第8話
王都クルツの中心地に建つ王国騎士団の本部は、本日酷く騒がしかった。
慌ただしく人が行きかい、騎士団も鑑識官も神経質そうな顔で作業し、ときに苛立たしげに意見を交わし合っている。
廊下でもデスクでも同様で、皆殺気立っている様子だった。
作家の家に侵入した男が謎の死を遂げた。彼らの心に緊張が走るのも無理はないのかもしれない。
呆然と見つめるリザリーとミモザに、出迎えたカトレアは苦笑しながら「気にしないで」と告げた。
せわしない気配から逃れるように、彼女は二人を取調室に案内する。簡素なデスクと椅子が数個ある、小さな部屋だった。
扉を閉めて外の慌ただしさをシャットダウンし、カトレアは粛々と礼をする。
「ミス・マーティン。今日はご足労いただき誠に恐縮です。リザリーもありがとう」
ミモザは「気になさらないで」と微笑み、リザリーも「大丈夫だよ」と告げる。
本来取り調べというものは一人ずつ行うのが定例だが、今回は当事者である二人の意見をすり合わせるためにも同時に行うことになっていた。
リザリーはもちろんミモザも、一人で騎士団本部にいるより心強い。
二人に席を進めたカトレアは反対側の椅子に腰かけて、小さなノートとペンをを取り出す。
「今日は先日の事件についてお聞きしたいことがあってお呼びしました。貴女の部屋に侵入した男なのですが…」
「はい。……亡くなられたと聞いています。それで、わたくしに確認したいこととは……?」
僅かな不安を滲ませ首を傾げるミモザに、カトレアは一枚の写真を取り出して見せる。
何処かの工場を前に写された集合写真のようで、作業服を着ている男たちが一列に並びこちらを見ていた。
その列の三番目に立つ見覚えのある顔を、カトレアの人差し指が指す。
「ここに映っているのが、ジョナス・クリーバリーと言う29歳の工場作業員です。彼が貴女の家に侵入した……」
「……ええ、少しわかり辛いですが間違いないと思います」
「事件の前、どこかでお会いした覚えはありますか?」
訪ねられ、ミモザはしばし眉間にしわを寄せて考え込んでいたが、やがて首を横に振る。
「記憶にありません。もしかしたら過去会ったことがあるのかもしれませんが……ちょっと」
「わかりました。他にもいくつか質問をいいですか?」
カトレアは男の務めていた工場、住んでいた地区について関りがあるか問うが、どれもミモザに覚えはないようだ。
やがて質問も無くなったのか、カトレアは少しだけ難しい顔で「ふむ」と唸る。
何も答えられないことに罪悪感を持ってしまったのか、女流作家が肩を落とした。
「すみません、その、お役に立てないようで……」
「いいえ、お気になさらないでください。むしろ貴女と直接の関りが無いという発見があったんですから」
フォローが入るが、それでもミモザの顔は晴れない。
犯人の手がかりが無いことへの不安も募っているのだろう。
リザリーが慰めようとしたその時、にわかに取調室の扉がノックされる。
「どうぞ」とカトレアが答えると、入ってきたのは『カフェテリア・ギャレイル』のオーナーだった。
どうやらデリバリーの配達らしく、大きなカバンを抱えている。
「もうすぐお昼でしょう。これは私の奢りですから、食べてください」
オーナーに代金を払って、カトレアは二人にサンドイッチを差し出した。
渡されたのはチキンと野菜のサンドイッチ。香ばしく焼かれた鳥にバシルのソースが絡み合い、トマトとレタスの歯ごたえが抜群の名品である。
リザリーは微笑み礼を言って受け取ったが、ミモザは少し躊躇した。
それでもカトレアが気にするなと再度告げれば、おずおずと受け取る。
サンドイッチを食べながら、女騎士は今度は事件とは関係のない話題を彼女に振った。
カトレアの話題選びは実に興味深く、話し方も巧みで、チキンの旨味も手伝ってかミモザの顔色は少しずつ良くなっていく。
リザリーが友人の気遣いに感謝し、サンドイッチを食べ終わるころには女流作家はすっかり元気を取り戻していた。
その後リザリーもジョナス・クリーバリーについての質問をされ、二人の帰宅は許された。
「今日は本当にありがとうございました。二人の証言は事件解決に役立たせて頂きます」
丁寧に礼をしたカトレアは、二人をエスコートするように取調室の扉を開けて歩き出す。
いまだ慌ただしい本部の廊下を進んでいくと、ふと向こうから見覚えのあるまるぶち眼鏡の男が騎士とともに歩いてくる。
同じくこちらに気付いたらしい彼はこちらにやってくると、にこやかに笑って片手を上げて立ち止まった。
「クラントンくん、マーティン女史。君たちも捜査に協力かい?」
「ええ、取り調べを受けたんです。編集長もですか?」
「そうなんだ」と眉を垂れ下げるロジャー・バートン編集長はぽりぽりと頬をかいた。
その頬には大きな絆創膏がまだ貼られており痛々しいが、リザリーは先日から別のことが気になっている。
(……編集長は右頬を怪我している。もし殴られたとしたら相手は左利きだ)
そしてリザリーはつい最近、左利きの男に会い、亡骸と対面している。
その亡骸の左手には怪我が……何かを殴りつけたような擦り傷がついていたことも覚えている。
偶然とは思えない奇妙な一致に、目の前で笑うバートン編集長の顔を凝視せずにはいられなかった。
「リザリー?どうしたの?」
「え?ううん、なんでも……」
何でもないと言いかけて、ふいに口ごもる。
今自分が知りえる情報の一致を、バートンに問い詰めた方がいいだろうか?
しかし単に偶然である可能性もあるし、例えバートンと件の男に関りがあったとしても揺るがない証拠というわけではない。
勘違いで問い詰めれば編集長も気を悪くするだろうし、カトレアやミモザも幻滅するだろう。
胸の内を吐露するならば場所を選んだ方がいいかもしれない。
それが逃げということをわかりつつもリザリーは少しうつむき、何でもないと首を振った。
◆
自宅であるアパートメントに帰宅したとき、リザリーの心は深く沈んでいた。
やはり思いついたときに編集長を問い詰めていた方が、いや、少なくともカトレアに相談した方が良かったのではなかろうか?
しかしいまいち自分の推理に自信が持てない。
これがエルンストやカトレア、もしくはミモザのような人間なら迅速に行動にうつせていたに違いなかった。
ため息をもらしながらポストの中身を確認し、配達物を持って部屋へ入る。
仕事着をクローゼットにかけてミルクを温めた後、愛用のソファに深く腰掛けて配達物のチェックを始めた。
とは言え一人暮らしのリザリーに届く手紙など数多くない。
こまめに送られてくる母親からの手紙に、海外旅行中の友達からの絵葉書。
ミルクを飲みながらそれらを読んでいると、一つだけ差出人のない奇妙な封筒が混じっているのを見つけた。
しかもよくよく観察してみれば、切手も消印も見当たらない。
「……なにこれ?直接ポストにいれたの?」
ぽつりとした呟きが誰もいない部屋に響く。封筒を持つ指が震えた。
一瞬このまま捨ててしまおうかとも思ったが、勇気を奮い立たせて薄い鼠色の封筒をペーパーナイフで開いていく。
最近の出来事のせいか何処となく不気味さを感じ取ってしまったので、恐る恐る、おっかなびっくりとである。
しかしリザリーの心配をよそに何事もなく封筒は開き、中からは薄い便せんが一枚滑り落ちてきた。
何の変哲もないそれをつまみ、おぼつかない手つきで開いていく。
癖のない丁寧な字がつづる、自分の名前が最初に見えた。
『リザリー・クラントン。貴女は端役なのに何故物語に関わろうとする?
今日も騎士団本部にいたな。カトレアとともにミモザを追い詰めたのか?
でしゃばるな。
あの性悪女とともに天罰を下されたいのか?』
ひっ、と声にならない声が、リザリーの喉を震わせる。
ついに手放してしまった便せんが、ひらりと足元に落ちていった。
(エルンストたちのところに来たのと…同じ…!?)
文字の書き方はもちろん、文章の熱量も見覚えのあるものだ。
しかも書かれているのはミモザとともに受けた取り調べ……今日の出来事である。
体中に怖気が走り、自らの体に腕を回しながらリザリーは窓へと向かう。
しっかり閉め切ったカーテンにそっと隙間を作り、そこから通りを覗いた。が、勤め帰りの人間や車だけで、怪しい人物はいない。
だが住居を知られている不気味さ、そして直接来られた恐ろしさから、誰かが自分を見ているような気がして仕方ない。
(私たちが一緒に取り調べを受けたことを知っているのは騎士団の人と……編集長?)
はあ、と荒く息をしながらカーテンを閉め、窓から遠ざかる。
頭の中には暗雲に似た暗い考えが、どろどろと渦巻いている。
(やっぱり相談すれば良かった!ううん、今からでも、エルンスト……!!)
優秀な年上の友人の顔がぱっと思い浮かび、リザリーは部屋着のままコートを着込み部屋を飛び出していく。
早く彼の声を聞き、胸の内を吐き出したかった。
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