人、職業に住所……それから知られたくない秘密や過去のことまで」


 男とクララは、秘密を共有する仲になってしまった。

 それがいけなかった。

 じきに彼女はその秘密をたてに、彼らを脅し、操るようになってきたのだ。


「あの時の彼女は、人が変わったようだった。上手くいかなければ俺たちを『背景』だとなじり、上手くいけば甘やかす……。気が狂いそうだった」

「逃げようとは、思わなかったの?」


 思わず問いかけたカトレアに、男はゆっくりと首を横に振る。


「言ったろう。家族のことも知られてるって。俺は年老いて一人暮らししている母を殺すと脅された。他のやつも同じだろう」


 そこまで言って男はぶるりと身を震わせ、頭を抱えていた手を二の腕に回した。

 自分で自分を抱きしめるようにして腕をさすり、怯えた声で続ける。


「それに多分、クララは俺たちを逃がさない。きっと今も俺たちを始末しようと画策している……」


 そう言い切って、彼はうつむき口を閉ざした。

 すっかり土気色になった顔に、これ以上質問をするのは酷だとカトレアは判断する。

 最後に再び彼を守ると勇気づけ、ファイルを片付けて立ち上がった。


 取調室を出て行こうとした刹那、はっと何か思い出したように男が「あの」と声をかける。

 肩越しに振り返ると、顔を上げた彼はおどおどと視線を彷徨わせながら口を開く。


「クララは、エルンスト・ローゼンと……特にカトレア・モリスに酷い憎しみを抱いていた。話を出しただけで暴れだすほどだ。だから」


 そこで言葉を切り、男は再びうつむいた。

 また語りだしそうな気配は無い。が、もしかしたらこれは、彼なりの忠告なのかもしれない。


 そう感じたカトレアは薄く微笑み、「ありがとう、気を付けるわ」と告げて取調室を立ち去った。

 そしてがちゃりと後ろ手に扉を閉めて、その場で立ち止まる。


 いつの間にか眉間にしわが寄寄っていた。


 クララ・クリス。一筋縄ではいかない人物のようだ。

 『カフェテリア・ギャレイル』の常連であるカトレアが知る彼女は、いつも朗らかで愛想が良い名物オーナーであった。


 事前に周囲の人間に取り調べをしていたが、語られるクララは己が思うそれと大差ない。

 だが男から聞いた彼女の印象が、あまりにもかけ離れていることが気になった。


(愛想がいいオーナー、人を脅す凶悪犯。どちらが本当の彼女なのかしら?それともどちらも本当の彼女なのかしら……?)


 気になることは、それだけでは無かった。

 どうして自分たちはクララ・クリスにそこまで憎まれているのか、という疑問が頭の中を巡っている。


 客とオーナーという関係以外、自分たちは築いていないはずである。

 だが男の語った言葉、そして送られてきた『ファンレター』はクララの敵意を如実に示している。


 もう少し調べるべきかとカトレアは考えたが、それよりも巨大な疑問にぶち当たることとなった。

 別室で取り調べをしていたエルンストが、『転生者』のことを聞き出したのだ。

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