第10話

 ミモザの部屋の中で、無言の時間がただただ過ぎていく。

 浅ましい己の劣等感を聞いて、流石の彼女も何といえばいいか悩んでいるのかもしれない。


 流石に真正面から言う人ではないと思うが、ミモザもリザリーを気概がないと思ったに違いない。

 やはり誰かに言うべきでは無かったかな…と、どこか他人事のように後悔していると、ふと脳裏に閃いた一語があった。


(端役、か。確かに私は物語にいたら端役なんだろうなあ)


 それはリザリー宅のポストに届けられた、謎の手紙に書かれていたものである。


 端役……それは物語中にスポットの当たらない、主人公たちを引き立てるための役だ。

 現実世界に主役も脇役もないが、今のリザリーにこそその言葉はふさわしい。


(でしゃばるな、とも書かれていたっけ。その通りかもね…)


 自分の周りにいる『主役』に似つかわしい人たちの顔を思い出し、リザリーは自嘲した。

 彼らの活躍を妨げないくらいの人生を送った方が、自分も幸せなのだろう。


 何もかもを卑下するようなことを考えてぼんやりしていると、にわかにミモザが口を開いた。


「リザリーさんはまだ夢を持ってらっしゃるんですね……」


 ゆめ……という、今の自分と正反対の色のついた言葉に思わず顔を上げる。

 女流作家は真っ直ぐにこちらを見つめており、その色素の薄い唇にはほのかな笑みが浮かんでいる。


 それは決してリザリーを嘲るものではなく、むしろ可憐な美しささえ感じて胸がときめいた。


「確かに事件に深く首を突っ込むのは危ないことですが……そうまでするのはまだリザリーさんが夢を諦めていないからですよね」

「え……そう、でしょうか?」

「わたくしはそう感じました。リザリーさんは、きっとまだ騎士団になりたいんだと」


 微笑みを深くして、ミモザは頷く。

 しばらく彼女の美しさにみとれ……やがてリザリーは自分でも気が付かぬまま考え始めた。


(確かに、まだ諦めてられていないのかも。たった一回、試験に落ちただけなのに全部やめてしまったから)


 今更ながら、どうして今一度挑戦しなかったのだろうかと考えてしまう。

 劣等感を持ちながら人生を歩むことが当然のように当時は思ったのだが……そんなはずはない。


 まるで誰かの意図に乗せられたような重苦しい思考の塊が、ふとほどけていくような感覚がした。



 リザリーがミモザ宅に行き紅茶を頂いていた時刻、騎士団本部では事件の関係者である人物が捜査線上に浮上していた。

 エルンスト・ローゼンはまとめられた資料に目を通し、小さく唸って口元に手を当てる。


 その人物の名前はアルヴィン・ダン。30代の無職の男だ。

 略歴、身体的特徴が記入してあるその資料は、先ほどまとめられて本部に届けられたものだった。


「……この人物が新聞社の周りをうろついていたと?」

「ええ。彼の住居は中央区じゃない、東区よ。でも小包が送られてくる数日前から姿が目撃されているわ」


 ミモザ・マーティンの向かいに住む老婦人、そして近くにある理髪店の店員や客数人が男の姿を目撃している。

 日中から見慣れぬ姿がうろうろと、アパートメントを覗いていたので印象に残ったらしい。


「なるほど……それにこの男、最近薬指を無くしているんだね」


 視線を鋭くして資料を睨みつけるエルンストの隣で、同じく険しい顔をした相棒が頷く。

 一応、医者には仕事での事故と説明していたらしいが、彼は一年前に勤務の工場を退職している。


 ……一年前。ちょうどミモザ・マーティンの短編小説が新聞に掲載されたころと一致していた。


 これが偶然とは思えず、エルンストは資料をくまなく読み込んだ後、カトレアを振り返った。


「この男に会いに行こう。カトレア、ついて来てくれるか?」

「もちろんよ。もう団長には許可も取ってあるわ」


 有能な相棒に唇をつり上げて、エルンストは彼女とともに騎士団本部を出た。

 騎士団専用車に乗り込みハンドルを握ってエンジンをかけると、自分たちの気分に最適な廃棄の音が重々しく響いた。


「……私たちに送られた手紙もこの男が送ってきたのかしら」


 助手席で改めて資料に目を通すカトレアの声は、低く怖い。

 彼女は静かに怒っている。そしてそれは、エルンストも同じだった。


 先日自分たちのところに送られてきた謎の手紙を、その熱量と使われている言葉から二人はファンレターと呼んでいた。

 最初は警戒を強めつつも、騎士団を偶像扱いしている人間の仕業だろうとエルンストは考えていたのだが……今は違う。


 まず驚いたのは新進気鋭の作家、ミモザ・マーティンの家にも『ファンレター』が送られていたこと。

 そして自分たちの後輩、リザリー・クラントンのもとにも同じものが届いたからである。


 可愛がっている後輩をいたずらに怖がらせて、エルンストもカトレアも腹の虫が収まらなかった。

 ともすれば乱暴な言葉を使ってしまいそうなのを抑え、彼女の質問に唸るように答える。


「さて、な。アルヴィンはマーティン女史の家に直接自分の指を送っていない。彼女の住所まで知らなかった可能性がある」

「……まだ他に事件に関わっている人間がいるというの?まさか、貴方もロジャー・バートンを疑っている?」

「バートン編集長か…」


 リザリーの推理で浮上してきた男の顔を、エルンストは脳裏に思い描く。


 丸ぶち眼鏡が特徴的な彼は、常におっとりしていて人の好さそうな表情を浮かべている。

 様々な出来事の記事を書く新聞の編集長だとしても、陰惨な事件とは縁遠そうな人物だ。


「確かに彼があの侵入者の男……ジョナス・クリーバリーに殴られた可能性は高いと思う。だが、それだけだ」


 あの二人にどこかで繋がりがあったとしても、事件に直接関係しているのかまだ不明だ。

 いくら調べても、彼らが過去知り合いだったという情報は出ず、また自分たちにファンレター染みた手紙を送ったりする理由が無い。


 ロジャー・バートンに対して出来ることと言えば、直接本部に呼び出して取り調べするくらいだが…今手元にあるのは状況証拠のみ。

 彼が犯人だとして素直に自供しなかった場合、追い詰めるための情報が足りない。


 交差点で思考の沼にはまりそうになったエルンストに、隣に座ったカトレアが鼻を鳴らしながら言った。


「もしかしたらマーティン女史の家に向かう途中ジョナスとすれ違って、苛立ち紛れに殴られたのかもしれないわね」

「確かにその確率もあるな」


 低いだろうが、と苦笑して頷く己に、ようやく相棒の表情も和らぐ。

 車を発進させて、二人は王都クルツの中心地から東の外れへ……北区から流れる川が見える路地。そこに建つアパートメント地区に進んでいった。


 アルヴィン・ダンの自宅はこのアパートメントの一室である。

 適当な場所に車を止めて件のアパートに向かう途中、エルンストはぐるりとあたりを見回した。


(このあたりにはあまり来たことが無いな……。家族も、騎士団の知り合いも住んでいない…)


 リザリーだけでなく自分とカトレアの実家にも、謎の手紙が再び送られてきている。

 やはり現実と虚構を混同している内容で、特にカトレアに対して暴言が多かった。


 後輩に送られた手紙と同じく、先日の取り調べのことも書いてあった。

 もしジョナスが犯人なら何か自分たちに関わるものがあるのではと考えたのだが、浅はかだったか。


 カトレアと一緒にアパートメントの階段を上り、目的の階に到着する。

 ダンの部屋は一番奥だったはずだ。


 不気味なほど薄暗く静かな廊下を渡り切り、突き当たりの扉のネームプレートを確認するとノックをする。

 が、返答はない。

 相棒は眉間にしわを寄せると、先ほどよりも強く扉をノックして住民に呼びかけた。


「すみません、ミスター・ダン。ご在宅ですか?王立騎士団のものです。ミスター・ダン?」

「カトレア、ちょっといいか。……おかしいぞ、鍵が開いている」


 ドアノブに手をかけてエルンストは首を傾げる。

 途端に何か嫌な予感がして、二人はドアを開け放つと部屋の中へと侵入した。


 テーブルとイスにベッド、そして小さな本棚が並んでいる部屋はシンプルだった。

 壁に新聞の切り抜きが貼ってある以外は、几帳面なほど綺麗に掃除されている。

 しかし本棚に並んでいる書籍、そして切り抜きの内容を見た二人は、ぐっと顔を険しくした。


「これは全部、マーティン女史関連のものだな……」

「デビューした時の記事もあるわ。彼はミモザさんの熱狂的なファン……で、間違いないわね」


 デビュー当時のものから最新の小説まで。ミモザ・マーティン一年の活動の記録と言ったところだろうか?

 本棚も彼女の最初の書籍だけで埋まっている。

 妄執にも似た何かに、エルンストはぞっと肌を粟立たせる。


 だが肝心のアルヴィン・ダンの姿は見えず、鍵もかけずに出かけたのかと首を傾げた。


「ねえ、エルンスト。これを見て」


 ふいにテーブルを調べていたカトレアが、声を上げる。

 振り返ると彼女は、文字が書かれた紙切れ……どうやら便せんらしい、を見つめていた。


『貴方の物語は読者にとって最悪の出来だった。ミモザに近づくな』


 それをのぞき込んだエルンストは、まさかの内容にぎょっと目を見開く。

 何より見覚えのある筆跡に、二人の背筋が凍っていった。

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