第9話

 リザリーが訪れたのは、近所のパブであった。

 この店は何度か利用したことがあり、優しい初老の店長とは顔見知り。何より電話機が設置してある。

 騎士団に火急の用があると言う己に、店長は快く電話機があるスタッフルームへと通してくれた。


 黒い受話器を上げると交換手に繋がり、騎士団へ回線を接続してもらう。

 そこから若そうな団員が対応し、エルンストへと変わってもらう。


『もしもし?』

「もしもし、エルンスト?」

『リザリー?どうしたんだ、忘れ物か?』


 訝し気な友人の声に、リザリーは心からほっとする。

 電話越しにも己の様子が伝わったのか、今度は少し真剣な様子でエルンストが『どうした?』と訊ねた。


「エルンスト。私さっき帰ってきたばかりなんだけど……手紙が来てたの。三人の所に来たのと同じ手紙が」

『何?』

「しかも消印と切手が無いの。これ、直接家のポストに入れられたんだと思う」


 震える声で伝えれば、受話器の向こうのエルンストが息を吞んだ。

 しかし間を置かず、いつも通り頼りがいのある声でリザリーに言い含める。


『リザリー、近所に友人が住んでいると言ったな。大通りに面した……今日は彼女のところに泊まるんだ。すぐに僕も行く』

「わかった。でも、エルンストたちの実家にも手紙が届いているかも……」

『そちらはカトレアに調べてもらう。いいかリザリー、すぐに友人の家に行くんだぞ』


 友人の住所を聞き電話を切ろうとしたエルンストを、リザリーは「待って」と留める。

 電話越しにどうした?と訊ねる彼に、一度ぐるりとあたりを見回して、声をひそめて言った。


「実は手紙に気になることがあって……。文章の中に私とミモザさんが一緒にカトレアに取り調べされたことが書いてあったの」

『今日のことか?』

「そう、私たちが一緒に取り調べを受けたこと、騎士団の人しか知らないはずだよね……それと、編集長……」

『ロジャー・バートン氏だな?』


 訊ねる彼に、リザリーは先日から思い悩んでいたことを説明し始める。


 ミモザ宅に侵入者があった日、連絡の前に編集長が新聞社を出ていたこと。

 殴られていた右頬。殺された男が左手に傷をつけており、それが編集長の頬と関係があるのではと感じたこと。


 恐怖の感情と戸惑いがある口調だったが、一通り話し終えるまでエルンストは黙っていてくれた。

 リザリーが「どう思う?」と恐る恐る問うと、彼はしばし小さく唸っていた。


『結論を出すのは危険過ぎる。しかし、確かに奇妙な一致ではあるな』

「そう、だよね。やっぱり……編集長は殺された人と何か関係があるのかな?」

『それはバートン氏本人に聞いてみた方がいいかもしれない』


 低い声でそう言うエルンストに、背筋を冷たい手で撫でられたような感覚が走る。

 しかしそれでも何とか自分を奮い立たせると、電話口へ食いつくような態度で申し出る。


「それなら私が聞いてみるよ。私が気づいたんだし、編集長とは仲もいいし」

『……いや、リザリー。君はこれ以上事件に深入りしてはいけない。危険だ』

「そんな、でも……」


 拒否されて軽いショックに襲われたが、それでも再び言い募ろうと口を開く。

 が、それよりも先にエルンストが、先ほどよりも強い口調で『駄目だ』と告げた。


『事件を軽く見たのは僕も一緒だ、君に色々と協力を求めすぎてしまった。だが君は騎士団ではない、一般市民だ』

「……」

『一般市民を守るのは僕たちの務め。君は何より自分の身を大事にしてくれ、リザリー』


 僅かな憂慮を滲ませた真剣な声で言われると、反抗することが出来なくなってしまう。

 受話器を持ったままリザリーは一秒、二秒、停止して……やがて「わかった」と頷く。


 酷く力なく、乾いた声だった。


 その後バーを出たあと近所に住む友人に事情を話して家に入れてもらい、エルンストを待った。

 電話のあと早急にに準備をして向かったらしい友人の到着は早く、リザリーは彼に手紙を渡す。


「……エルンストも気を付けてね」

「ありがとう、リザリー。君も色々あって疲れただろうが、しっかり休むんだぞ」


 お互いを気遣う、簡単な会話だった。

 最後にこの近辺の巡回も強化すると告げて、エルンストは足早に去っていく。

 友人に指摘されるほど表情のない顔で、リザリーはその背中を見送った。



 王都クルツに穏やかな日が昇る。

 ここ数日、人死まで出た奇妙な事件が続いているとは思えないほど日常の営みを思わせる光だった。


 しかしその温かさを身に受けても、心は晴れない。

 太陽の光にさえ憂鬱さを感じ取りながら、それでもリザリーは何とか頭を切り替えて黙々と仕事をこなしている。


 ミモザ・マーティンの仮住まいを訪れたのも、彼女の様子を確認してきてくれと頼まれたからだった。

 新聞社の近くに建っているアパートメントに新人作家は住んでおり、事件が解決するまで仕事はここですると決めたらしい。


「ミモザさんのところは、その後何かお変わりはありませんか?」

「ええ、ご心配かけて申し訳ありません。妙な手紙も来ていないし、執筆に専念できていますわ」


 もともと彼女が使っていたものより、幾分か質素なテーブルを挟んでリザリーとミモザは向き合っている。


 ころころと微笑み、ティーカップに口をつける女流作家に憂いは無い。

 住居を移したことがいい方向に向かったのだろう。


 ひとまずはほっとして、リザリーも出された紅茶に口をつける。

 かぐわしいフレーバーが、口の中いっぱいに広がった。


「事件はあれからどうなったのでしょうか?調査は進んでおりますか?」

「……詳しいことは聞いていません。しょせん、私は部外者ですし」


 つい卑屈な言葉にが口に出てしまったことに、リザリーはしまったと体を強張らせる。

 見ればミモザも自分がこんなことを言ったのが意外のようで、目を見開いていた。


 その灰色の瞳を見つめることが出来ず、逸らすように頭を下げる。


「すみません、変なことをいいました。気にしないでください」

「……何かあったのですか?」

「ミモザさんにお話しするようなことでは…」


 申し訳なくなって首を横に振るが、彼女は引き下がらなかった。

 真剣な顔つきでこちらをのぞき込むように身を乗り出し、「リザリーさん」と優しく名前を呼ぶ。


「話せば楽になるかもしれませんよ?」

「そんな……」

「先日わたくしが助かったのは貴女のおかげでもあります。せめてお話を聞くだけでもさせてくださいませんか?」


 そう言われて、つとリザリーは顔を持ち上げた。

 包み込むような笑みを浮かべるミモザと目が合い、胸の奥に何か重いものが詰まるような感覚を覚える。


 自分はあの時、彼女の役に立てていたのだろうか?

 ただ無謀に行動しただけで、逆にその身を危険にさらしたのでは?


 そう考えて、しばらく膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめ悩んだ。

 だが心の中にある重石は無くならない。つん、と鼻の奥が痛んでくる。


 たっぷり黙り込んで……やがてリザリーは耐えきれなくなり、ぽつりと口を開く。


「……じゃあ少しだけ、聞いてくれますか?」


 テーブルの向こうでミモザが頷く。

 リザリーは僅かに肩の力を抜いて語り始めた。


「私、昔は騎士団に入りたかったんです」

「騎士団に?」

「ええ。小さいころからの憧れで、エルンストやカトレアに続いて騎士団の入隊試験に応募しました。でも私じゃ実力が足りなかったみたいで……」


 落ちちゃいました、とおどけるように笑う。が、その笑みが歪なことに、自分でも気づいていた。

 しかしミモザはそのことに特に触れることもせず、真面目な様子で聞き続けてくれる。


 そのことに妙に安心して、リザリーは続けた。


「勉強は、したんですけどね。無理だったんです。……落ち込みました、夢だったから。エルンストとカトレアと一緒に働きたかったな」


 そこまで言ってしまうと、もう堰が切れたようだった。

 ぽろぽろと胸の中から零れるように、意図していなかった言葉が溢れ出でてくる。


「新聞社に入社したあとも、何とか騎士団との繋がりが欲しくて独自で事件を調べたりしてたんです。二人に情報提供したりしてたんですけど」

「……」

「でも今回は入り込みすぎちゃったみたいで、危険だからって、昨日エルンストに言われちゃいました」


 情けないです。と占めて、リザリーはうつむく。

 騎士団に入団できるほどの実力があればこんな気持ちは持たなくて良かっただろうか?


 ふとそんなことを考えて、胸に抱えていたものの重さをさらに感じ、視線を落とした。

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